ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

優しさのフライト

2018-06-29 | アメリカ事情

Fox News/Lynette Scribner

 

 

ニュースを聞けば、見れば、殺伐としたことばかりが毎回報道され、やるせない思いをするので、なるべく避けたいのだが、社会に少なかれ関わる仕事をしていると、三猿のごとくでいられない事情もある。「また失望・絶望・憤怒のお時間」と少々沈んだ気持ちで見るのが、ニュースである。ところが、最近四大ネットワークなどのイヴニング・ニュースでは、最後のセグメントに明るい、そして視聴者を意気高揚とさせるかもしれないトピックを報じるようになった。ごく市井の人々の善き行い、努力、健闘などが取り上げられる。夫も私も実はそれを見るために、ニュースを見るようなものである。それ以外は、ミュートにすることも多い。この月曜日(6/25/2018)の夕方のニュースの最後に見たことは、夫と私を深く感動させた。これはリネット・スクリブナーさんのフェイス・ブックに最初出され、それがほぼ700,000回閲覧された。


リネット・スクリブナーはボストンのロ-ガン空港で、この64歳の紳士、ティムが彼の姉妹と共にいたのを見かけた。彼の姉妹が、彼の手に手話をしているのを見て、彼が視覚・聴覚障害者であるとわかった。


その彼は飛行機に搭乗した時、リネットの座った列の中央の座席に割り当てられたが、通路側座席にいたエリックという紳士は、親切にティムに自分の座席を譲った。ティムは一人きりで旅をしていて、乗務員達は心から彼を助けたかったようだが、どのようにコミュニケーションを図るのかのすべはなかったようだった。少しだけ口をきけるティムの手を取ってなんとかコミュニケーションをとろうと努力していたが、なかなかうまくいかなかった。


それでも前述のエリックは、コーヒークリーマーの小さな容器を開いてティムのコーヒーに入れるのを手助けしたり、ティムが起立してトイレに行こうとした際も、ただちに立ち上がって助けようと最善の努力をしていた。


乗務員達は話し合いをして、機内放送で、乗客のうちに、手話ができる人がいるかどうか尋ねてみることにした。するとひとりの素敵な若い女性が名乗り出た。


15歳のクララ(Clara Daly)は読字障害を持ち、学校で習得するべき外国語のうちで、ASLアメリカン・サイン・ラングエッジ(アメリカ手話=外国語として扱われるが、もちろん英語である)が最も簡単で適切だと選んで学んできていた。オレゴン州ポートランドへの残りの飛行時間、この少女はティムの足元に座り、彼の必要なことや要求が満たされることを確認したのだった。


リネット・スクリブナーは、この美しい少女が、ティムの手中に一文字一文字手話をしていくのを見て、なんと魅力的なことだろうと思った。ティムは少女の手話を「読む」ことができ、活発な会話を二人は続けていたのだった。


ティムがこの少女に、可愛いかどうか彼女に尋ねたところ、手話を少々知っていたエリックが、はりきって「イエス」とティムに手話で伝えると、少女は顔を赤くして、笑った。リネット・スクリブナーは、これほど善意の人が集まり、別の人間を世話するのを見たことはない、と綴る。彼女の座った座席の列周辺では、ティムが話しをすることに明らかに歓喜しているのがわかり、皆は微笑んだ。


ティムの要求を満たすために極上の顧客サーヴィスを行ったアラスカ航空の乗務員には、大きな称賛と賛辞を贈りたいとリネットは言う。そしてクララという名前のこの美しい若い女性が、ティムを助けることを少しも躊躇せず、喜んで即刻手助けをしたことにリネットは深く感銘を受けた。


そしてリネットは、多くの悪人や悲惨な悪事の溢れている世の中で、こんなに善良な人々がまだまだいるのだという美しい思い起こしを喜んだのだった。リネットはその後、彼女のフェイス・ブック上に、下の追記を付け加えた。

 


「追記:これがアラスカ航空会社の注目を集め、会社はクララの家族、ティムが住む施設、又エリックに連絡しています。 私はこの話への人々の反応にとても感動しました。 私たちはすべてこうした話に飢えているのです。これは私たちがとても必要としていたものでした。 皆さんありがとう!」


 

 

 

   

 

 

 

 

