ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

エンリケのこと

2017-08-31 | アメリカ事情

エンリケは、高校を卒業する頃には、すでに子供がいた。ギャングに入るか入らないかという状態で、刺青で首まわりは騒がしかった。高校卒業もやっと、だったが、ふと州立大学へ行こうかと試みたら、入学できた。最初の1,2年は、過去のつけで大学が只で行う補習クラスに大分お世話になった。やがて一般教育科目の一つに魅了されるかのように夢中になり、それを専攻にしようと決めた。興味を持って、真にもっと知りたいという知識欲がますます湧き、そのクラスだけでなく、全てのクラスでよく勉強し、よい成績を取り始めたが、本当に知りたい、勉強したいという科目はいつでもその科目であった。化学。エンリケは、化学に夢中だった。

幼い娘を養うために働きながら、エンリケはとにかく勉強も怠らなかった。教授やアドヴァイザーらの薦めで、大学院に進むことにした。同時に奨学金(返済義務なし)もいくつか舞い込んだ。彼はいつの間にか、効果的な勉強法を自分で身につけ、大学院を卒業する時には、Latin Honorsラテン・オーナーズと言われる、成績上位5%内、最優等生に贈られるsumma cum laudeで卒業した。そしてその半年前から、スタンフォード大学、カリフォルニア大学・バークレイ校などの医学部や化学部などの博士課程へ、奨学金つきで招かれ始めた。結局彼はカリフォルニア大学・バークレイ校を選んだ。

卒業式の前に挨拶に来た彼は、りりしく、将来をつかんだ青年に見えたが、自分が学んだことやこれから学び研究していくことがいつか人々の役に立つことであるように願っていると言った瞳は、希望に燃えていた。こういう人がガン研究や新薬研究に貢献していき、人を助けていくのだと実感した。

昔職場にいた同僚が、一篇の詩をくれた。それはいまでも私のオフィスのデスクの壁に貼ってある。作者不詳なのだが、毎日大勢の学生、教授、スタッフ、訪問者と会う機会の多い私は、よくその詩に目をやる。そしてあの学生もこの学生も次のエンリケだと、思わせてくれる。

Heavenly Father,

Help us remember that the jerk who cut us off in traffic last night is a single

mother who worked nine hours that day and was rushing home to cook dinner,

help with homework, do the laundry and spend a few precious moments with

her children.

Help us to remember that the pierced, tattooed, disinterested young man who

can’t make change correctly is a worried 19-year-old college student,

balancing his apprehension over final exams with his fear of not getting

his student loans for next semester.

Remind us, Lord, that the scary looking bum, begging for money in the same

spot every day (who really ought to get a job!) is a slave to the addictions that

we can only imagine in our worst nightmares.

Help us to remember that the old couple walking annoyingly slow through the

store aisles and blocking our shopping progress are savoring this moment.

knowing that, based on the biopsy report she got back last week, this will be

the last year that they go shopping together.

Heavenly Father, remind us each day that, of all the gifts you give us, the

greatest gift is love.  It is not enough to share that love with those we hold

dear.  Open our hearts not just to those who are close to us but to all humanity.

Let us be slow to judge and quick to forgive.  Give us patience, empathy and love.

 

Google翻訳にかけると奇妙奇天烈なものになるので、ご注意を。祈りと同じであるが、要約はつたないが、次のようなことである。

天の父よ

昨夜の交通渋滞で、ふいに私達の前を横切ったたわけ者は、9時間働きづめて、急いで帰宅し夕食を作り、子供達の宿題をみてやり、洗濯機を回し、子供達とつかの間でも貴重な時間を過ごそうとしていた独り身の母親だということを私達が忘れないようにお助けください

あのピアスをし、刺青をし、無関心を装い、きちんと釣銭も勘定できない若者が、19歳の学生で、最終試験について理解を深めようとしながら、来学期の学生ローンが降りないかもしれない不安にさいなまれているのを私達が思い出すことを。

あの同じ街角で毎日人々に恵みを請う強面の乞食が、(薬やアルコール)中毒の奴隷であって、私達の最悪の悪夢でしかない世界に生きていることを私達が忘れませんように。

先週わかった彼女の生検結果によれば、これが老夫婦が一緒に買い物できる最後の年になり、私達の買い物の行く手を阻むかのように店内の通路をゆっくりと歩く迷惑な老夫婦が、その瞬間をじっくりと味わっているのだと忘れませんように。

天の父よ、貴方が私達に下さる贈り物の中で一番偉大な贈り物は愛であることを私達が日々思い起こせますように。その愛が親しい者の間だけで分かつに十分、なのではありません。私達の心を開き、ただ親しい人々だけではなく、その愛を万人にむけられるよう。

