ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

Trunk or Treat

2017-10-31 | アメリカ事情

先週半ばから、南カリフォルニアから暑気がやって来た。例年温暖なカリフォルニアでも、ハロウィーンの頃は肌寒くなり、Trick or Treatに子供達を連れていく夕方、風邪をひくまい、ひかせまい、とコートが必要だったものだ。知人のお宅だけ、それでもかなりの家を回ったものである。今年は暖かい。我が家のブラックシーネトル、オキクラゲも、張りきった。

 

 

 

電気クラゲにもなれる。様々な裁縫ノーションなどを駆使して触手を演出。母親の苦心作。

電池パケットが重くて父親が運んでいるクラゲ。クラゲの父親も苦労する。

 

昨今は大人が大騒ぎをして扮装して職場へもやってくるが、私のオフィスも例外でなく、火曜日は黒い服装で出勤してきて、と頼まれた。オフィスの誰かが、ボードゲームのScrabbleのコマを印刷するから、それをひとりひとりが体に貼り付けろ、ということである。私は、ハロウィーンは子供中心の行事であると思っているので例年、遠慮しているが、今年は簡単だし、たまには、 a good sport(気楽にジョークを受けられる人)になることにした。Scrabbleのコマなら、痛い扮装ではなかろうと。

http://www.thesimplemoms.com/wp-content/uploads/2014/03/Scrabble-Game.jpg

 

 

ハロウィーンは、キリスト教の行事と勘違いされているが、はっきり言えば、ケルト人のお祭りで、つまり異教徒の行事が、西方教会(ローマンカソリック教会を指すことが多い。)の諸聖人の日と重なっていつのまにか、宗教的意味も失われて今のようになったのである。教会によっては、容認しない場合もあるが、宗教を離れてのお祭り(もともとは収穫を祝う意味もあった)として人々は楽しんでいる。

 

私の教会では、教会の駐車場に会員家族が駐車して、トランク(Trunk)を飾り、キャンデイを配るTrunk or Treatを毎年催す。今年は先週金曜日の夕方だった。ここだけではなく、合衆国やカナダの至るところの教会で行っている。子供達の安全を考慮している。見ず知らずのお宅へ伺うのは、今時危険性が伴うことが多いので、若い子供を持つ親にとっては、ありがたいことである。コーンブレッドとチリ(Chili con carne) のcook off (クックオフ=コンテスト)も同時にある。

 

http://www.ldsliving.com/50-Trunk-or-Treat-Decorating-Ideas-You-Wish-You-Had-Time-For/s/77013?page=2#story-content

http://www.ldsliving.com/50-Trunk-or-Treat-Decorating-Ideas-You-Wish-You-Had-Time-For/s/77013?page=2#story-content 

 http://www.ldsliving.com/50-Trunk-or-Treat-Decorating-Ideas-You-Wish-You-Had-Time-For/s/77013?page=2#story-content

 http://www.ldsliving.com/50-Trunk-or-Treat-Decorating-Ideas-You-Wish-You-Had-Time-For/s/77013?page=2#story-content

 

東京では、渋谷に仮装した人々(ほとんどが大人)がひしめき合って集まると聞くが、渋谷は私の生地。そんなハロウィーンのどんちゃん騒ぎに使われるとは、想像したこともなかった。それでは、楽しく安全なハロウィーンをお過ごしください。

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再びあの暦から

2017-10-30 | アメリカ事情

https://www.almanac.com/content/when-is-halloween

こんなキャンディコーンは、ハロウィーンにつきものの砂糖菓子。日本人でこれが好きと言う人は聞かないが、こちらでは定番で、好む人も結構いる。この行事にはお菓子が溢れるが、キャンディ以外にもハロウィーンの季節に楽しめることもある。それはちょっとした手作業だが、楽しい。それを今回再びあの暦からご紹介しよう。

candy-corn-1726481_1920_full_width.jpg

 

