私たちが後に残すものよりも、はるかにはるかに良いものがこの先にある。
C.S. ルイス
末娘一家4人は新年早々から風邪引きで、しかも私を含めて喘息持ちだから、ネビュライザー使用とインヘイラー2種使用で忙しいこと。治りは遅々としているが、先週よりはましになった。娘はいわば病み上がりの私の「世話」をするのも同居の目的と一人で決めていたが、実際は逆で、私が一家の世話をする方が多くて、申し訳ないと言う。
勤めていた大学院を引いた私は、それが今の仕事だと思うし、幼子2人を抱える娘の手助けをするのは一向に構わない。かつては5人の子供たちが全員水疱瘡にかかったことも経験している。一応今のところ、キャンサーフリーの状態なのは、ありがたく、再発すればすれで、夫が早く迎えにきてくれれば、などと構えている平和さ。
人生に大きな変化の風が吹いて、吹き飛ばされそうになったとき...目を閉じて、しっかりと耐えて、信じる。
夫が倒れ、緊急入院を致しました。 脳血管造影やその他諸々の検査の結果は、原因を突き止めるに至らず、その間に夫は足がうまく動かせなくなり、現在の病院から物理療法専門の病院へ転院することになります。 そこでは2週間の入院となり、問題はその後で、24時間7日体制で、自宅で夫に付き添うことになります。 主寝室は2階なので、下の客用寝室を使わせ、そこはバスルームも隣接し、なによりも階段を使う必要がありません。 昨夜はここに住む二人の娘家族、そして全ての眼科医専門医のトレイニングを終えて休暇をとっている長男とこの先どうするかについて家族会議をしました。 子供たちは2階の寝室や夫の書斎はもう考えからはずし、とにかく夫の身の安全が第一と、てきぱきとああしてこうして、と計画していますが、正直夫にしてみたら、180度変化する生活に対応できるのか私は不安に感じます。 確かに身の安全を図ることは大切ですが、夫の精神的心理的な面を思うと、極端にあれもこれもと制限してしまうことが、果たして正しいことなのか不安なのです。 夫は穏やかな性格で、言い争いをしたりすることはなく、そしていつもなにかすることはないかと外回りから家内のことまで心を砕いてしてきた働き者なので、突然なにもかも取り上げて、ただただ療養していなさい、と言うのは、夫にとってはどれだけ辛いことか42年の夫婦の歴史が疑問を投げかけてきます。 ここは夫と私の家、そして夫の生き方は、夫の物なので、そこを中心に考えていきたいと思っています。
こうしたことで、毎日非常にめまぐるしく過ごし、夜はベッドによじ登るように就き、泥のように眠る毎日です。 ブログは今のところ私のプライオリティ・リストの下方にあり、もう少し物事が上昇気流にある時、改めて書き始めるつもりです。 と言うわけで「秀和」様からの2度の長文コメントには、未だお返事できておらず、どうぞしばしの間ご容赦くださいませ。 このような試練に遭遇しても、持つ信仰は失せもせず、ますますその灯りは明るさを増しています、とだけ今はお伝え致します。 どちら様もお風邪や流行病に罹患なさらず、お元気にお過ごしくださいませ。
Pampers
何が嫌かと言ったら、疲れてやっと就寝したのに、夜中にふと覚醒してしまうことである。 それは大抵夜明けには程遠い。 明日は大事な予定や、旅に出る、などがあるから、しっかり睡眠をとっておきたいのに、と再び寝入ろうとすると、ますます目が冴えてしまう。
そんな話を同僚たちと話していると、皆あるある、その体験。 「家族の中で夫も子供たちもすでにすっかり寝入っているのに、私だけ夜中にひとり取り残されて、仲間はずれな気分がしないでもないわよ。」とある同僚は言った。
昔バリー・マニロウがSomewhere In the Nightという歌を作り、ヒットさせたが、そのメロディが脳裏を駆け巡る。 でも「夜のどこかで」ぱっちりと目をあけてしまうことは、ちっともロマンティックではないのだ。
すると、ある55歳の同僚が話し始めた。
「僕は11歳になるまで、母、父、兄二人、祖母と一緒に、築70年の壊れそうな木造の家に住んでいたんだ。 ところがある運命の夜、火事で家もなにもかもを焼失してしまってね。 僕たちは皆、命からがら逃げ出せたが、所有していたものすべてを失ってしまって。 ありがたいことに、愛情と思いやりのあるコミュニティが助けてくれて、すぐに父は小ぶりの家を手に入れることができたんだ。 でも、祖母だけは、数マイル離れた所に小さな 二つ寝室のついたトレイラー・ホームを購入してね。 それまで毎日祖母と暮らしてきて、その時から毎日会えなくなって僕はかなり寂しい思いをしたんだ。 でも、祖母の新しい家を訪れては、彼女が作ってくれたおいしい食事を楽しみ、さらに、そこには僕が今まで見たことのないケーブル・テレビという贅沢があったんだよね。
祖母のトレイラーハウスで初めて一泊したときのことをよく覚えているよ。 僕は祖母が寝てからもずっとテレビを観ていたのさ。 そしてとうとう夜も更けたから、テレビの電源を切ったとき、しーんとした家の中で、奇妙な感覚になったんだ。 両親や祖母さえも先に寝てしまうほど夜更かししたのは、僕には、これが初めてだと気がついたんだ。 すると突然、世界は暗く、怖く、孤独な場所に思えちゃってね。 僕は起こさないように静かに祖母の部屋に行き、かすかに寝息をたてているのを静かに見ていたんだ。 自分は安全だと思ったのさ。
あれから44年経った今でも、夜中に目が覚めると、時々あの時のような感覚がするんだよ。 僕は自分の家族の中で今や最年長の世代であることにまだ慣れていないかのように。 両親や祖母が恋しいほど懐かしくなるんだ。 そしてふと、この世界はいまだ冷たく、暗く、孤独で、恐ろしい場所なのかもしれないとさえ思っちゃうのさ。」
実際、私たちは何歳になっても、その心の一部はまだ子供で、どこかまだ親の愛を必要としているような気がする。 心の一部は、祖父母や両親に抱きしめられ、慰められる必要がまだあるような気がする。 セピア色になった古い家族写真を見る時、そこに写っている幼い自分は、今と比べるとなんと自由だったのだろう、としばし思うこともある。 その時は、電気不足だの、ガソリンの高騰だの、そんな世間の喧騒など憂うことなく、明日の宿題をすれば、逆上がりが格好良くできれば、世の中は暮れて明けていたのだった。 夜、突然暗闇のなかで目が覚めて、ああでもないこうでもないと下降するような気持ちにもならなかった。
そんな中途半端に覚醒した夜、不安な気持ちを優しく背中を撫で、時には抱きしめてくれる父母、祖父母はとっくのとうに、亡い。 隣の夫をたたき起こすのも無慈悲だから、寝かせておく。 その代わり、私は天父に心のなかで小さな祈りを捧げる。 それは何かを求めるのではなく、平安と愛と光が心にあることを確かめるためである。 そしてそれはいつもあるのだ。 それは温めたミルクよりもずっと効果がある。