私達が人を判断するのに時間をかけ、素早く人を許せますように。私達に忍耐、人の苦しみへの理解、愛をお与えください。

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事件といえば事件

2017-08-30 | 家族

土曜日の夜八時頃、ここから車で一時間の市に住む長男から電話があって、妻のKをER(救急室)へ至急連れて行くので、7ヶ月になる娘を見てくれないかと言う。長男は研修医で、最初の触診で妻は盲腸よりも卵巣嚢腫茎捻転か卵巣嚢腫破裂ではないかと診たらしい。夫と私は五分経たずして出発した。

右下腹部の痛みが強くなり、息子は娘のZを子供シートに入れて、病院へ患者となった妻を連れていった。幸いERにはちょうど研修医仲間が詰めていたので、即座に受け入れてくれたということ。私達夫婦が到着すると、家の外にZを抱いた息子がいて、私がZを受け取ると、早速彼は病院へ戻った。

孫のZは、夜泣きするし、なかなか気難しいと聞いていたが、しばらくして親のいないことに気づき、不安から泣き始めた。夫は多少その泣き声の強さに心配したようだったが、私はZに話しかけながら、抱いて歩き回り、気長に勝負よね、と覚悟していたが、やがて私の腕の中でころりと寝入った。

Zをクリブに移し、手があいたので、慌しさが伺えるキッチンで洗い物をすませた。夜もずいぶん更けてきて、夫も休ませ、私はひとり居間で息子のテキストを待ち、孫の夜泣きに備えた。こういう時、スマートフォンは便利である。Netflixで見かけていたMidnight In Parisを見終えた。 

息子は報告をしてくれ、超音波検査では痛む右下腹部の盲腸も卵巣も異常がないとわかった。更にCTスキャン検査をして、当面痛みを緩和する薬剤を、と提案されたが、授乳中なので、そして痛みが和らぎ始めていたので、Kは拒否したという。CTスキャンの放射線量は確かに普通のX線レントゲン一枚より多いが、腹部への被爆量は1.2ミリシーベルトである。

普通に地球上で生活していると受ける自然放射線による被爆量は、年2.4ミリシーベルトである。よってこの検査の被爆量は、日常気にしていない自然放射線被爆量との比較により、影響の発生を心配する必要はない、と医学界は考えて差し支えないと聞く。妊娠はなく、胎児への影響も関係ないし、これが授乳に被害をもたらすとは考えがたい。医療被曝による影響の大きさよりも患者への利益がはるかに大きいと思う。

しかしながら患者が拒否するなら、誰も無理強いはできない。やがて痛みはあるものの、かなり軽減して、ERでできることはなくなり、午前二時を過ぎて二人は疲弊して帰宅した。まず二人を寝かせ、Zの様子をチェックしてから、万が一のため、一晩そこで夫と過ごすことにして休んだ。

翌朝早く私達は息子の家を出て帰途についたが、三十年前の若さはとっくにないから、帰宅早々泥のようにくたくたになって眠った。後で息子が、彼女は痛みはあっても薄れてきているから、週日に専門医に検診してもらうことにしたと言った。そして息子が、Zがたいしたエピソードもなく、寝入ったのを聞いて、不思議だと言ったが、そこは五人生み育てた経験のある祖母だもの。

幼ない娘のために気の遠くなるような痛みをこらえ耐えていたKが、かわいそうでならない。初めての子供を育てながら、在宅で病院勤務を続けているその健気な肩は本当に薄い。多くの医学生や研修医は、妻帯者であれば、その間福祉に頼ることが多いのに、そして今助けてもらって後日一人前になった時、その恩返しをする医師や歯科医はたくさんいるのだ。そう言ってもKは、福祉は本当に困っている人のためであると休まず働く。その生真面目な姿勢があまりに一途なので、医療放射線量は心配することがない、と説明するのは息子に委ねて、私はせめて子守りのお呼びがかかるのを待つ。それが私のできることである。

この小さなひとも、おかあさんの健康を願っている。


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日本女性

2017-08-29 | アメリカ事情

読売新聞オンラインを読んでいて、いままで気がつかなかったコラムに目が行った。パク・スックチャというコラムニストの記事。タイトルは「外国人男性にモテる日本人女性の『残念なこと』」。ふ~ん、一体なんでしょうか?

