ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

町中が

2018-08-04 | 他の国

southamptonartgallery.com

American Sign Language "I love you"

  

 

聴覚障害者である一人の青年にとって2014年12月24日は、普通の日ではなかった。


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聴覚障害のあるムハーレムと妹のオズレムは、散歩に出た。


2014年12月24日、ムハーレと彼の妹、オズレムは、トルコのイスタンブール郊外、バクシラー界隈を散策した時に遭遇したすべての人に手話で挨拶されたからである。

 

 

ある電気機器会社は、自社の新しい消費者ヴィデオ対応専門窓口を聴覚障害者用にも設置したことの宣伝を促進するためにあるアイデアを考えついた。それは、地元の人々に手話を習得させ、すでに会社には知られていた聴覚障碍者のムハーレムが、ある日一日町で出会うすべての人々が、手話で挨拶できるように、という計画だった。

 


その一日をヴィデオに記録し、コマーシャルに使うために、多くのヴィデオカメラを町中の至る所に設置した。つまり、その日ムハーレムがベーグルショップで挨拶されたり、リンゴはいかが?ともらったり、通りを歩く彼にぶつかった女性の謝罪など、すべがて手話でなされる様子をカメラは撮った。


その日、展開される「偶然」に、ムハーレムは不思議に思ったが、散歩の終わりに、どんなことが起こっているのかを説明する大きな画面が道に置かれ、又その会社の代表が待ち受けていて、歩くにつれて、ますます混乱してきた彼を驚かせた。会社の代表は、彼に「障壁のない世界は私たちの夢です。」と手話で伝えた。


ムハーレムは、溢れる涙をぬぐいながら、集まったその日の散歩で出会った人々と抱き合った。


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その会社の代表とムハーレム

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デンマークのちょっと見

2017-09-26 | 他の国

日本へやってくる外国人は、もしかして日本には、まだ侍もいて、ゲイシャもいて、人力車もあって、などと勝手に想像してくることもあるらしい。確かにゲイシャさんはいらっしゃるし、浅草に行けば人力車も営業しているし、侍は、スポーツ界でカタカナにして活躍している。ニンジャにも期待してやってくるが、ニンジャは最近人手不足だとニュースで聞いた。


初めてデンマークへ赴くことになって、脳裏に浮かんだのははるか時空を飛んだことであった。オーデンセから首都コーペンハーゲンにやってきた若い若いアンデルセンが、今日の糧もおぼつかない困窮の中を、不安げに街を歩き回る姿。とっくのとうに亡いジョージ・ジェンセンが丈の長いスモックを着込んでスタジオで新しい銀細工はアール・ヌーボーだ、とスケッチをしている姿さえ目に浮かんだ。そんなはずは一切ないのに、あの冬の凍てつくクロンボー城の昼でも暗い一室をかのハムレットが苦悩を眉間にみせて行きつ戻りつしているのでは、とも。なんとステレオタイプな私。


初夏のデンマークは青空が深く澄み、海峡の水はキラキラとしていた。非常に能率の高い税関を抜け、迎えに来ていた息子たちと合流して、空港を出るとすぐ、駐車場の前にあるグロサリーストアへ入った。義母となるキリシティが、新鮮な野菜を売るそのコペンハーゲンの店を好み、特にスナップピーが好物なので、息子は買っていきたかったのだ。初めて行ったところのグローサリーストアを覗くことは、ほとんど趣味の私であるから、楽しかった。


空港にはもちろん、そのグローサリーストアにも、車で走りぬけた街中にも、若き悩めるアンデルセンも、妻と早々に死別して二人の息子を育てるために苦労していたジョージ・ジェンセンもいなかった。オーレスン橋をスエーデンへ向けて走った時には、すっかり21世紀に戻っていた私である。


