ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

思いがけない幸運

2020-01-30 | 系図のこと

genealogybank.com

Photo of Ransom Smith’s Bible and journals by the author

ランサム・F.・スミスの聖書と日記:写真はトーマス・J.・ケンプ氏。

 

 

 

系図を探求調査していると、思いがけない幸運・好運が訪れるのを系図家は皆知っている。それはすでに他界した先祖が、自分を探して欲しいとばかりにそうした好運を起こしてくれているとしか説明がつかないことが多い。そんなことの一つをトーマス・J. ケンプ氏が体験した系図家の思いがけない幸運について彼はこう書いている。

 

ランサム・フェルディナンド・スミス(1864-1940)はニューハンプシャー州ウッドストックに住んでいた。彼は私の曾祖母フランシス・リラ(ソイヤー)・ヒューズ(1863-1958)のいとこだった。

 

9月10日月曜日、家族のオンライン・ツリーサイトでランサム・F.スミスの人生のあらましを入力した。翌日9月11日火曜日に私は次のメールを受け取った: 「1812年から1922年までニューハンプシャー州グラフトンに住み、キャリーと結婚したランサム・F.・スミスの系図を私は調査しており、そのため貴方のオンラインツリーにたどり着きました。約30年前にマサチューセッツ州のオークションでランサム・F.・スミスの聖書と4冊の日記(小3、大1)を取得しました。それらはたくさんリネンの入っていた箱の底にありました!それらにご興味がおありでしたら、私にメールしてください。」

 

ご想像あれー私は家族の家系図情報を月曜日にオンラインで公開した。翌日、ある女性が家を掃除し、30年間見ていなかったリネンの箱を開けてみた。その箱の一番下に、彼女は聖書と4つの日記を見つけ、それらを元の所有者の家族に返そうとしている。

 

まず彼女はランサムの名前をGoogleで検索した…大当たり!彼女は私の家族のオンライン家系図ページを見つけ、私たちに連絡し、これらの貴重な家族記録を郵送してくれたのだ。セレンディピティ!

 

家系探査にとってそんな日は素晴らしい日である。

 

********

 

三月に開かれるある催しの為に、系図探求調査展示ブースを任された四人の内のひとりとして、これからその準備に時間をかけなければならず、本日からしばらくブログは更新できません。系図調査自体も、依頼された件がいくつかあり、時間を割かなければなりません。再開できるように頑張ってきます!

 

 

 

 

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心に残る

2020-01-28 | アメリカ事情

poshmark.com

 

 

 

スターワーズ。1977年5月、大学生だった私はその大学街のモールにある映画館で最初の作品を観た。前評判が非常に高く、観客はおおいに期待して画面に見入った。一緒に観に行った人に感想を聞かれ、”The sky's the limit."(限りがない)とだけ答えた私である。何故なら、宇宙物は、空想のし放題、宇宙スケールでは限りなく不可能はないからで、そこに逆に発想の限界を感じるのだ。

 

唯一好きな宇宙物は、Close Encounters of the Third Kind(邦題:未知との遭遇)で、同年の1977年11月にたまたまその大学街が、公開指定都市のひとつとして、全米公開に先駆けて封切った。これはSF物として良くできた作品で、主演のリチャード・ドライファスの好演と、話の筋もしっかりとしているからだろうか。もっともこれは今夫となった人と観たからかもしれないが。インディアナ・ジョーンズのシリーズは大好きだが、宇宙物には今一つ熱心さに欠ける私なのである。1977年から何年か置きに発表されてきたスターワーズの新作は、世間が、マニアが騒ぐほど、特に興味を持てず、いまだにここひとつピンとこない私なのだ。

 

ところが、先日5歳の孫息子を子守中に、この子とライト・セイバーでちゃんばら(古い)をしてから、孫の父親が5歳用に編集した古いスターワーズ映画を観ることになり、これも人生修行のひとつ、と好きではない長編映画に付き合ったのだ。するとそこに流れる台詞がところどころ面白く、これはこれで悪くはない、とさえ思わせてくれた。案の定インターネットでは私と同じ、というよりも私よりもずっと以前にそれに気づいた方々が、そうした言葉をリストにして掲載している。その中で、私が気に入ったものを八例ご紹介しよう。

 

 

Luke Skywalker (Episode VI: Return of the Jedi) ルーク・スカイウォーカー (エピソード6-ジェダイの帰還)

"Let go of your hate." あなたの憎しみをお放しなさい。

 

Obi-Wan Kenobi (Episode IV: A New Hope) オビ・ワン・カノビ(エピソード4-新たなる希望)

"Who's the more foolish; the fool; or the fool who follows him?" 愚か者と愚か者に従う者、どちらがより愚か者だろうか?