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キーシャの勇気

2018-06-27 | アメリカ事情

Pinterest, "Humanity" から



1996年にアンアーバーで抗議活動中、18歳の黒人女性は、怒る暴徒から一人のKKK加盟者を守るために自らの身を挺した。 彼女の名前はキーシャ・トーマス(Keshia Thomas)。

 

それは、群衆の誰かが、南軍の旗(南北戦争時の)のTシャツを着た白人に気づき、メガホンで叫んだことに始まった。 「おい! 群衆の中にKKKのやつがいるぞ!」 その男が逃げようとした時、キーシャ・トマスは追いつめた群衆の中にいた。

 

ANN ARBOR NEWS / AP

 

抗議者がその男を攻撃し始め、それをよけきれず男は転んだ。 地に転がった男に群衆が再び殴り掛かろうとした時 、恐ろしくなったキーシャ・トーマスは思わず自分を盾にするために男の上に身を投げた。

 

MARK BRUNNER / GETTY IMAGES

 

この男は彼女のために同じことをしただろうか? そんな疑問など考えもしないで、この世ではめったに見られないレベルの思いやりをキーシャ・トーマスは示したのだ。


「誰も傷つくべきじゃないわ、特に思想や考え方のために傷つくべきじゃないわ。」と彼女は言った。

 

 

MARK BRUNNER / GETTY IMAGES

 

 

「人々が群衆にいると、個人としては決してしないことをする可能性がより高いです。 誰かが群衆から出て、『これは正しくない』と言わなければならなかったのです。」 と彼女は、BBC(英国放送協会)に語った。

 

ANDREW CUTRARO / AP



彼女は自分が身をもってかばった男に会ったことは一度もなかったが、事件の数ヶ月後に若い男性がコーヒーショップで彼女に近づいてお礼を言った。 彼女が、彼に何に対してお礼をおっしゃるのですか、と問うと、微笑んだ彼の返事は簡単だった。 「あれは私の父です。」







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生ける時も逝く時も

2018-06-25 | アメリカ事情

 photo credit: Aleah Ingram

 

 

 

死は真の愛を遅らせることはできても止めることはできない。


約62年結婚した後、この夫婦は互いに同日1時間半以内に亡くなった。 彼らの感動的な話は、娘のDonettaによってFacebook上で共有された。以下はその娘さんの話。



Credit: Donetta Nichols

 

 

私の両親の人生は感動的でさえありました。約62年間結婚していて、2017年4月21日に1時間半以内でそれぞれが相次いで亡くなったのです。私の父は午後5時46分に亡くなり、母は午後7時14分に亡くなりました。二人は何年にもわたって何度も二人で一緒に天国に行きたいものだ、と望み、よく話していたもので、それを聞いていた私は、いつもそれがどれほど素晴らしいことか思っていましたが、それが本当に起こったのでした。私たち残された家族の悲しみは深いのですが、ふたりが望み通り 一緒に逝くことができ、それがたいへんな祝福であるとさえ思えます。 私の両親の人生は3つの単語で表わされます:信仰、家族、そして幸福!


 

Credit: Donetta Nichols

 

 

1955年、私の両親はフロリダに住む二人に共通な友人を通して知り合いました。フロリダには、父は空軍軍人として駐留していたのです。 父が車を別の駐車場に移動させようとした時、後に私の母となる彼女は、彼と一緒に車に乗りましょうと言いました。 父は、駐車場を回り、いくつかの街区を通りすぎてから、母の手を取り、彼女の頬にキスをしたのですが、彼は、何でそうしたのか分からないと言っていました。母はその時、父が「ちょっとことを急いているのかしら、この人は」と思ったそうです。 しかし、三週間にわたって、一緒に近くの湖の周りを歩いたり、その間に、幼少時代から現在までを話しあった後、両親は1955年6月19日に結婚しました。 両親は二人とも農場育ちで、どちらも決して裕福な育ち方をしたわけではありませんでした。 父はアーカンソー州出身で、母はネブラスカ州の出身でした。 父が、ダウケミカルに就職した1956年に二人はテキサス州に引っ越しました。 姉は1956年12月に生まれ、1958年1月に私が生まれました。



Credit: Donetta Nichols

 

 

