ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

その後

2019-08-30 | 家族

 

将来を掴んでいる#7

 

 

先週半ば頃、南の空を見ると、S.O.S.の狼煙が上がっているではないか。あれはサンディエゴの末娘色の狼煙、携帯電話でテキスト(狼煙より敏速且つ利便性あり)すると、「おかあさん、彼(娘の夫)は、レイバー・ディ(今年は9月2日)の翌日から法学部大学院が始まるんだけど、その日までのアサイメントが二つもあるのに、ここ一月#7の世話に明け暮れて、睡眠不足と勉強する時間がないの。だから私と#7が三週間ばかりそちらに行こうと思うので、ここに迎えに来て欲しいの。お願いできる?」とあった。

 

木曜日の仕事を早めに終えて、夫と二人で南下することになった。幸いもう片方の祖母はせんだって仕事を辞めたので、しつこく勤務している私の代わりに昼でも夜でも喜んで子守業にいそしみたいということでもあった。夫婦で里が同じと言うのは、至極都合がよい。しかもあちらは娘を我が子のようにかわいがってくださっているのだから、万々歳。

 

長~い間事故多発なフリーウェイをひたすら運転し、やっとホテルに到着したのは午後11時15分前。翌朝朝食も早々に高層アパートの娘夫婦宅へ行くと、夫婦とも午前3時から起きていて、と目をしばたたかせている。末娘は産後の肥立ちもよろしいようで、#7は生まれたての頃から比べると2パウンズ体重は増し、1インチ伸びている。授乳がうまくいっているようで、小児科医も満足だと言う。

 

ただし、コリック(Infantile Colic)ありーああ、乳児疝痛。。。つまりその為に夜泣き。あれこれといろいろ宥めるトリックがあるが、結局は三か月ほどしてからいつのまにか治まっているあれである。いまのところ授乳後に乳児にげっぷをさせることが基本だ。それにしてもひと月の間に、新しい両親は、自分達で様々なあやし方を考え出し、それが板についてきているのが微笑ましい。

 

コリック?なんです、それ?な薄目を開けて。


土曜日の午前中には出立したく、娘と孫の旅支度は、娘の夫がせっせとして、その大荷物を載せて帰途についた。北上するフリーウェイはドジャース・スタジアムでの野球の試合のせいもあって、混雑・渋滞を極めていたが、車の振動が心地よい#7は車中でよく寝てくれた。グレイプヴァイン峠を越す手前のヴァレンシアで遅い昼食を取っても、レストランでも引き続き寝ていて、娘はひさしぶりに人間的に食事ができた、と満足。


 ママが食事中は、キャリア・カバーからおみ足を出してぐっすりと寝入っているひと。


帰宅すれば、お初にお目にかかる長女夫婦と孫#1がやってきた。#1もあと少しでお兄ちゃん。9月18日が予定日だが、第二子なので、#8は、デビュー準備を整えていつやってきてもおかしくなさそう。それにしても姉妹同士それぞれの子供を殆ど同時期に持つ、というのは、傍目にも楽しそうで、家族の歴史が作られていくのを感じる。


子供がいる家は言葉で説明せずとも。

  

#7を抱くのに、列ができたが、緊張の面持ちの二人の従姉妹。

これはおまけ。#7のひと月ちょっと上の#6は、ドイツですくすくと音をたてるかのように育っている。




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征服されざる者

2019-08-28 | 人間考察

emilyspoetryblog.co

 

 

 

この記事は先回記事のネルソン・マンデラに続くものである。27年の長きにわたった獄中生活での心の支えは一体なんであったのだろう。クリスチャンであったマンデラは、その信仰にすがっていたことだろうが、その他に一篇の詩が関わったことも知られている。それは、英国のWilliam Ernest Henley(ウィリアム・アーネスト・ヘンリー)の有名な詩、INVICTUS(インヴィクタス=不屈、征服されない、という意味のラテン語)である。この詩人は幼い頃左足の骨に結核を患い、その足の切断を余儀なくされた。そして病弱故に入院生活も長く、成人し、結婚をし、子供(娘)を授かるが、その子供も幼くして病死してしまう。それでも彼は不屈の精神を持ち、生きた。マンデラがこの詩に勇気づけられたことは想像するに難くない。

 

 

征服されざる者

ウィリアム・アーネスト・ヘンリー

 

私を覆う漆黒の夜の闇は

鉄格子の間に奈落の底のようにひろがっている

どのような方が神であろうとも、私は感謝するのだ

私の魂が不屈であることを

苦境の最中に於いてさえ

私は怯むことなく、大声で叫びもしなかったことを

運命という棍棒に打ちのめされ

我が頭(こうべ)が血を流そうとも

屈しなかったことを

この憤怒と涙のかなたに

不気味に浮かび上がる死の影

そしてなおかつ長きにわたる脅迫脅威も

何一つ私は恐れてはいない

どれほど門が狭かろうとも

私が私の宿命の主であり

私の魂の指揮官なのだ


INVICTUS

William Ernest Henley


Out of the night that covers me,
Black as the pit from pole to pole,
I thank whatever gods may be
For my unconquerable soul.