伝統的なクラフトで、アメリカ原住民は、祭事のためにスピリチュアルなメッセンジャー人形をコーンハスク(トウモロコシの皮)を用いて作った。初期植民者も作り、顔を塗ったり、目鼻を描き入れたりして、玩具として作ったそうである。素朴なearly Americanな人形である。今はそう見かけななくなったが、1970年代には、よく見かけたし、あの頃は、合衆国が、バイセンテ二アル(200年)建国を祝っていて、初期アメリカを懐かしみ、服装から家具までその影響があった。こうした素朴なクラフトも人気があったのである。

 

https://www.almanac.com/content/halloween-crafts

 

必要なものは、

  • 乾燥したキメの細かいコーンハスク(メキシカン食品の売り場にある。)
  • 乾燥したコーンハスクを温水に漬けて扱いやすくする。
  • 染めたければ、通常の布用の染色剤を用いる。(コーンハスクは少々染めるのに時間がかかる。)
  • 頭は、ハスクを丸めてボール状にし、二枚のハスクを折ってボールにかぶせる。上記のようにボールの下を木綿糸か強い紐で縛る。
  • コーンハスクを丸めて硬いチューブ状にして、腕を作る。あるいは、三つのハスクを編んでも良い。
  • ドレスは、二枚のハスクを左右から掛け、ウェストの所で、縛る。
  • 人形が立つように、スカートを切りそろえる。
  • トウモロコシの毛を頭部に髪として貼り付ける。
  • 出来上がり。
 
 秋の夜長の手なぐみに楽しいかもしれない。

https://www.almanac.com/blog/almanac/everything/origins-halloween-traditions

 

 

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信じようが信じまいが

2017-10-29 | わたしの好きなもの

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Marcelino Pan y Vino ( スペイン語でパンとワイン;英題 Miracle of Mercelino; 邦題 穢れなきいたずら)と言うスペイン映画がある。制作年は1955年だが、私がこの映画を最初にテレビで観たのは、それからずっと後の小学生の時だったと思う。そんな太古の昔なのに、この映画の主題歌(マルセリーノの唄)までしっかり覚えている。「ぼくの伯父さんと言い、私には、たいして生活には役立たないだろう記憶がしっかりあるものだ。

 

https://images-na.ssl-images-amazon.com/imagesMarcelino

スペイン語版の映画ポスター

 

この「穢れなきいたずら」は、イタリアの民間伝承を題材に書かれた小説から作られた映画で、幼い私にも十分理解できた。マルセリーノは、修道院の前に捨てられていた孤児で、修道士達に育てられる。純真でいたずらっ子なこの少年は、屋根裏部屋には農具や工具を保管しているから、決して入るなとある修道士から厳しく言われる。「男がいて、もし入ったりしたらつまみ出される」と脅かされもした。しかしマルセリーノは好奇心からある日その部屋を覗く。するとそこには本当に、「男」がいて、マルセリーノは話しかけるが、「男」はなにも言わない。

痩せこけて空腹そうに見えるから、パンを持ってこよう、とマルセリーノは部屋を後にし、持ってくる。すると「男」は腕を差し伸べて、パンを受け取る。傍にあったひじ掛け椅子に座るようマルセリーノが勧めると、「男」は十字架から降りて腰かけた。そしてマルセリーノに自分が誰だか知っているかと聞く。少年は「神様です」と答える。「男」は少年が運んできた物を喜び、少年はそれから毎日それらを台所からくすねて持ってくる。その「男」とマルセリーノはその間「男」の母親や、自分の母親についてよく話をした。