私たちの人生で、両親はいつでも私たちの言動や計画をそれが良いか悪いか、難しいか、あるいは容易なことか、を示唆しながら支えてくれました。高校時代、私達姉妹は、ドリル・ティーム*に属していましたが、母は、一回たりと、放課後の練習を見逃したことはありませんでした。フットボール試合のハーフタイム演技で私達がどこにいるか知りたいのでした。 父はシフト制の仕事をしていましたが、1つのゲームも見損じることはありませんでした。 二人ともお互い、子供、孫、そして曾孫のために完全に献身的だったのでした。 家族を思い、支えるのが二人がするすべてでした。(*Drill Teamドリル・ティームとは、スポーツなどで、自軍チームの応援のために厳しく、正確に訓練された行進や体操などの模範演技を見せるチームのこと。)



Credit: Donetta Nichols

 

 

EMS(緊急医療班・隊)が父を病院から連れて帰ってくれた時、父が最初にしたことは、母の手を彼の手の内に入れることでした。翌日二人一緒に旅立った時も二人は手をつないでいました。 その時から二人は決して離れさせられることはなかったのです。葬儀社でも二人は一緒で、二重のお葬式が執り行われたのでした。



 

Credit: Donetta Nichols

 

 

二人が天国の門に手をつないで入っていったのだと思うと、別れの痛みをさほど感じませんでした。それが私たちの家族を守り続けていく力なのです。 私たちはこの二人をとても愛していましたから、やがていつか再会できることを知っています。



Credit: Donetta Nichols



*****


先日隣人の一人娘さんの結婚式に招かれて夫と行ってきた。その若い花嫁は、清楚で、清潔で、本当にすがすがしく、その花婿も同じようにいままで信仰を大事にして、遊び回るようなことのなかった純粋な青年である。私達とは宗派の異なる教会の牧師が、花婿の祖父母宅の庭園で結婚式を行ったのだ。二人とも同じ信仰をこれからも大事にし、これから立派な家庭を築いていくことは誰の目にも疑いの余地はなかった。披露宴で花嫁の父親が、彼の家族には、長い間結婚生活を大切にしてゆく”習慣”があり、それを踏襲していくだろう娘たち夫婦を祝福した。現に花嫁の父親の両親は、72年間ずっと結婚して、つい最近父親が、そして数日のうちに母親が、相次いで亡くなったのである。真に愛し合い、尊敬しあい、互いを思いやり、相手を自分よりも大切にする夫婦は、一人が亡くなると、二年経つか、経たないかで、残された一方も亡くなると聞いたことがあるが、まさにその例にぴったりと、あてはまったご夫婦だったようである。この広い世界でめぐり逢い、縁があって、結婚したお二人。なんでも使い捨てのでき、婚姻関係さえ、そうなる今日、そうした愛の在り方が、心に残るし、夫と私も見習いたいと心を新たにした。



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新しいチャレンジ

2018-06-23 | アメリカ事情

https://www.albamolinavisionguide.com



先週水曜日、長男はひとつの研修医課程をある病院で終え、卒業した。研修医制度でも「卒業」があり、夕刻開かれた式に出席してから、息子はペンスキの16フィート(約2.15トン)のトラックに引っ越し荷物を積み込み、牽引トレイラーにセダンを載せ、住んでいた町からバーストウへ向けて、父親と二人で出発した。出発は夜がだいぶ更けてからで、バーストウのモテルには午前一時に到着した。そこはまだカリフォルニア州で、その先2600余マイル(4184余km)のドライブが待っていた。翌日はアリゾナ州とニューメキシコ州を横断し、テキサス州アマリロに到着して一泊、その次の日はフロリダ州ペンサコラで一泊した。そしてついに四日目にマイアミに到着した。



まさにこのように。画像はペンスキのホームページから。


ひたすら長い道のり。



長男の妻と娘は、先に飛行機でマイアミ入りしており、引っ越しの前日に陸送に出したマツダCX5も着いて、早速新居を整えることができた。長男に付き添った夫は、三男一家がキャンサスシティからマイアミへ移った折も、三男と共にトラックを運転していったのだった。長男のアパートも三男のアパートのようにまだ新しく、広くそして清潔である。カリフォルニア州同様スイミング・プールが付設されているので、子供達が水泳レッスンを受けられる。息子達のアパートはお互いに近く、同じ市内にある。その市は、先日不幸にも犬の散歩中大きなワニに日本人女性が襲われて亡くなった場所である。


ワニ、蚊による(Zicaウィルス等)感染症、そして子供の溺死というのは、フロリダに住む以上、常に気をつけなければならないことだろうか。美しいビーチの続く南フロリダでは、子供の溺死率(特にプールでの)が全米で一番高く、水泳レッスンが激励されている。幼い子供達が泳げるようにし、また淡水の水辺になるべく近寄らない、そして防虫対策を十分にとることが、重要である。