息子達は翌日コペンハーゲンで挙式をしたのであるが、その次の日、再びコペンハーゲンへ繰り出した。聖母教会にあるクリスタス像と十二使徒像群と、カール・ブロックの絵画を別の教会で見学したかったのだ。時間の都合でカール・ブロック絵画のある教会へは立ち寄れずにいたが、市中のレストランで世界一と思えるトマトビスクに出会えたし、そのレストランの裏手の文具店で、筆記具やsealing wax( 封蝋 )に目のない私は、掘り出し物を得たのだから、十分嬉しかった。


ハムレット、ではないが、息子が散策しているクロンボー城


Tivoli Gardens (チボリ公園)を目の辺りにしながらも、寄れなかったが、息子が後日訪園して、楽しんできた。非常に限られた時間での慌しい訪問だが、コペンハーゲンの街は、北欧人特有の簡潔な清潔さのある都市だと十分にわかる。楽しげなトレンディな商店もたくさんある。Copenhagenという2014年の映画を観たことがあるが、若者受けするお楽しみの場所も多いようだ。もっともこの映画は綺麗な14歳の少女が18歳のように振る舞う現代のコペンハーゲン映画である。


コペンハーゲンは男女の性差がないに等しく、昼夜を問わずに楽しめるパーティの街といわれるそうだ。といっても老体には関係がない。小奇麗なレストランでおいしいディナーを取り、たくさんの個性的な店をひやかして、美術館や博物館で飽きもせずに展示物を堪能するに限る。あのトマトビスクが私を呼んでいる。


 

クロンボー城はこのNeptune (海神)が守っている

 

 

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かの地にて その2 

2017-09-24 | 他の国

高校の四年間週日の早朝セミナリーを欠かさず出席して来た娘は、これは本当に修学旅行であった。史跡を訪ねるだけではなく、イスラエルの人々の暮らしの中に溶け込んで、人間はどの地へ行っても本質同じで、良い人は良い、と言うことをしっかり見て聞いてきた。

Rの祖父母は今は快適な引退生活をしているが、国のために国民(ユダヤ人)のために、さまざまな活動をイスラエル内外でしてきて、知る世界が広い。Rの母親の兄弟は、大使として世界各国を回り、娘が訪問した当時はイスラエルに帰国していた。その兄弟の息子たち、つまりRの従兄兄弟とも楽しく過ごせ、普通の観光では触れることの出来ない現地の暮らしを垣間見て、娘には貴重な体験となった。

 

Church of the Holy Sepulchre エルサレム旧市街、ゴルゴダの丘・園の墓にある聖墳墓教会 

一触即発の状況にある中東状態。いつパレスティナ側からのミサイルが来るか分からない状況が、現実のイスラエル人を、平和に関しては非常に積極的にさせる。男女共徴兵制度があり、街中でも重装備をした兵士の姿を目にするのが日常茶飯事の国であるが、人々の死守してもイスラエルを存続させる気概を娘はひしひしと感じ、平和はただではない、と学んだことだった。

Synagogue ruin of Capernaum カペナムのシナゴーグ遺跡・四世紀の物とされる。

また娘の信仰についても、この旅行はプラスになったと本人は言う。キリストの足跡を辿るように訪ねた場所は、感慨深かった。キリストの時代を彷彿とさせる下の写真の一世紀に作られたというボートを見て、 そしてゴルゴダの園の墓を実際に目の辺りにして、3ディメンションな新しい感覚を持ってキリストのガラリアでの伝道とこの世での生涯を考えることができた、と目を輝かせて報告してくれた。

 

1986年にガリラヤ湖北西岸で発見された1世紀と推定されるボート。キリストと使徒とに関わりがあるかもしれないとされる。

この旅でRとRの家族・祖父母には、貴重な経験をさせていただいた。もともと言語が好きな娘は、祖父母の家に滞在中にヘブライ語も少し習い、最後の日に、Rの妹がヘブライ語で「わたしのxxはどこかしら?」と言った際、娘が「それなら、居間のカウチの横にあったわよ」とやはりヘブライ語でつい答えたそうだ。みな驚いたが、街で話しかけてくる若者がなにを言っているのかもほぼ理解していたらしい。六年生の時からの親友は、うちの一件先のお隣だから、お互いの家族を行き来している間に、娘は少しづつ覚えてしまったようだ。