In the fell clutch of circumstance
I have not winced nor cried aloud.
Under the bludgeonings of chance
My head is bloody, but unbowed.

Beyond this place of wrath and tears
Looms but the Horror of the shade,
And yet the menace of the years
Finds, and shall find me, unafraid.

It matters not how strait the gate,
How charged with punishments the scroll,
I am the master of my fate:
I am the captain of my soul.


誰でも運命に負けそうになる。それでもかつて負けようという誘惑に打ち勝った人々がいたのを知ることはどんな甘言よりも役立つ。虐げられた心は実は不屈の精神を育てる。負けまいという気持ちは、大切である。バイロンでもハイネでもないヘンリーはそれを身を持って教えてくれる。





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ネルソン・マンデラ

2019-08-25 | 人間考察

 

 

 

 

 

ネルソン・マンデラがロベン島に投獄されていた19年の間に、あるひとりの指揮官がとりわけて最も残忍でした:以下はマンデラ氏の回想です。

 

 

「バーデンホルストの退去の数日前、私は本部に呼ばれました。スタイン将軍は島を訪れていて、私たちに何か不満があるかどうか知りたいと思っていました。バーデンホルストは私が要求リストを読み始めた時、そこにいました。私が読み終えた時、バーデンホルストは直接私に話しかけました。

 

 

彼は自分は島を離れるだろうと言い、『私はただあなたがたの幸運を祈っています』と言いました。 私が物を言えないほどあっけにとられているように見えたかどうかはわかりませんが、しかし私は驚きました。彼はこれらの言葉をまるで人間のように話し、今まで見せたことのない側面を示したのでした。私は彼にその芳志を感謝し、彼の尽力の幸運を祈ります、と言いました。

 

 

その後、この瞬間について長い間考えました。バーデンホルストは、私たちがロベン島にいた時、おそらく最も冷淡で野蛮な指揮官だったのです。しかし、その日事務所で、彼は彼の性質に別の側面があることを明らかにしました。

 

 

このことは、すべての人は、たとえどんなに一見冷血冷淡な人であっても、良心の核を持ち、その心に触れれば、変化できるということを思い出させてくれました。究極、バーデンホルストは悪魔ではなく、彼の非人間性は非人間的なシステムによって彼に押し付けられていたのです。彼はその野蛮な振る舞いで報われたので、野蛮人のように振る舞っていたのでした。」

 

 

Source: ネルソン・マンデラの著書"Long Walk To Freedom" ら。

 

 

ネルソン・マンデラはジャン・バルジャンとそう変わらない澄んだ心を持っていたのだ、と私は思う。反アパルトヘイト運動により27年間に及んだ獄中生活、そこでの非情な仕打ち、それでも心は濁らなかった。1990年に釈放されてから、マンデラが政権を得た時、最も心を砕いたのは、アパルトヘイト体制下での白人・黒人間、またインカタ派とANC派などといった対立をいかにして収め、全人種を融和させるかということであった。政治的に特にフレデリック・デクラークには厳しい意見を持ち、口論をしたが、その出自の種族の教えやキリスト教の教えが彼を基本的に平和主義で自由民主主義を重んじさせ、全人種・民族の融和を特に重視していたそうである。最も残忍だった指揮官への彼の一瞬に得た感情が、どれほど虐げられても、心の奥にある高潔さは誰にもなににも穢されないことを物語っている。

 

 

 

 

 

 

 

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チェロキー族の伝説

2019-08-23 | 考え方

 

 

 

 

 

 

チェロキー族の伝説-著者不明

 

 

チェロキー・インディアンの若者の通過儀礼(大人になるための儀式)の伝説をご存知でしょうか?