ある日修道士のひとりが頻繁に足りなくなる食料を不審に思い、マルセリーノの仕業だろうと、少年の後をつける。そうとは知らずに屋根裏部屋に入ったマルセリーノに「男」は親切な彼の願いを叶えようと言う。マルセリーノはその「男」の母親と自分の母親に今すぐ会いたい、と願う。すると「男」はマルセリーノをその腕に抱き、マルセリーノは目を閉じる。それをドアの隙間から見た修道士は十字架に張り付けられたキリストが動き、話したのを見て驚愕のあまり他の修道士達を呼び募る。みなで駆け付けると、キリストの腕に抱かれたマルセリーノはすでに、こと切れていた。

 

https://i5.walmartimages.com/asr/7da3e654-b1a6-4140-b078-81fd7c3b2e33_1.243133eb0ae9e909a9ee9d72000947bc.jpeg?odnHeight=450&odnWidth=450&odnBg=FFFFFF

アメリカ版映画のポスター

 

 

この映画に落涙滂沱した私は、自分も子供だったのにも関わらず、マルセリーノの純真さに心打たれ、信仰の信の字も知らなかっただろうに、なにかを信じることの力に感動したのだった。後日、まだ学び舎にあった私が改宗した背景には、案外この映画の余韻があったのかもしれない。

かの心理分析学者のカール・ユングの座右の銘は、「祈ろうが祈るまいが神は存在する」であった。彼は自らのユング心理学(分析心理学)を通じて神を理解しようとしていたようだが、司祭であった古人*の言葉を大切にしていたのは、なんだか微笑ましい。

*Desiderius Erasmus Roterodamusデシデリウス・エラスムス・ロテロダムス、哲学者・神学者・カソリック教会の司祭。ラテン語で"VOCATVS ATQUE NON VOCATVS DEUS ADERIT,"  "Bidden or Not Bidden, God is Present." 日本語では、おそらく「祈ろうが祈るまいが神は存在する」ということになる。

このユングの座右の銘をクロススティッチにした小さな布を高校を卒業した長女へのお祝いに作ったキルトの裏に私は縫い付けた。どんな時にも神を忘れないで、の母親の老婆心の現れである。そうだ、マルセリーノの映画も教えておこう。

*V=U

 

祈ろうが祈るまいが、神は存在する

Bidden or Not Bidden, God is Present

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篤志家

2017-10-28 | アメリカ事情

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Philanthropist (フィランソロピスト)という英語。慈善家・篤志家のことである。大学に働いて、この言葉を幾度目にしたことだろうか。以前のブログにも書いたが、合衆国には桁外れに膨大な寄付をする個人や慈善団体が驚くほど多い。例えばアイビーリーグの大学出身者は、頻繁に母校に多額の寄付をして、新しい研究センターを建てたり、校舎さえ作る費用を出してしまう。教育、医学、芸術、青少年、地方オーケストラ、スポーツ、とありとあらゆる分野に寄付はなされている。


ビルとメリンダ・ゲイツ夫妻(Microsoft)は、世界中に恩恵のある小児予防接種促進援助などの保健衛生の分野から、合衆国での教育方面へ、去年一年で21億4千万ドル寄付している。合衆国で長者番付1,2位をゲイツ夫妻と競う、投資家で経営者のウォーレン・バフェット氏は、去年合衆国一の篤志家となり、28億6千万ドルを寄付している。さらにバフェット氏はゲイツ夫妻と協力、2006年に資産の85%にあたる374億ドルを寄付すると発表し、その後そのうちの310億ドルをビルとメリッサ・ゲイツ財団に寄付すると決めた。


天文学的な数字の多額な寄付を喜んでする裕福なアメリカ人は、人の生活の向上のために国の内外を問わず、健康の推進、教育、と様々な分野へ寄付をする。そして上記の人々のように経済的に大成功を収めた裕福な人以外に、通常の、市井のアメリカ人も、概して非常に慈善活動に気前がよく、出来うる限りの寄付をする。


私の勤める大学にも先週匿名で100万ドルを科学と数学学部へ寄付された方がいらっしゃると発表された。遺伝子学と分子生物学研究の費用に充てるよう寄付されたのだ。いままでこの大学に多くの方々が寄付をされ、校舎が一つ、二つ建てられている。