娘は、史跡や聖跡を楽しみ、また死海での海水浴も楽しんできた。顔面は絶対に海水に漬けてはいけない、と教えられ、仰向けに死海に浸った(浮かんだ)そうである。エルサレム旧市街マーケットを歩き回ったのもよい思い出となった。レバノンとの国境近くへ行った時には、とても緊張した。これもあれも、大学一年だった娘には貴重な人生の一こまだった。


  

エルサレム旧市街のマーケットで              レバノン国境のこちら側で

 

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かの地にて

2017-09-23 | 他の国

http://p.motionelements.com/stock-video/signs-symbols/me1131184-israeli-flag-hd-a0235.jpg 

末娘には、小学校六年からずっと同級生で、隣人でもある女友達Rがいる。もう何年も前からご家族に末娘を是非イスラエルに連れて行きたいと請われ続けて、とうとう高校卒業したらということでお受けすることにしたのだ。

ご招待をお受けするや否や、格安チケットをインターネットで探し、ここからまずフィラデルフィアへ飛び、そこからフランクフルトへ向かい、そこで隣人のRと合流し、二人でテルアビブへ世界で最も安全と言われるエル・アル・イスラエル航空で飛ぶことになった。

テルアビブ空港には、Rの両親と母方の祖父母が出迎えてくれ、初めてイスラエルの地を踏んだ娘をたいへん歓迎してくださった。Rの母方の祖父は、オランダで生まれ、ホロコーストで家族を亡くしたが、オランダ人家族に引き取られて育った。その後1948年の第一次中東戦争でイスラエルが勝利し、独立したのに伴って彼は移住した。非常に温厚で、思いやりのある知識人であるが、後日、実は彼がイスラエルとアメリカでは高名な方であるとわかった。

Rの祖母もヨーロッパで生まれ、教育を得てからイスラエルに入植した。やはりホロコーストを経験している。彼女はイスラエルのガイドと言ってもおかしくない豊富な知識を娘に披露してくれたが、ただ一箇所ヤド・ヴァシェム(ホロコースト)記念館だけはどうしても足が向かないの、と言った。行くとナチスによって命を奪われた家族を思い出し、悲しくてやりきれなくなるのだ、と言う。その代わり、キリスト教徒が行きたいと思うところをみなご案内するわ、と言い、Rと娘をつれて最初にゴルゴタの丘(カルヴァリーの丘とも言う)へ向かった。

 エルサレムにあるキリストが十字架刑に処されたゴルゴダ(あるいはCalvary Hill)の丘(頭蓋骨の丘)と、The Garden Tomb 園の墓=処刑後のキリストを納めた墓所:He is not here.  He is risen. 彼はここにはおられない。。。よみがえられたのだ。(マタイ伝28:6より)


末娘がイスラエルで気に入ったのは、このThe Garden Tomb(園の墓)だ。ここに十字架刑に処されたキリストが納められて、そして復活した、と思うとその地に立つ自分の心がシーンとなったそうだ。後日、上の写真の娘を見て、Rの祖母がイスラエルの過酷な日差しを防ぐためにと被せてくれた帽子がかっこいい、と兄たちは揶揄していたが、そんなことには構わず、感激していたのが、娘の表情を見てとれる。

 Church of the Beatitudes山上の垂訓のあったとされる場所には山上の垂訓教会がある。

ガリラヤ湖北西岸、カペナウム近くにある小高い所に立つのは、ローマンカソリック教会である。カソリックではないクリスチャンには、教会堂よりも、この地がキリストが山上の垂訓を行った場であるかもしれないのが気に入る。はっきりとした場所は不明であるが、ガリラヤ湖の北西岸のいくつかの山のひとつ、と言われている。キリストが山の上で弟子と群集に語った教えは、かの黄金律(Golden Rule)も含む。黄金律は、「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」である。

  

