ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

電車で

2019-01-31 | アメリカ事情

 

 

 

 

これは、ユーチューブにあるアメリカ手話の講座へ今月10日に投稿されたウエインさんの経験談です。


ASLを電車で乗りあう見知らぬ乗客のために習う

 

 

毎朝私の乗る電車の中で見かける人がいます。彼はいつも一人で座っていて、だれにも話しかけず、音楽を聴いていませんでした。8日ほど前に、彼がひとりの友人と手話でフェイススタイムをしているのに気が付きました。フェイスタイムを終えた彼は、とても悲しそうに見えたので、私は彼が大丈夫かどうか尋ねようとしました。私は私の手を彼の肩に乗せて微笑みました。私には、彼がどれだけ孤独で孤立しているのだろうと感じたのに、それを助けられないことを情けなく思ったのでした。


私は仕事を終えたあと一晩に2,3時間かけてASL(American Sign Language=アメリカ手話)をコンピューターで習い始めました。今朝初めて私は、彼に手話で「こんにちわ、お元気ですか?」と尋ねたのです。ショックを受けた彼の笑顔は、幾晩も勉強したことへの代償でした。勿論それはつたなかったのですが、彼は携帯電話を取り出し、そこにひとつのメッセージをタイプし、私に見せました。そこには、「ありがとう」とありました。なんだか彼が私を誇りに思っているように思えました。私がより良い人になるのを助けてくれてありがとう。

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読みたい少年

2019-01-30 | アメリカ事情

 iStock

 

 

 

昨年、ユタ州サンディに住む12歳のマシュー・フロレスは、郵便局配達員のロン・リンチに近づいて、余っている広告やランダムなニュースレターがあるかどうか尋ねた。 少年は、読むのが大好きだが、本を買うお金や図書館に行くためのバスの運賃さえもないので、郵便配達員が、配り終えてもまだあるかもしれない余り物でも、読みたいのだと説明した。 リンチは、参ってしまった。「この少年は電子機器を望んでいなかったし、一日中テレビの前でゲームをしたいとも思ってはいませんでした。 この子はただ読みたかったのです。」と、リンチ氏は、デゼレト・ニュース紙に語った。


リンチは彼のフェイスブック仲間に本などの書物寄付を呼びかけた。すぐに、フローレスは世界中から - 米国、イギリス、さらにはインドからさえ、本を入手できた。 フローレス少年は、自分がそれらの本すべての読み、それから本に飢えている他の子供たちとそれらを共有したい計画を立てている、と述べた。


デゼレト・ニュース新聞記事から。


ロン・リンチ氏とマシュー・フローレス少年

Scott Winterton/Deseret News


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蛍雪の功二つ

2019-01-29 | アメリカ事情

 edgalaxy.com

 

 

 

ジョージア州バーンズビルにあるゴードン州立大学のキャンパス内に張ったテントに住んでい19歳のフレッド・バーリーを警察が見つけたとき、彼らはフレッドを大学構内から追い出す準備ができていた。


それでまず彼らはフレッドの話を聞いた。彼は自分の所持品すべて(ダッフルバッグ、テント、2ガロンの水、1箱のシリアル)を持って弟の小さな自転車で、ジョージア州のコンヤーズから6時間かけて、学校に来たのだった。それはこの大学の生物学専攻学生として二学期目のクラスを履修登録するためだった。仕事を探すために大学に早く着いたが、運が悪かった。仕事はなかなか見つけられなかった。 「僕は、こりゃ、まずい、と思ったのです。」と彼が答えた、と警察官リチャード・カレカーはABC放送局ニューヨークに語った。


バーリーの窮状に気持ちを動かされて、カレカーと彼の同僚は、自分たちが資金をだして、バーリーをモーテルに泊まらせた。このことは、すぐに知れ渡り、ただちに人々は衣服、学用品、モーテルの滞在費を援助するための資金を寄付し、ある人はピザ屋での仕事も彼に与えたのだった。それからバーンズヴィルのケイシー・ブランニーという女性は、GoFundMe*ページを設立した。「私は思ったのです、わぁ、この子は100度Fの天候に、20インチの小さな男の子用の自転車を6時間こいでまでして大学へ行ったのだから、この子の勉強への意思は固い、と。」と、彼女は自分のFacebookページに書いた。この基金は184,000ドルに達し、そのすべてがフレッド・バーリーの教育資金基金になっている。

 

 

 *GoFundMe(アメリカ)とは:

GoFundMeはアメリカで2010年にサービスを開始した寄付型クラウドファンディングです。家族や友人、病気などの個人的な問題を乗り越えるために寄付を募る人たちのプロジェクトが中心です。プロジェクトを見ると、慈善活動や洪水など災害被害に対する支援から、個人の引っ越し費用を募るものや、ペットの医療費を募るものまで幅広く存在します。日本における寄付型のクラウドファンディングが社会貢献的な事業や公共性の高いプロジェクトが中心なのに対し、GoFundMeは個人的なドネーションを求めるのにも活用されています。

GoFundMeのビジネスモデルは、まず寄付を集める人に自分でページを作ってもらい、目標金額やその目的・用途、写真などをアップロードしてもらいます。寄付した人は投稿ページにコメントを残すことができ、Facebookやツイッターなどのアプリにも連動が可能なため、拡散することで支援の輪を広げることができます。GoFundMe側は支援者の寄付で集めた金額の5%を受け取り、運営費用に充てています。また、他のクラウドファンディングのプラットフォームと異なり、締め切り期限などはありません。