建物や設備でなければ、教授の研究費用や学生への奨学金にも、そうした寄付がある。今年ハワイ大学大学院を卒業した息子は、在学中必要な学費本代など100%支給する、ある寄付団体の奨学金を幸運にもいただいた。ここで言う奨学金は、学生ローンではなく、返済不要である。息子はたいへん感謝し、すぐに、その奨学金財団にお礼状を出した。次は息子が社会にお返しするバトンを渡された。


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どの国が世界中で一番気前がよいか、のリストトップは、合衆国、次はニュージーランド、次はカナダ、そして4位が英国である。個人的に国民が慈善寄付をした額を国内総生産(GDP)に対してのパーセンテージで表すと、合衆国は1.44%、ニュージーランドは0.79%、カナダは0.77%で、英国は0.54%である。これは寄付財団の数字ではなく、個人がする寄付に関してである。(www.independent.co.ukより)


何故この4か国はこれほど寄付をするのだろうか。少なくとも合衆国では、そこに二つの理由があり、それは、両親と信仰、が主な要因だと研究者は言う。そういえば、両親は育児する過程で、玩具を他の子供と分け合って遊ぶように、ということを口に出して言う。親切にされれば、その場で親は、子供に「お礼は?」と促す。そんなことから分かち合いを習うのかもしれない。


あるいは親が教会に什分の一や寄付を納めるのを見て、習うこともあろう。親の言動から学ばないでも、後に信仰を持ち、慈愛の大切さを理解して寄付をすることも多い。キリスト教精神が、たとえ今現在本人が定期的に教会へ行かなくとも、これと言った教会の会員ではなくとも、その人のDNAに満ちているかのように、寄付をする人々もいる。黄金律「他人から自分にしてもらいたいと思うような行為を人に対してせよ」(山上の垂訓)の倫理である。キリストの「為せ」と言う能動的な教えが、何世代にもわたって身に染み込んでいるのだろう。


お金持ちでなくとも、寄付はできる。金銭でなくとも寄付はできる。時間や力や子守や食事や留守番やお使いや運転や、献血もそのひとつ。ほんのちょっとの私達の”できる”ことが、潤滑油のように、世界をスムーズにする可能性を秘めている。あなたも、”篤志家”になれるのだ。

 

 

https://i.pinimg.com/736x/fe/06/33/fe0633d125e0d839d0436de13fdfdfc9--premature-baby-knitting-patterns-free-helping-hands.jpg

 これは未熟児や病気の赤ちゃんの体温低下を防ぐために、帽子を編んで小児病院に寄付するプロジェクト

 

 

https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-4a-47/kakuchan1964/folder/566791/61/18667461/img_0

日本の「伊達直人」さんやタイガーマスクさんも立派な篤志家である。かっこいい。

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ポール・ハーヴィ・和訳付き

2017-10-27 | アメリカ事情

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/8a/Agriculture_%28Plowing%29_CNE-v1-p58-H.jpg

 

 

http://www.eransworld.com/wp-content/uploads/2013/02/paul-harvey.jpg

ポール・ハーヴィ氏

 

日本の方にはおなじみがないかもしれないが。。。2009年2月28日アリゾナ・フィニックスでボール・ハーヴィ(Paul Harvey; 本名はPaul Harvey Aurandt)はその90歳の生涯を閉じた。彼はABCラジオネットワークスで、The Rest of the Storyという番組をおよそ30年に渡り、週日(土曜日もあった)の昼間、私のいた地域では正午に30分程度放送していた。

彼の特異な声音や読み方は聴く者の耳に心地よく、何かをしていても、ふと手を休めて聞き入ることもしばしばあった。人々、事象、物事などのそう知られてはいない裏話を味わい深く、話していた。大学時代に聴き始め、それこそ彼の没年近くまで暇があればラジオをつけて聴いたものだ。