彼女は、東京で、白人と日本人のカップルをよく見かけ、ほとんどが、白人男性と日本女性だと言う。彼女のまわりにも、三組ほどの欧米白人男性と日本人女性のカップルがいて、“日本人女性が白人男性にモテることを実感”しているそうだ。

彼女がアメリカに住んでいた頃も、ジョークにせよ、日本人女性は高い評価を受けていた、と言う。彼女によれば、成功している実業家は、アメリカの収入を得て、中国人のクックを持ち、イギリス人の家に住み、日本人の妻を持つ。成功していない実業家は、中国人の収入を得て、日本人の家に住み、アメリカ人の妻を持つ、だそうである。

これは、いわれのない(くだらない)迷信(=Old Wives’ Tales)の一つに過ぎない。それにずいぶん昔に、私が聞いたのは、アメリカの男性は日本人妻とアメリカの家に住み、中国料理を食べる、だったように記憶する。どちらにしても、日本人妻というのが、しとやか、特に夫には常に気を使い、尽くす、と言うイメージがあるから、とコラムニストは言う。まして、日本人妻は、夫の欧米白人男性の成功まで表す、と言うコラムニストのまことしやかな考え方には違和感を覚える。彼女自身がそうしたステレオタイプを信じている。

パクさんによれば、これは、欧米人に限らず、インドネシア、香港などアジア人男性も、日本人女性の妻をもらうことに憧れるらしい。彼女によれば、男性が国籍と関係なく、静かで、しとやかで、自分に尽くしてくれる女性を求めている、と言うことらしい。そして同時に、それが、日本女性の”残念”であることらしい。

自己主張のなさ、あるいは少なさから、日本女性の社会での活躍は、世界経済フォーラム(WEF)の調査によると、142カ国中104位と先進国なのに、極端に低い。さらに、日本女性は高い教育を受けている人が多い、と言うのに、である。国際経営開発研究所(IMD)の調査では、2014年度の国際競争力ランキングでは、47か国中21位だそうだ。

日本女性とて立派な宇宙飛行士を輩出したし、他のあらゆる分野でも世界で活躍する方はいくらでもいらっしゃるではないか。派手に知られていないだけ、なのではないだろうか。そして先述の調査がどのような方法で統計されたのか、疑問もある。どんな手段をとってもお金を儲ければ、それで社会的地位が築かれ、尊敬に値する、というのは、否定する人が多いのに。

アメリカに住んでから久しいが、いろいろな日本人女性を目の当たりにしてきて、2017年の現在でも、上記のような幻想を抱く男性がいるのかと少々信じがたくも思う。私自身けたたましく自己や権利を主張することは趣味にあわないので、遠慮するが、これでも自分の意見は持ち、必要があれば述べる。そんな日本女性は多いのではないだろうか。そしてそれが日本女性の”弱さ”’欠点”とは、到底思えない。ひどいステレオタイプである。

夕食を準備していた夫にこのコラムについて話したあとで、そんな幻想があったのか尋ねると、ひとしきり笑い、サラダを作りながら、夫は言った。「君は、だいたい生まれる時に、バス停を間違えて降りてきただけだよ、大きな水たまり(太平洋)をひとつ越してくるのを忘れていたし。君らしいと言えば君らしいけどね。」 幻想がなければ、失望もないということか。夫と私は手をつないで同じ方向へ歩いてきたと思う。Side By Side。明日の夕食は私が作ろう。

 

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アメリカの高校生のプロム その2

2017-08-28 | アメリカ事情

Hello, will you go to Sadies with me?

 

Sadie Hawkins ダンスやプロムへの誘い方も、色々ある。単に誘うのではなく、知恵を絞って苦心してアイデアを出している。長男をSadie Hawkins に誘うのに、彼のいない時間帯を見計らって、2,3人の女子が我家を訪ねてきて、是非彼の部屋にダンス招待の飾りつけをしたい、と言う。戸惑ったが、その朝長男がきちんとベッドをメイクしていたのを思い出し、こぎれいにしてあるかをチェックしてから、招いた。するとクローゼットの上の壁に切り抜いた紙の文字をひとつづつ糊で貼り始めた。 XXX(息子の名)、Will you go to Sadies with me?