バプテスマのヨハネによりキリストがバプテスマを受けたヨルダン川

バプテスマのヨハネはこのヨルダン川の荒野で悔い改めを説き、人々にバプテスマを施していた。キリストは、彼からバプテスマを受けた後、ガリラヤでの宣教に赴いた。旧・新約聖書に登場するヨルダン川だが、娘が立つすぐ傍にはたくさんネズミが徘徊していて、気が気ではなかったそうだ。気候もそうだが、ヨルダン川の河岸も、アリゾナ州を流れるコロラド川に似ている。

続きは明日。

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スウエーデン

2017-08-15 | 他の国

アルビックからストックホルムへの電車の中で、ひとりせっせと、chain mailを作っている人がいた。幸福(不幸)の手紙や電子メイルではない。あの鎧型の防具、鎖帷子である。ケルト族が最初に作ってノルマン族もヴァイキングも利用した鎖の防具である。彼は黙々と膝においたプラスティックの容器から、鋼線で作った輪を平たく伸ばした座金(washer)のようなのをひとつずつ拾い、つなげている。チェインメイルですか?と思わず聞くと、そうだと答えた。そうですか、と言ったきり、私も口を閉ざした。


何故私は、チェインメイルだとわかったのか不思議だが、おそらく十字軍の話や騎士道物語のようなものが好きだから、かもしれない。電車の中でチェインメイルを黙々と作る人は、スゥエーデンなら、起こり得る光景だと妙に納得した。終点のストックホルムまで彼は黙って作り続け、私は窓外の景色を見ていた。ヴァイキングの国だもの。



https://i.pinimg.com/736x/05/a6/61/05a661468be6738cf034b9b8e3539eba--chainmail-armor-chainmaille.jpg



ストックホルムのような都会でも、小さな村でも、人々は他人種がいても、凝視することなく、一般に個人主義が徹底しているからか、他人にそう感心は示さないのだろう。それが冷たいという定評なのかもしれないが、実際は息子の妻が言う、スゥエーデン人はとてもシャイであるから、かもしれない。親切で、親しみやすい人々はどの国にもいるが、スゥエーデンとて例外ではない。質問すれば、丁寧に答えてくれるし、笑顔も美しい。



社会主義が台頭して以来、高額な税を払っても、国民は平等に国家の利益の恩恵(社会保障制度)を受けているので、生きていくのに、経済的な不安から解放され、笑顔を浮かべて、幸せです、と言う。かつて社会福祉のこれだけ発達した国ながら、自殺率が高いと言われていたが、2015年の統計では、日本(17位)や合衆国(50位)よりはるかに下位の58位で、ちなみにトップの二カ国はガイアナと韓国である。


スゥエーデン人のトマスは、自分はアメリカの高校に留学するまで、ホームレスを見たことがなく、あのアメリカで?と不思議に思ったと言う。ただ、と彼は続けた。スウエーデンは冬が長いんで、それで欝になるから、光療法をするんだ、と付け加えた。その欝が昂じて自殺につながることが多い、とも。人間、満足するのはたやすくない。




太西洋を渡る飛行機の中で、私は、アメリカで、突如路上インタビューされて、「貴方はいま幸福ですか?」と聞かれて、何人が即座に、はい、と答えられるだろうかと考えた。この週末に起こったヴァージニアの事件にしても、アメリカは人種の坩堝故の問題が絶えない。人種問題だけではなく、貧富の差も甚だしい。ドラッグ問題も負けず劣らず大きい。貧困家庭の子女は、学校の昼食が命綱ということもある。共産主義は人間の本質に反することが多いから、崩壊したが、資本主義も修正が必要な時が来ているのだろう。



合衆国の社会問題を無視しないが、国民として心がけたいのは、自分から良い社会を作るように努力することから始まると思う。自分から親切の輪を広げるように。上から変化は来るといつまでも待っても、来るのは雨、アラレ、そして雪くらいなものだ。なにもかも豊富にある(筈)のアメリカなのに、発展の途中で、どこかに大きな忘れものをしてきたかのようである。


 
美しいスウエーデンの夏。

 

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