 

Anakin (Episode II: Attack of the Clones) アナキン(エピソード2ークローンの攻撃)

"Compassion, which I would define as unconditional love, is essential to a Jedi’s life. So you might say that we are encouraged to love.”

 無条件の愛と僕が定義する思いやりは、ジェダイの人生に不可欠です。ですから、私たちは愛することを奨励されていると言えるでしょう。

 

Yoda (Episode V: The Empire Strikes Back)ヨーダ(エピソード5-帝国の逆襲)

“Once you start down the dark path, forever will it dominate your destiny.” 一度闇の道を歩き始めると、それは永遠にあなたの運命を支配します。

 

Yoda (Episode I: The Phantom Menace) ヨーダ(エピソード1-ファントム・メナス)【神出鬼没の猛威、とでも訳そうか】

“Fear leads to anger, anger leads to hate, hate leads to suffering.” 恐れは怒りにつながり、怒りは憎しみにつながり、憎しみは苦しみにつながります。

 

Yoda (Episode VI: Return of the Jedi)ヨーダ(エピソード6-ジェダイの帰還)

“Pass on what you have learned.” 己が学んだことは(他の人に)伝えなさい。

 

Yoda (Episode III: Revenge of the Sith) ヨーダ(エピソード3-シスの復讐)

“Train yourself to let go of everything you fear to lose.” 失うことを恐れるすべてを手放すように自分を鍛えなさい。

 

Qui-Gon Jinn (Episode I: The Phantom Menace)クアイ・ゴン・ジン(エピソード1-ファントム・メナス)【神出鬼没の猛威】

”The ability to speak does not make you intelligent." 話せるからと言ってそれはひとを利口にはしない。

 

深い方、ヨーダ

 

 

 

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家族の再会

2020-01-26 | アメリカ事情

Springhillnursery.com

Verbenaバービナ:花言葉は、「家族の愛」

 

 

 

 

2012年、妊娠中の妻が2人の子供とテキサス州フォートワースに到着した。 戦争で荒廃したスーダンで住んでいた村から逃げたアリクと子供たちは、アフリカ北部の難民キャンプで立ち往生している夫のディアンから引き離されてしまった。

ディアンは自分の妻とこどもたちに再び会えるとは思えなかった。

その間、フォートワースのビレッジ教会は、この母子三人家族がキリスト教信仰に足を踏み入れる方法を探していた。 モリーとメアリー・クレアは、テキサスの大規模な難民再定住機関の1つであるカトリック慈善団体にボランティアとして参加し、アリクと彼女の夫であり父親であるディアンと再会させ再び一つの家族となるように尽力することを決めた。彼女たちは全力を尽くしてアリクと子供たちをディアンと再会させることができたが、当初は「これが起こると奇跡になるでしょう」と言われていた。その「奇跡」は去年2019年、起こった。

 

 

 

 

 

 

 

 

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妬み

2020-01-24 | 人間性

The Return of the Prodigal Son (1773) by Pompeo Batoni

 

 

 

 

「正像末和讃」『註釈版聖典』六一七頁に親鸞上人のこんな言葉が書かれている。

悪性さらにやめがたし  こころは蛇蝎のごとくなり  修善も雑毒なるゆゑに  虚仮の行とぞなづけたる 

悪い本性はなかなか変わらないのであり、それはあたかも蛇やさそりのようである。だからたとえどんなよい行いをしても、煩悩の毒がまじっているので、いつわりの行というものである。

現代訳:堀祐彰(浄土真宗本願寺派総合研究所)

 

これは、キリスト教新約聖書新約聖書ルカ伝第15章11-32節の「放蕩息子」についての話に出てくるその兄の思考への戒めにも通ずる。その兄は今まで父親に誠実に従い、真面目に畑仕事をし、その日の作業を終えて帰宅すると、音楽が聞こえ、なにやら祝宴が開かれているらしい。それが、今まで放蕩で身を崩していた弟のためだと知ると、彼はたちまちその弟への妬みを抱く。彼の勤勉さによってすでに牧場の子牛も、着物も、家の引き出しの中の指輪もすべて自分のものであるという事実さえ、そして今後も報われるという事実も、一瞬のうちに忘れてしまった。