直近では募集が開始されてから2日間で過去最多となる310万ドルもの資金を集めたりと、社会的にも広く認知されており、現在までのユーザー数は2,500万人、累計寄付額は30億ドルに達しており、個人への投資が可能なプラットフォームとしては有数の投資金額を集めています。 relic.co.jp/battery/articles/149)より抜粋

 


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夜のマクドナルドを照らす灯りの下、地面に直接座って宿題をしている9歳の少年。その姿は世界中の人々に大きな感銘を与え、少年とその家族を救うことになった。


この少年の勤勉さが世界中に報道されると、寄付や学用品の支援が地元の政治家や社会福祉施設などへ次々と舞い込むように。一躍貧困層のスターとなったダニエルくんはメディアのインタビューに対して「将来は警察官になりたい。フィリピンを救いたいんだ」と語った。


ネットでも大きな反響を呼んでおり、「心あたたまる話だ」「彼の幸せを心から願うよ」「SNSが有効に活用された例だと思う」「涙がこぼれ落ちた」といった感想が世界各地から寄せられている。 


2015/07/13 19:57 Written by Narinari.com編集部

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最後のフライト

2019-01-28 | アメリカ事情

 aa.com

 

 

 

34年間、ルーアン・アレクサンダーは客室乗務員として働いていました。しかし、58歳で、彼女に膵臓癌の診断がされました。すぐに、二人の子を持つ活発な母、もうすぐ祖母となる彼女は、ホスピスケアに入る計画を立てた。


彼女の兄、レックス・ライデンアワーは、病床に伏す妹のルーアン・アレクサンダーに会うために飛行中、客室乗務員(実はアレクサンダーの同僚)に、他の乗客と話せるかどうか、尋ねた。彼は自分の妹について話し、他の乗客たちが彼女の写真を見ることができるように、飛行機の中で、自分の携帯電話を回した。それから彼はナプキンを配って、もしよろしければ、乗客たちが妹のために何か少しそのナプキンに書いてくれるかどうか尋ねた。 96人の乗客はそれに応じた。何人かの乗客は励ましとお見舞いのメモをしたためた。ある男性と隣の座席に座る客は、ナプキンとスイズルスティック(コーヒー等の飲み物をかき混ぜる小さな細い棒)で花を作った。


しかし、ほとんどの乗客は、暖かい言葉をしたためた。「あなたのお兄さんが私たちもあなたを愛するようにしてくれました、私はあなたのことさえ存知ませんのに。」そしてある乗客はこう書いた、「私に2つの脳腫瘍があった時のお気に入りの言葉です:あなたはご自分が信じる以上に果敢で、見かけよりも強く、そしてお思いになられるよりもずっと賢いのです。」


ルーアン・アレクサンダーは今年の4月に亡くなったが、兄のライデンアワーはその日の思いやりを決して忘れなかった。 「機会があれば、見知らぬ人に見知らぬ人々が、手を差し伸べて多くの共感と懸念を示すことに驚いた」と彼は言った。


ーアリゾナ・リパブリック新聞より

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祖母のコート

2019-01-27 | アメリカ事情

Andrey-Arkusha/Shutterstock

 

 

 

 

ミズーリ州エルドラドスプリングスに住むブレンダ・ラヴウェルさんが、カウントリーマガジンに語った話。

 

私のおばあちゃんベラクレイマーは女の子が持つことができる最高のおばあちゃんでした。彼女は親切で、思いやりがあり、誰についても悪いことを言うことはありませんでした。どんな人にも良い点を見つけることができる祖母でした。


私が若い頃、おばあちゃんは冬用に新しいコートを買うために春と夏を通して一生懸命働きました。コートを買うのに十分なお金のために、彼女は卵、ベリー類、なんでも庭で作ったものを売りました。彼女の古いコートはとても使い古され、ところどころにあるすり切れた部分に数回祖母はそれをかなり数回継ぎ当てをしていました。


ついに十分なお金が貯められた時、私たちはいさんで町へ行きました。祖母に新しいコートは良く映えてとてもきれいでした。そして私は、彼女がそのためにどれだけ懸命に働いたかを思い、それを誇らしく思いました。


その冬、彼女が住んでいたミズーリ州ハーウッドの小さな町で、3人の小さな女の子のいる家族が火事で家を失いました。その家族は、衣服、食べ物、そして家庭用品を必要としていました。祖母は彼女の新しいコートを切って小さな女の子たちのために三着のコートを作ることにしました。私はそうしないようにと祖母に懇願さえしましたが、彼女は私の涙をキスで拭い去りました。その幼い女の子達は、自分よりももっとずっとコートを必要としているのよ、と祖母は私に言いました。


コートが出来上がると、祖母は、赤いワゴン車にコート、母親用のエプロン、毛布、食べ物、そして三つの小さな人形を積みました。私は祖母が彼女の古い足踏みミシンで人形、コート、そしてエプロンを作るのを見ました。その家族がワゴンの中にあるものを見た時、その母親は泣き始めました、そして、女の子たちはそれぞれの人形を抱きしめました。


日曜日に、祖母は教会に彼女の古いコートを着て行き、彼女はそこで最も美しいおばあちゃんでした。祖母は私の親友であり、二番目の母であり、そして私は心から彼女を恋しく思っています。

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