ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

薪の話

2022-10-26 | アメリカ事情 人間性

 

 

 

カリフォルニアのセントラル・ヴァレーにもようやく秋の気配が漂い始め、今朝は摂氏7℃。 ドライブウェイに朝刊を拾いに外へ出た時は、本当に寒かった。 先週まで30℃平均だったのだが、もう10月もあと一週間で終わりとなれば、空さえも、私の好きな「パンクチュエイションのある」空である。【つまり句読点のあるメリハリのある文章のような、ただただ青いだけの空ではなく、ドラマティックに雲のある空】

 

晩秋から冬にかけてカリフォルニア州中部のここでは、氷点下になることさえある。 ヨセミテ国立公園に近く、シェラ・ネヴァダ山脈にはスキー場もあり、時に麓に雪がちらつく日もある。 セントラル・ヒーティングが欠かせないが、ほんの20年前には、ここではペレットやガス使用以外の、普通の薪をくべて暖炉を使用することは、できなくなった。 暖炉が唯一の温源の古い家屋や、山間の家屋は例外ではある。 

なにしろ2035年までに全州民は、EV(Electric Vehicle)つまり電気自動車を使用することが条例化されつつある、環境保護がなによりも大切な当州であるためだ。 

ついこないだまで、収穫期を終えた冬季の果樹園の桃の木を剪定した際の枝などは、よく乾燥していて、よい焚き付けになるので、果樹園の端などで、売られていたものだった。 

北の州の木々の中で暮らす長姉の亡夫は、よく乾燥させた松の間伐材を割って薪を毎秋用意していたものだった。 セントラルヒーティングはあるが、居間と台所の間に、薪ストーブを設た家なので、そのストーブを使用するだけで、すぐ家中が温まる。 冬の間は電気代節約もできる。 そして暖炉に薪をくべ、燃え盛る炎を見ているのは、こころが落ち着く。 

義兄が亡くなってからは、薪割りの仕事は、隣人の14歳の息子が父親と二人で、請け負ってくれている。 14歳にしては、小柄で痩せた元気の良い少年だが、両親の離婚を経験してることから、私の姉をまるで祖母かのように思っていて、常に自分になにかできることはあるか、と尋ねてくれる。 姉は姉でこの少年の友情に感謝している。 隔週末にこの子は、母親の許を訪問することになっているが、そうでない週はよく姉宅で細かな仕事を見つけてはせっせと働いてくれる。 姉がいくらその賃金を払おうとしても、いらないと受け取らないので、アマゾンなどのギフトカードで「支払って」いる。

この少年が父親と共に夏に林の松をいくらか伐採し、乾燥させ、秋には薪割りを始めて、せっせと庭の一角に薪積みをしていくのを見たことがある。 割った薪をWheelbarrow(手押し車)にたくさん積んで、積み重ねていく場所へ運んでいく。 その積み重ね方(コード)も一定の法則のようなものがあり、積み崩れが起こらないようにさまざまな工夫を重ねてやらなければならない。 その工夫は薪割りを経験する者はよく知っている。 この細い腕の少年も、承知していて、テキパキと片づけていく。 そして一旦積み上げた薪のコードの上には、防水タープ(シート)で覆っておかねばならない。

 

 

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一冬どころか二冬も持ちそうなくらいの薪のコードを終えてからは、昨年のコードから、完璧に乾燥仕上がった薪を今度は屋根のあるポーチの端に少しずつ積み上げていくのだ。 それは姉がポーチを降りて庭の端まで行ってわざわざ薪を運ばなくとも、パティオドアから出てポーチから薪を取れるように、という配慮からだ。 15年前に3度目の背中の手術をしている姉を労ってのことだ。 この隣人一家の思いやりには、いつも感謝以外の言葉がない。

隣人の息子は、そうした力仕事が終わると、庭の雑草を抜いたり、自宅で飼っている鶏の世話をしたり、毎日2打はある鶏卵を拾い集めては、姉のところへも持ってきてくれる。 14歳だが、働き者の若者である。 ご苦労様と姉が持ってくるレモネードをゴクリと飲み干す姿は、まだまだ可愛い。 このよく働く親切で思いやりのある少年を見ていて、私はある言葉を思い出した。

それは古い禅の言葉だ。 「悟りを開くなら、木を切り、水を運ぶ。 悟りが開けたら、木を切り、水を運ぶ。」である。 人生で、木を切り刻み、水を運ぶ必要は誰でもある。 (この少年は私の姉の許へ配達される飲料水の重い瓶をキッチンへ運んでもくれるのだ。) そうした仕事を心を込めて、愛を持って行うのが最善なのをこの少年はもう心得ている。 こうした気持ちの良い少年を育てている隣人は、尊い。

 

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“The novice says to the master, ‘What does one do before enlightenment?’ ‘Chop wood. Carry water,’ replies the master. The novice asks, ‘What, then, does one do after enlightenment?’ ‘Chop wood. Carry water.'”