さてマイアミでは、眼科専門医療機関(ある医大と提携)で三年間の専門分野研修を積む長男。専門とする小児眼科や網膜などを中心に、研修訓練を受け、その後フェローシップ期間を持つ。ここまで来るのは、長いようで案外短かったが、息子の並々ならぬ努力とそれに伴う勤勉さが実を結びつつあるのを目前にして、ただただ圧倒されるのはその親である。日本の姉は、アメリカだからできることだ、と言うが、その通りだと思う。目標を立て、努力をたゆまなく重ね、人一倍勉学に励み、勤勉であることが不可欠だが、それを行えば、願いは叶うのが、アメリカである。麦と毒麦のたとえ*を忘れずに、決して奢らず、今まで以上に人に親切と思いやりを持っていくことを忘れないで欲しい、と母親は余計なことを思う。



久しぶりに再会した叔父(三男)と四日ぶりにパパ(長男)に抱っこされてご機嫌なズズ



*麦と毒麦のたとえとは:(Parable of the Tares)マタイ伝第13章24-43節にあるイエス・キリストが語ったたとえ話。毒麦は、イネ科ドクムギ属のドクムギで、普通雑草として扱われ、若いうちは小麦とよく似ているので識別が困難であるが、収穫の時期になれば識別しやすくなる。実のために重くなって穂を垂れる小麦と違い、毒麦は、背が高いままである。毒麦自身は、毒はないが、その表面に付く内生菌が毒素を作り、うっかり口にすると、苦く、めまいを起こしたり、嘔吐することもあると言われる。マタイ伝では、この毒麦は、悪魔にまかれた悪者で、世の終末時に、刈り取られて火で焼かれる、とある。毒麦のような偽善者にならず、実るほどに頭を垂れる小麦であるように、との意味も母の私は込めている。

 



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花嫁とのダンス

2018-06-21 | アメリカ事情

http://www.bridalassociationofamerica.com



https://www.huffingtonpost.comで見つけた二つの実際にあった話。


(アメリカの)披露宴で、夫や父との花嫁のダンスに涙を流すことは珍しくない。 しかし、10月10日の白血病生存者グレタ・パースキの結婚披露宴で、彼女の命を救った骨髄ドナーのダニー・ダニエルズに捧げる歌でダンスをした時には、すべてのゲストはこみ上げる感情に打ち勝てなかった。 新郎・新婦はその特別な瞬間のためにアラバマによる“Angels Among Us”(クリックするとYouTubeで聴けます)で踊ったのだ。  ダニー・ダニエルズは新婦の命を救っただけでなく、空軍州兵の元メンバーとして数え切れないほどの人生を救ったので、この歌は彼に捧げる完璧な歌であった。 「私にとっては、奇跡以外でもなんでもなかった。」と、花嫁の父、ジョー・パースキがセント・クラウド・タイムズ紙に語った。 「その(結婚式の)日は、私たちにとって、本当に起こるかどうかわからなかった日だったのです。」

 

 

Photo Credit: Phodot Photograpy

 

 

忘れられないもう一つの披露宴ダンスは、殉職した警官の父とその娘クリスティンに捧げられたダンスである。2009年家庭内暴力の通報に応えて出動中、殉職したピース郡副保安官ケント・マンデルの娘、カースティンを応援するため、まず四人の警官がより集まって彼女の披露宴ですることを計画した。 カースティンは、次々に父親の親しかった友人や警察・検察の仲間たちにダンスを申し込まれて驚かされる前に、父親代わりにシアトル市警刑事ドン・ジョーンズとまず踊り始めたのだった。 「突然誰かが私の肩を軽く叩いて、『私と踊ってくれますか?』と言って、次から次へと父の仕事仲間や友人が、申し込んだのです。 私はショックを受けました。 最初私はどう反応していいのかわかりませんでした。」と彼女はシアトルのテレビ局KOMO ニュースに語った。 「最初にダンスをしたドン・ジョーンズは、『私たちだけでダンス待ちの長い列がありますよ』と言いました。次の警官が踊ってくれた時、その場で心を打たれた私はただただ泣き崩れてしまいました。」



Photo Credit: Angela Lyons

 

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