 

勤勉さにかけては非常に秀でていたのにもかかわらず、この兄はここで一つの欠点を露呈した。それは死んでいたに等しい弟が生きて帰還したことを喜び、自分の競争相手が帰って来たわけではないととらえられるほどの寛大な度量の広さを備えていなかったのだ。そして放蕩を重ねて帰宅した弟が、真面目で勤勉な自分への特権をすべて奪うのだ、と実際にはそうではないのにも関わらず、そう感じ、疑心に満ちた。

 

聖書の人物でなくとも、現代社会でも、満ち足りた生活を送り、自分の財産に満足していた人は、だれかが同じように幸運をつかむというだけで、急に不満に思い、実際にはそうではないのに、自分への祝福が少なくなると勘違いをすることが往々にしてある。チョーサーのカンタベリー物語に出てくる牧師が嘆いたように、妬みは蔓延し、あるいは、古いデンマークの諺のごとく、「妬みが熱であれば、世界中が病気になってしまう」のである。

 

覚えておくべきは、神は一人の子どもに対して哀れみを示すために、もう一人の子どもへの愛を取り消したり否定したりする必要がないことである。彼はどちらの息子にも惜しみなく与えている。

 

教育者で宗教的指導者であるジェフリー・ホランドは、その話のなかで、言語学者のヘンリー・ニューエンによれば、英語のGenerosity(物惜しみしない、寛大なこと)は、家系図を意味する言葉Genealogyと同じ語源のラテン語"genus"から派生していると言う。それはつまり「同じ生まれ、または種類、同じ家族あるいは性別」という意味があり、自分が親切にする相手は、実は「赤の他人」なのではなく、自分自身の家族なのだ、と思い起こせば、人々はもっと容易に寛大になれ、惜しみなく与えることができる、とホランドは促す。

 

そしてお互いに祝福を受けられるように励ましあうことこそが、究極一人一人の心の安寧をもたらし、平和への一歩となるのではないだろうか。

 

 

 

【注・補記】聖書の「放蕩息子」についての話:ある人に二人の息子がいた。弟の方が親が健在なうちに、財産の分け前を請求した。そして、父は要求通りに与えた。。。

そして、生前分与を受けた息子は遠い国に旅立ち、そこで放蕩に身を持ちくずして財産を使い果した。大飢饉が起きて、その放蕩息子はユダヤ人が汚れているとしている豚の世話の仕事をして生計を立てる。豚のえささえも食べたいと思うくらいに飢えに苦しんだ。

父のところには食物のあり余っている雇人が大ぜいいるのに、わたしはここで飢えて死のうとしている。彼は我に帰った。帰るべきところは父のところだと思い立ち帰途に着く。彼は父に向かって言おうと心に決めていた。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください。」と。ところが、父は帰ってきた息子を見ると、走りよってだきよせる。息子の悔い改めに先行して父の赦しがあった。

父親は、帰ってきた息子に一番良い服を着せ、足に履物を履かせ、盛大な祝宴を開いた。それを見た兄は父親に不満をぶつけ、放蕩のかぎりを尽くして財産を無駄にした弟を軽蔑する。しかし、父親は兄をたしなめて言った。「子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。」

ー新約聖書ルカ伝第15章11-32節)ウィキより引用

 

 

その放蕩息子の現代版物語をどうぞ。

 

 

 

 

 

 

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こんなことがある

2020-01-22 | 不思議

ピム・ヴァン・ロンメル医学博士著「生命を超えた意識:臨死体験の科学」

(New York: HarperCollins, 2010)

 

 

 

ヴィッキーは1951年に非常に時期尚早に未熟児で生まれた。当時の原始的な保育器の非常に高い酸素濃度により眼球と視神経が損傷し、その後すぐに後頭葉の視覚皮質が萎縮した。

 

「私は光も、影も、何も見たことがありません。多くの人は私が黒を見ているかどうか尋ねます。いいえ、黒は見えません。何も見えていません。そして、私の夢では視覚的なことを見られません。味、感触、音、匂いだけです。何の視覚的なことはないのです。」