「初心者はマスターに、尋ねた:『悟りを開く前に何をしますか?』『木を切り刻みなさい。水を運びなさい。』とマスターは答えた。 初心者は、『では、悟りを開いた後、人は何をしますか?』と尋ねた。 『木を切り刻み、水を運びなさい。』」

 

その姿を見た私は、この少年の大好物を作ってお礼とした。 日本のオムライスである。 少年の名前をオムライスの上に書いた時、彼の瞳の輝きとこぼれんばかりの微笑みは、地上のものとは思えないほど美しかった。 いつもどうもありがとう、カイル。 

 

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感謝されていない人々

2022-10-19 | アメリカ事情 人間性

 

 

 

 

 

ウィリアム・スティジャーは、ボストン大学で教鞭をとっていたとき、自分の人生には感謝されていない人々がたくさんいることを思い出した。 彼を育て、刺激を与えた人、または彼のことを十分に気遣ってくれて、彼の印象に残った人。 その一人は、彼が長年ご無沙汰している学校の先生だった。 彼女は彼に詩への愛を植え付けるためにあらゆる手段を尽くし、そのおかげでウィルは生涯を通じて詩を愛してきた。  彼は彼女に感謝の手紙を書いた。

しばらくして彼が受け取った返信は、年老いた弱々しい走り書きで書かれており、「親愛なるウィリー」という言葉で始まっていた。 彼は喜んだ。 現在50歳を超え、禿頭で教授である彼は、自分を「ウィリー」と呼ぶ人が世界中にまだ残っているとは思っていなかった。

これがその返信の手紙である。: 

親愛なるウィリー、あなたの手紙が私にとってどれほど意味のあるものだったか、言葉では言い尽くせません。 私は80代で、小さな部屋で一人暮らしをし、自炊し、孤独で、秋の最後の葉のように残っています。 私が 50年間学校で教えてきたことに興味を持っていただけると思いますが、これは私が受け取った最初の感謝状です。 それは青くなるような寒い朝にやって来て、何年にもわたってこうしたことがなかった人生の私を元気づけました。

簡単に泣くつもりはなかったが、その返信にウィルは泣いた。 彼女は、ウィルの過去では感謝されていない偉大な人々の一人だった。


あなたはそうした人々をご存知だ。 私たちは皆そうだろう。 違いを生んだ先生。 私たちが決して忘れないあのコーチ。 私たちが自分自身を信じるのを助けてくれた音楽教師や日曜学校のお世話をしてくれた人々。 お世話になったあのスカウトリーダー。 

私たちは皆、さまざまな形で私たちの生活を形作ってくれた人々を覚えている。 私たちに影響を与えた人々。 ウィル・スティジャーは感謝の気持ちを表す方法を見つけた。 彼はそうした人々に手紙を書いた。 過去に感謝されなかった人はどなただろう? 「ありがとう」と言うのに遅すぎることはないかもしれない。

 

 

 

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いじめ防止月間は10月

2022-10-11 | アメリカ事情 人間性

10月はいじめ防止予防月間

 

 

 

10月も半ばに近づいていますが、今月は、アメリカでは、いじめ防止月間です。 一番下の動画ではダウン症の少年少女が描かれていますが、まずは歌詞の英語、日本語をお読みください。 少年がいじめの末に考えた「仕返し」は、思いがけずそして心を打たれるものです。 どうぞご覧ください。 そして世界中に溢れるいじめについて、少しでも心を傾け、人には事情があり、その影に悲しみもあるのを知り、手を差し伸べたいと私は願います。

 

"Don't Laugh At Me"

I'm a little boy with glasses
The one they call the geek
A little girl who never smiles
'Cause I've got braces on my teeth
And I know how it feels
To cry myself to sleep

I'm that kid on every playground
Who's always chosen last
A single teenage mother
Tryin' to overcome my past
You don't have to be my friend
Is it too much to ask?