父親は若い息子を森に連れて行き、彼に目隠しをして、そこに一人にするのです。


彼は一晩中切り株に座り、朝日が差し込むまで目隠しを外してはならないのです。


彼は誰かに助けを求めて叫ぶことはできません。


少年がその夜を生き延びたら、彼は成年なのです。彼はこの経験を他の少年たちに伝えることができません。なぜなら、それぞれの若者は自分で男らしさを持たなければならないからです。


少年は当然おびえています。彼はあらゆる種類の音を聞くことができます。野獣はきっと彼の周りにいるに違いありません。たぶん、人間でさえ彼を傷つけるかもしれません。


風が草と地面を吹き抜け、彼の座っている切り株を揺らしても、彼は目隠しを外すことなく、じっと座っていました。それが彼が男になれる唯一の方法だからです。


とうとう恐ろしい夜が過ぎ、太陽が現れ、彼は目隠しを外しました。その時、彼は彼の隣の切り株に座っている父親を見つけました。父親は息子を危害から守るために、一晩中見守っていたのでした。


私たちも決して一人ではありません。私たちがそれを知らなくても、神は私たちを見守っており、私たちのそばの切り株の上に座っています。問題が生じたとき、私たちがしなければならないことは、彼に手を差し伸べることだけです。


教訓:神を見ることができないからといって、神がそこにいないわけではありません。「わたしたちは、目で見ながらではなく、信仰で歩くからです。」




おっとと!あなたは、着いたばかりの新米。あと15年ほど待つことです。


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深紅のリボン

2019-08-21 | わたしの好きなもの

matchesfashion.com 

 

 

 

 

 

私の母は、音楽が好きで、オルガンでは「人魚の歌」などをよく弾き、青空の下で洗濯物を干すときには、好きだったパッツィ・クラインの「国境の南」を口ずさんでいたものだった。タンゴ曲も好きで、真珠取りの歌やラ・クンパルシータなどをラジオやレコードで聴いていたのは、よほどラテン音楽のテンポの良さを気に入っていたかららしい。母だけではなく、叔母たちも音楽は好きで、ピアノやヴァイオリンを演奏し、歌も歌っていた。これはみな祖母の影響であった。祖母は娘たちは芸を身につけたほうがよいと、音楽を奨励していた。母はその頃XXX合唱団の団員、叔母たちは、XX歌劇団で青春を謳歌していたらしい。母は若くして結婚したが、叔母たちは公演などの古い写真を見ると、本当に楽しそうに「活躍」していて、その一人は戦時中フィリピンなどへ日本軍慰問団として訪れていた。

 

私が高校生の頃、母は特にJim Reevesジム・リーブスの歌が好きで、アルバムを購入し、それをよく聴いていた。母はジム・リーブスのCrooner(クルーナー=ソフトな低めの声で情緒を込めて歌う歌手)と呼ばれるにふさわしい滑らかなバリトンをたいそう気に入っていたのだった。母がジム・リーブスとパッツイ・クラインを好んだのは、その美しい声だけでなく、奇しくも二人が小型飛行機事故で1963年(パッツイ・クライン)と1964年(ジム・リーブス)に亡くなったことへの哀悼的な気持ちがあったのかもしれない。

 

私は聴きなれたジム・リーブスの一曲、Scarlet Ribbons(深紅のリボン)が好きだ。この小曲は多くの歌手がクリスマスアルバムに含め、Jo Stafford(ジョー・スタッフォード)が1949年に最初に歌い、Harry Belafonte(ハリー・ベラフォンテ)や最新では1991年日本人にもおなじみのCliff Richard(クリフ・リチャード)が歌ったが、私は、母の影響でジム・リーブスによる歌が一番好きである。

 

Wikiによれば、この曲は、1949年最初に曲ができ、それから歌詞ができたそうである。その歌詞の内容は、ある父親がある晩(おそらくクリスマス・イヴ)娘が寝る前の祈りで、朝には深紅のリボンで自分の髪を結わえたい、というのを耳にすることから始まる。父親はその晩出かけた町の店はすでに閉められ、深紅のリボンが手に入れられないのをがっかりして家に帰り、悶々として夜を過ごす。明け方に再び娘の眠る部屋を覗き、そこに陽気なほどの深紅のリボンがあるのを見つける。父親は驚き、自分が百歳まで生きるとしても、何故そこに深紅のリボンがあったのか、決してわからないだろうと言う。小さなクリスマスの奇跡である。

 

物が溢れていても、多くの心が殺伐としている今、その素朴さと父親の愛に安らぎがあるこの歌は、クリスマスでなくとも何かを訴えかけてくる。この歌は新生児をあやし、寝かしつける時に、必ず口をつく歌である。

 

 

作曲:Evelyn Danzig;作詞:Jack Segal

 "Scarlet Ribbons"

I peeked in to say goodnight
And then I heard my child in prayer
Send for me some scarlet ribbons
Scarlet ribbons for my hair.

All the stores were locked and shuttered
All the streets were dark and bare
In our town no scarlet ribbons
No scarlet ribbons for her hair.

Through the night my heart was aching
Just before the dawn was breaking.

I peeked in and on her bed
In gay profusion laying there
Scarlet ribbons, scarlet ribbons 
Pretty scarlet ribbons for her hair.

If I live to be a hundred
I will never know from where
Came those lovely scarlet ribbons
Scarlet ribbons for her hair...

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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