 

1973年、ヴィッキーは深刻な自動車事故に遭い、昏睡状態に陥り、頭蓋骨骨折と重度の脳震盪、首と背中の脊椎骨折、足の骨折という怪我を負った。

 

「次に覚えているのは、ハーバービューメディカルセンターにいて、その時(自分の身に起きていることを)上から見下ろしていたことです。そして、物事を視覚的に見ることに慣れていないので、恐ろしかったです。そして最初はかなり怖かったです!そして、ついに私は自分のしている結婚指輪と髪の毛を認識しました。私は考えました:下に見えるこれは私の体だろうか? 私は死んでいるのだろうか? 彼らは『彼女を蘇生できない、彼女を蘇生できない!』と言い続けていました。彼らは私がさきほど発見した自分の体(の蘇生)に必死に取り組んでいたのですが、私は自分の体から離脱していて、それだから何?というふうに思ったのです。そしてこれらの人々が何故そんなに怒っているかのように狼狽しているのか、と思いました。そう思った途端、私はまるでそこに何もないかのように天井を抜け出たのです。何かにぶつかるのでは、と心配せずに、そのように自由であるのは素晴らしいことで、そして、私は自分がどこへ行くのかを知っていました。それから、えも言われぬこの素晴らしい風鈴が聞え、最も素晴らしい音でした。非常に低い音から非常に高い音まであるのでした。私がこのエリアに近づいたとき、木々があり、鳥とかなりの数の人がいましたが、すべて皆、光で作られているのを私は見ることができました、そしてそれは信じられないほど、本当に美しく、私はこの経験に非常に圧倒されました、何故なら、私には光がどのようなものか本当に想像できなかったからです。私はまだ、これについて話すとき、非常に感情的になってしまいます。 。 。そこで私が持ちたいと願っていたどんな知識もが、私にもたらせられたからです。 」

 

 

さらにヴァンロンメル博士は、ヴィッキーの経験の一部について、彼女が以前の知り合いと出会った(そして見た)ことの要約を引用している。

 

その人々は5名である。デビーとダイアンはヴィッキーの盲学校の学友であり、ずっと前にそれぞれ11歳と6歳で亡くなっていた。生きていた時は、彼ら両方とも重度の知能発達障害で盲目だったが、ここでは明るく、美しく、健康で、生き生きと見えた。彼らはもはや子供ではなく、ヴィッキーが言うには、「彼らの人生最良の時」にいた。さらに、ヴィッキーは彼女の子供時代に世話をしてくれ、とうに亡くなった二人、ズィルク夫妻を見た。最後に、ヴィッキーの祖母がいた。彼女は本質的にヴィッキーを育て、この事件のわずか2年前に亡くなっていた。しかし、祖母は他の誰よりもずっと後ろにいて、ヴィッキーを抱きしめようとしていた。

 

最後に、ヴィッキーは彼女の体に再び入る義務があった。

 

「そして、私は送り返され、自分の体に戻りました。それは耐え難いほど痛みがあり、非常に重く、とても気分が悪いことだったのを覚えています。 」

 

オランダの医師で心臓病専門研究者であるヴァンロンメル博士は、ヴィッキーの事例についてコメントしている。

 

「眼球と視神経の萎縮の結果として生まれつき盲目であり、視覚大脳皮質が発達していない人が、それにもかかわらず、人と周囲を見ることができるというのは、重要な疑問を提起します。この女性は、深刻な交通事故で受けた脳の損傷によって昏睡状態になった瞬間に、体の外側とその上の位置からどうやって自分の体を見えたのでしょうか。彼女は全く見ることができなかった(視覚障害者である)のに、です。その上、彼女は体を出た外側の位置から物事を知覚しています。彼女はどうやってこれをしたのでしょうか?これは何が影響したのでしょうか? 彼女は昏睡状態でどうやって自分の認識に気づけたのでしょうか? 現在の医学知識によれば、これは不可能です。ヴィッキーや他の臨死体験者の視覚障碍者の話は、科学者に意識と脳の関係についての新しい考え方を模索させています。報告されたヴィッキーの観察結果は、知覚や機能的(視覚)大脳皮質による産物ではなく、検証可能な側面を考えれば想像力の産物でもありませんでした。」

 

 

 

 

 

 

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