特に育児期間は、子供の昼食を作り、食べさせ、その後歯磨をさせ、昼寝にベッドに送る、そんな単調な時間に、昼食に帰宅した夫と一緒に聴いていた。そしてポール・ハーヴィの話していたことについてお互い意見を述べたものだ。毎朝、朝刊を拾いにドライブウエイに出る、植物に水をやる、いつまでも続くような日々のリチュアル(儀式)のようなことの一つは、彼の放送を聴くことであった。

ポール・ハーヴィの話題は、様々で、独立戦争のことやケネデイの暗殺、コカコーラの由来、歴代大統領、あるいは市井の人々、と盛りだくさんなことだった。彼は、いつも"And now you know the rest of the story.  Good day!"と締めた。ほとんどの話は、しばらく心に余韻を残したものだ。

おそらく彼の死後その名を再び合衆国に知らしめたのは、あの有名な”So God Made A Farmer”だろう。”So God Made A Farmer"は1978年Future Farmers of America*のコンベンションでポール・ハーヴィが演説したものだが、1986年にハーヴィの新聞コラムで出版され、2013年のSuper Bowl XLVII用のDodge Ram Truck(ダッジ・ラム・トラック)のコマーシャルに使われたことによって再び脚光を浴びたのだった。

コマーシャルのナレーションには、オリジナルのまま、ポール・ハーヴィの朗読音声を用い、Future Farmers of Americaと提携してアメリカ各地の農夫たちの写真を使用した。YouTubeヴィデオのこのコマーシャルを鑑賞した百万人毎に10万ドルをFFAに寄付すると、ダッジは約束した。これはたったの5日もかからずして、達成された。

*Future Farmers of America(アメリカの未来の農業従事者)は、略してFFA。合衆国の中高生を対象に農業の推進と支援を進める公的な青年組織である。下図はFFAの紋章。

 

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/en/thumb/8/86/FFA_Emblem_Feb_2015.svg/804px-FFA_Emblem_Feb_2015.svg.png

 

これは、多くの人を感動させた。そのコマーシャルは今でもYouTubeで観られる。彼が逝って四年後に思いがけなく耳にしたあの特異な口調に、懐かしさとその詩の美しさに感動したのは、私だけではなかろう。ポール・ハーヴィは、アメリカーナと言っても差し支えない人物だった。

その詩So God Made A Farmerの全文が下である。要は、いかに農夫は力強く開墾し、その農場を手入れし、農作業に励み、家畜の世話をし、そんな忙しさの中でも家族や友人など地域社会の万事に協力的で一市民として出来ることあるいはそれ以上の助けをし、草刈機を止めて牧場に見つけた足を怪我した小さなヒバリの手当てにも余念がない、そんなアメリカの農業従事者について謳っている。

 

       

By Paul Harvey

And on the eighth day, God looked down on his planned paradise and said, “I need a caretaker.”  So God made a farmer.

 

God said, “I need somebody willing to get up before dawn, milk cows, work all day in the field, milk cows again, eat supper, then go to town and stay past midnight at a meeting of the school board.” So God made a farmer.

 

“I need somebody with arms strong enough to wrestle a calf and yet gentle enough to deliver his own grandchild…somebody to call hogs, tame cantankerous machinery, come home hungry, have to wait for lunch until his wife’s done feeding visiting ladies – then tell the ladies to be sure and come back real soon – and mean it.”  So God made a farmer.

 

God said, “I need somebody willing to sit up all night with a newborn colt… and watch it die, then dry his eyes and say ‘Maybe next year.’  I need somebody who can shape an ax handle from a persimmon sprout, shoe a horse with a hunk of car tire, who can make a harness out of hay wire, feed sacks and shoe scraps. Who, planting time and harvest season, will finish his 40-hour week by Tuesday noon and then, painin’ from tractor back, put in another 72 hours.” So God made a farmer.