Don't laugh at me, don't call me names
Don't get your pleasure from my pain
In God's eyes we're all the same
Someday we'll all have perfect wings
Don't laugh at me

I'm the cripple on the corner
You pass me on the street
I wouldn't be out here beggin'
If I had enough to eat
And don't think that I don't notice
That our eyes never meet

I lost my wife and little boy
Someone crossed that yellow line
The day we laid 'em in the ground
Is the day I lost my mind
Right now I'm down to holdin'
This little cardboard sign

So don't laugh at me, don't call me names
Don't get your pleasure from my pain
In God's eyes we're all the same
Someday we'll all have perfect wings
Don't laugh at me

I'm fat, I'm thin, I'm short, I'm tall
I'm deaf, I'm blind, hey aren't we all?

Don't laugh at me, don't call me names
Don't get your pleasure from my pain
In God's eyes we're all the same
Someday we'll all have perfect wings
Don't laugh at me
 

私を笑わないで

マーク・ウィルズ/ホーム・フリーの曲


私は眼鏡をかけた小年です
彼らがオタクと呼ぶ子です
私は笑顔を絶やさない少女です
歯に矯正具をつけているから
私はそれ【からかわれること】 がどのよう感じるかを知っています
泣き寝入りするのです
どこの遊び場にもいるその子です
いつも最後に【遊び相手として】選ばれるのは誰かです
十代の未婚の母は
過去を乗り越えようとしています
あなたは私の友達である必要はありません
求めすぎですか?
私を笑わないで、【おかしな】名前を呼ばないで
私の痛みからあなたの喜びを得ないでください
神の目には私たちはみな同じだから
いつの日か私たちは皆、完璧な翼を手に入れるでしょう
私を笑わないでください
私はあの角にいる障害者です
あなたは通りで私を追い越していきます
そして、私はここで物乞いをするつもりはありません
もし私が食べるに十分持っているなら
そして、私が気づいていないとは思わないでください
私たちの視線が決して会わないこと
私は妻と小さな男の子を失いました
誰かがその黄色い線を越えたとき
私が彼らを地に葬った日
それは私が正気を失った日です
今私はここで座っています
この小さなサインの書かれた段ボールの切れ端を持って【ホームレスとなり、通り掛かりの人々に糧を恵んでもらうよう書いてある】
だから私を笑わないで、【おかしな】名前を呼ばないでください
私の痛みで、あなたの喜びを得ないでください
神の目には私たちはみな同じだから
いつの日か私たちは皆、完璧な翼を手に入れるでしょう
私を笑わないで、
私は太っていて、痩せていて、背が低くて、背が高いから
私は聴覚障害者です、私は盲目です、ねえ、私たちは皆そうではありませんか?
私を笑わないで、【おかしな】名前で呼ばないで
私の痛みからあなたの喜びを得ないでください
神の目には私たちはみな同じだから
いつの日か、私たちは皆、完璧な翼を手に入れるでしょう
私を笑わないで

 

 

 

 

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農家の廃屋

2022-09-18 | アメリカ事情 人間性

Picture: SALLY DENG 

 

 

 

 

 

つい先週まで3桁の気温で一時は華氏120度(摂氏48.89度)まで 上昇したのに、週末にはアリゾナ、ネヴァダ、そしてカリフォルニアにかかっていたメキシコからのモンスーンが、降雨をもたらし、今週は初秋の気配が漂い始めている。 そうした大気のあまりの逆変に、やっと、本が落ち着いて読める、とワクワクさえして、手に取ったのは、Dear Country Agent GuyというJerry Nelsonジェリー・ネルソン氏の著書だ。 その中の一文にしんみりとして、ますます初秋を感じた私である。 下にその箇所を訳してみた。 私の好む秋をお感じあれ。 この本は、アマゾンで入手できる。 (和訳があるかは不明)

 

 

古い農家屋は放棄され、バラバラになりつつあった。 しかし、だからと言ってその廃屋を解体することは、作者の過去を破壊するに等しいことである。

1963年、65歳のとき、作者の祖父、アーウィンは愚かとも言えるプロジェクトに取り組むことにした。 彼は新しい家を建てたかったので、それまで使用していたその古い家をどうするか迷っていた。 それを取り壊すのはもったいなく思えたが、かと言ってその家屋の立つ場所に新しい家は建てられるはずだった。 どうしたら良いか、はっきりとしたことは考え付かなかった。 倹約・節約を頭に考えあぐねた結果、インスピレーションを受けたかのように、瞬間に、祖父はブルドーザー作業員を雇って古い家を遠くの木立に押し込むことにした。 そうして、あの古い農家屋は今もそこにある。