風船やら色紙で切り抜いたハートの形やらもせっせと、つけていた。すでにこの女の子は切符も買っていたので、息子はダンスに行った。玄関のドアを開けてすぐのフロントルームの壁にお誘いのバナーがいくつかのキャンディバーと共に吊るしてあったこともあった。こういうのを女子力と言うのか、非常にたくましいものだ。

プロムでは、隣の学区の高校生や、同じ学区でも違う高校生からのお誘いもあって、長男は、ひとプロムシーズンに三つの違う高校からお誘いを受けて、三校のプロムへ出かけたことがある。不思議なことだが、息子達も娘達も自らお誘いすることはなくて、ひたすら受身だった。ただひとつの例外は三男がシニアプロム(12年生のプロム)に、ある女の子を誘った。四年後に三男の妻となった彼女である。

娘の場合は、あるクラスでいつも座る席に、花束と招待状があったり、娘の車を飾りつけて、誘うなど、ありきたりのやり方もあった。一回は新品のトイレットをわざわざ仕入れて、蓋をあけるとそこに彼の写真が張ってあり、シートにはお誘いの手紙が貼ってあった。これを玄関の前に夜置いてくれたので、翌朝夫は電話で「ただちにそれを持って帰らないならば、娘はプロムへ行けない」、と言い渡したら、五分も経たずに、そのボーイは撤収しにきた。 無事プロムへ彼は娘を連れて行けた。

娘の一人はシニアプロムに二人のシニア(12年生)と一人のソーフォモア(10年生)から同時に申し込まれた。いつもランチを一緒に食べるボーイズが、お目付け役かのように、”審査委員会”をして、あれは駄目、これは駄目と評価した。それを聞いてはいたが、結局娘は10年生に決めた。理由は二歳年下でも、礼儀正しく、信頼できるから、であった。ランチ仲間は、「二年下が、よくシニアを誘えるもんだ」と言ったが、娘が安全と思うなら、と一様に賛成して”くれた”。


子供達は、仲間とよく一緒にどのプロム時にも、行動してくれたから、世に数ある一夜の間違いなどとは無縁で、楽しいひと時をそれぞれ過ごせた。子供が帰宅するまで、眠れない親としてかなり安心したことである。プロムに限らず、子供達は一人一回づつのデート(同じ相手とは一度以上デートしない)をして、社交感覚を身につけ、子供達は大学へ巣立っていった。プロムやダンスや枠にはまった、でも健全なデートにはそういうおまけが隠されている。

概してアメリカの青年が親しみやすいのは、若い時から、社交の場でのマナーや会話のコツをいつのまにか、学んできたからかもしれない。もちろんそれが全ての若者に、あてはまるわけではない。けれど、人との会話やマナーに気をつけるようになると、人を思いやるのがその根底にあると気がつく。

子供達が中高にいた頃の話だが、ある日、突然見知らぬ母親から電話が掛かってきた。彼女一家は半年前に合衆国へ移住してきてから、息子さんKは転校生。何ヶ月か経つというのに友達がひとりもできず、いつもランチを一人で食べていたそうである。

あるお昼、背の高い少年がKに、一緒にここで食事してもいいか、と尋ねたそうだ。Kは最初訝ったが、少年は「お昼はみんなで食べるともっとおいしいよね」と言いながら、そばに座ったと言う。 

食べながら面白おかしい話を少年はたくさんしたので、 笑い転げるうちにKはすっかり打ち解けたらしい。少年は次からは自分の仲間を連れてきて、Kとランチ時間を過ごし始めた。やがて他の活動にも積極的にKは”仲間”と参加するようになって、学校生活が楽しいと、母親に言うようになったそうだ。 最後に彼女は息子へのお礼の言葉で、電話を切った。

電話が掛かってきた時は、一体長男は何をしでかしたのだろう、と不安がよぎり、心配だったが、そうではなかったので、ほっとした。長男はそんなこと一言も言ってなかった。そうか、そういう子だったのか。

http://www.lovethispic.com/uploaded_images/159172-Be-Kind-To-Others.png

 

 

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アメリカの高校生のプロム 

2017-08-27 | アメリカ事情

アメリカの中高生は、勉強やアルバイトやクラブ活動それに地域のヴオランティア活動などで忙しいが、それだけに没頭するのではなく、社会性や社交性を培うためにダンスがある。中学生(八年生)でも学校によるが、ダンスはある。

下は高校が催す典型的なダンスパーティの例。

  1. Sadie Hawkins(参照:ここ
  2. Homecoming dance (参照:ここ
  3. Prom (参照:ここ)
  4. Winter Formal (参照:ここ) 
1はインフォーマルで男女がその年のテーマに沿って服装を決め、女子が男子を誘う。 2~3はフォーマルなダンス。女子から誘うこともあるが、男子から誘うことが伝統的に過半数。男女共にフォーマルな装いで、通常男子が女子を迎えにくるが、女子にはコサージ(ドレスの胸につけるのと、腕首に付けるのがある。)が渡され、男子はコサージュとともに準備したBoutonniereブート二アを上着の胸につける。両方を持ってきて、女子宅で両親や家族の見る中、二人でそれらを付け合うことが多い。出かける前に、大抵両家族がよってたかって二人の正装姿をカメラに収める。