 

God had to have somebody willing to ride the ruts at double-speed to get the hay in ahead of the rain clouds and yet stop in mid-field and race to help when he sees the first smoke from a neighbor’s place.  So God made a farmer.

 

God said, “I need somebody strong enough to clear trees and heave bales, yet gentle enough to yean lambs and wean pigs and tend the pink-combed pullets, who will stop his mower for an hour to splint the broken leg of a meadowlark.”

 

It had to be somebody who’d plow deep and straight and not cut corners. Somebody to seed, weed, feed, breed, and brake, and disk, and plow, and plant, and tie the fleece and strain the milk, and replenish the self feeder… and finish a hard week’s work with a 5-mile drive to church.

 

Somebody who’d bale a family together with the soft, strong bonds of sharing… who would laugh, and then sigh… and then reply with smiling eyes when his son says that he wants to spend his life doing what Dad does.  So God made a farmer.

 

だから、神は農夫をお作りになった!
ポール・ポール・ハーヴィ
 

そして8日目に、神は計画によって造られた楽園を見下ろして「管理人が必要だ。」とおっしゃった。だから、神は農夫をお作りになった!


夜明け前に起き、乳牛の搾乳をし、畑で一日中働き、再び搾乳をすませ、夕食を食べてから町へ行き、教育委員会の会議で真夜中まで過ごす者が必要だ、と神はおっしゃった。だから、神は農夫をお作りになった!
 
腕っ節のよい誰かが必要だ。子牛と取っ組み合える強さだけではなく、自身の孫息子を分娩するに十分なほどのもの柔らかな強さ。豚を呼び寄せ、気難しい機械を使いこなせ、空腹を抱えて帰宅し、妻が御婦人方と食事をし、その帰り際に、真意を込めて近いうちに又いらっしゃい、と言うまで、自身の昼食を待つのを厭わない。だから、神は農夫をお作りになった!

 

神はおっしゃった。生まれたばかりの仔馬に一晩中寝ずに付き添い、その仔馬が死ぬのを見て、涙をぬぐいながら、「多分来年は...」と言う者が必要だ。柿の若木から、斧の柄を作ることができ、車のタイヤの切れ端を使って蹄鉄を馬に付け、干し草を束ねる針金、飼料袋、靴の断片で、ハーネス(馬具)を作れるような誰かが必要だ。そして...植え付け期と収穫期に、週40時間分の仕事を火曜日正午までに済ませられる者が必要だ。その後、 日々の農作業からの背中の痛み(トラクターバック)を押してさらに72時間働ける者が必要だ。

 

雨雲がやってくる前に二倍の速さで干し草を刈り入れる激務を行い、けれど畑の真ん中まで来て、隣家から煙の出初めを目にするや否や、大急ぎで助けに向かう、そんな者を神は必要となされた。だから、神は農夫をお作りになった!

 

神はおっしゃった。樹木を切り払い、(厩の仕切りの)横木を持ち上げられるほど力強く、しかも子羊を馴らせ、子豚を離乳させ、ピンク色をしたトサカの雛の世話ができ、足を折った草原のヒバリを手当するのに、草刈り機を一時間止めるほどの優しさを持つ者が、必要だ。だから、神は農夫をお作りになった!

 

手を抜くことなく、深く、まっすぐに畑を耕やせる者でなければならなかった。
種を蒔いて雑草を引き抜き、飼育して繁殖させる...そして馬鍬で土を破砕し、ディスクティラーで耕し、植え付け、羊毛を縛り、牛乳を濾せる者でなければならない。 自動食餌器を補充し、一日の重労働を終えて、教会へ5マイルの運転をする者。家族をお互いに分け合うように柔和に力強くまとめ、自分の息子が、「お父さんと同じこと(農業)をして人生を過ごしたい」と言う時、笑い、ため息をつき、そして笑みを浮かべた目で答える誰かが必要だ。だから、神は農夫をお作りになった!

 

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