若~い三男とデートのSadie Hawkins この年のテーマはProfession(職業)

 
プロムダンスへ行く前に男女はレストランで食事をするが、少し格のあるレストランを選ぶ。プロムはだいたい3時間で、7、8時頃始まることが多い。プロムの後は、各カップルが幾組か集って、仲の良いグループでその誰かの家で、ボードゲームをしたり、映画を観たり、軽い食事をしたりするのが、ここ(私の住む市)では一般的。中にはよくないことを計画するカップルもいて、酔って朝帰りもたびたび聞く。子供達は遅くとも1時2時には帰宅していた。
 
高校生のうちに、ステディ(デート相手がいつも決まっている)になるカップルもいるが、夫も私もそうしたことは大学以上で始めればよい、という考えだったので、子供達も同じ相手と二度とはプロムやその他のダンスに行かなかった。デート自体もうちでは16歳から、と決めていて、子供達も納得していた。特に娘達は、ひとり一回のデートをして、映画や学校のミュージカルや劇などを楽しんでいた。うちの門限は、12時と決まっていたので、それを尊重するかどうかデートの前に相手に確認していた。12時を1分過ぎるとうるさい母親がテキストしてきたから、子供達も門限は守るものだと心得ていた。
 
プロムは高校生活の楽しさの筆頭にあがるだろうが、参加するには、コストがある。男子がほとんど誘うから、プロムの切符代、花代(コサージュとブートニア)、タックスなど正装一式をレンタルすれば、その代金、食事代、リムジンを使えばその車代など負担する。予算$500くらいと見て、そのためにせっせと働く。新聞配達、芝刈り、子守りといろいろしている。女子は、プロム会場での写真撮影代、ヘアスタイリスト代、ドレス代などを負担するが、やはり$500くらいまでかかる。それ以上お金を出す親もいる。 

息子たちはタックス一式をレンタルし、花類は私の勤める大学の園芸部がその時期割安で(でも遜色はない)売るので、それを求め、自分の車を洗車して中もきれいにして使うか、あるいは、スポーツカーやキャデラックのエスカレイドを知人から借りていた。そのお礼にSee's チョコレートの箱入りを多く使った。グループで運転手付きのリムジンを使うグループもいる。

次男のプロム#2と二女のプロム#4


娘達の場合、ドレスは私が作ったり、購入しても必ず手を加えた。既成品はロウカットで、スパゲティストラップ形式や、あるいはストラップレスなどの、肩を顕わにする物が多く、娘たちも息子たちもあまりそうしたドレスは好かない。髪は子供達のピアノとチェロの先生が、美容師の資格も持っていたので、お願いした。
 
ある時娘の一人が、肩も出さず、胸元がロウカットではないドレスを着てダンス会場へデートと行った。普段非常にリベラルで知られる女の子が近づいてきて、娘のドレスを褒め、淑女のようで羨ましい、と言った。娘は一瞬嫌味かと思ったが、彼女は続けて、「ストラップレスで、いまにも胸があらわになりそうな、丈の短い自分のこのドレスを恥じるわ」、と言ったそうである。

まだ十代であまりにも挑発的なドレス(芸能人が着るような)は、子供達も非常に着心地が悪いというのが本音だったのだろう。子供は意外に保守的で控えめでいたい時期もある。そうしたドレスを直してもっと十代にふさわしい物に作り変えて欲しいと親御さんたちからよく依頼された。ウェディングガウンまでも修整を依頼されたことがある。つまり私達だけが特に厳しい、というのではなかった。 芸能人の服装や一挙一動がお手本の風潮があるから、挑発的なドレスが十代向けにもたくさんある。子供も親も実はそうではないドレスを本当は願っている。

門限にしても定めていた我家だが、ある時、娘の一人が言った。「でも、おかあさん、よそでは、3時くらいまでテレビで映画を観たりして寝るのが遅いのに、何故うちはうるさいの? よそでは門限なんてあってもないのよ。」 そうきたか、と私は答えた。 「うちはヨソではないからよ。それに深夜になればなるほど、怖ろしいことがたびたび起こるものよ。門限は、貴女を守るため、と考えてちょうだい。 うちはヨソじゃないのを忘れないでね。」 とまるで「狼と七匹の子ヤギ」の母ヤギのごとく答えたら、娘は言い返しもせずに、一件落着した。


続きは明日
 
 
 
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