祖父アーウィンと祖母エリダが亡くなり、私は彼らの地所から農場を購入した。 妻と私はこの場所で息子たちを育て、30年以上ここに住んでいる。 私たちが当初引っ越してきたとき、妻は例の木立に遺棄された廃屋を一目見て、危険だと宣言した。 私は同意し、巨大な焚き火を計画した。 しかし、価値のあるものが置き忘れられた場合に備えて、まず最初にその廃屋をチェックするのが賢明だと思った。

2人の幼い息子が付き添い、廃屋があった牧草地の背の高い草の中を歩いて行ったが、たどり着くまで、かなり時間がかかった。 たどり着くとフロント・ポーチ自体が崩壊し、ほとんどの窓がなくなり、外壁が落ちていた。 開いた窓から中に入ると、まるでスカンクが床板の下に住んでいたような匂いがした。

タイムカプセルの過去の時空に迷い込んだような気分だった。 ここには、祖父母の生活のさまざまな残骸が横たわっている。壊れた椅子。 麻袋に入った古着。 穀物エレベーター(サイロ)の温度計。しかし、私の目を引いたのは、書類が詰まった段ボール箱だった。私はその内容物を調べようと、箱のなかを掘り起こし、即座に時間を遡っていた。  1957年からの納税申告書があった。 1962年6月からの使用された小切手類。 古い友人や親類からのグリーティング・ カード、今では差出人はすべて亡くなっている。 叔父の小学3年生時の綴り方の本。

私はその箱を掘り起こしながら、多くの楽しい時間を費やした。 その間ずっと、息子たちは、この廃屋に関する一連の質問をし続けていたので、それらに答えなければならなかった。 息子たちは、かつて 総勢9人の家族が、水も電気も通っていなかったこの小さな家に住んでいたことに驚いていた。 作者は、寒い冬の朝、台所のコンロのすぐ隣に置いてあったバケツ一杯の水が氷で覆われていたことなどを話した。 そして、当時はそのコンロが唯一の熱源だったと話すと、息子たちは震えた。

タイムカプセルのような、この古い家は、故に焚き火の末路を免れたのだった。

年月が経ち、廃屋への訪問は稀になっていった。 古い家は再び牧草地で一人孤独を楽しんでいたようだった。 作者や家族たちが人生を急足で歩んでいると、時折あの木々の間から廃屋を垣間見ることができるので、人はなんだろうかと不思議に思うかもしれない。 今は荒屋(あばらや)になったあの家が、どのようにして砂嵐や洪水、吹雪、大恐慌を生き延びられたのだろうか?  そこに住んでいた家族の人々は、私たちよりも堅固な逞しいものでできていたに違いなかった。 子供の頃、牧草地の背の高い草を分け入り、先を歩く父の足跡をたどるのに苦労したことを思い出した。 それでも、父と同じように、農業ほど崇高な生業は作者には想像できなかった。

そして、4月のある朝突然、作者の父が68歳で大規模な心臓発作で事切れた。 作者を含めて家族全員が彼の死にショックを受けた。

作者の父の葬儀が終わった直後に、何故作者があの廃屋に出かけたのかは、作者の理解を超えていた。 まるで彼を呼んでいるかのようだった。 木々でさえ、いらっしゃい、訪問なさい、しばらくそこへいなさい、というような招待を囁いているようだった。

再びあの古いリノリウムの床に立ったとき、彼の目は床に散らばった書類に引き寄せられた。 経年で黄ばんだ封筒が古い書類の上に置かれていた。 封筒には「海軍検閲官通過」と青いインクのスタンプが押されていた。 どうしてこの由緒ありげな遺物を見逃せようか?  作者の父は第二次世界大戦中、USSワシントンに乗艦していて、できる限り家に手紙を書いていたと聞いている。 作者の祖母はそんな息子の手紙をすべて保存していた。

作者はその封筒から一通の手紙を慎重に取り出した。 それは 1944年9月の日付だった。 彼の父は当時18歳で南太平洋のどこかにいたはずで、作者にはなじみの筆記を目にして、読んだ。 まだ18歳だった父は、燕麦(オーツ)の収穫がどうだったのか、作者のやはり歳若かった叔父の新しい農耕馬がうまく働いているのか、などと尋ねている。 作者の父は彼の一番下の弟が、小学1年生になろうとしていると仮定し、頼りになる役立つ若い少年になりつつあると想像もしているようだった。 作者の父は母親に、みんなによろしく伝えてほしいと頼み、自分がどれだけみんなが恋しいことかと書いていた。

行間を読むのは難しくなかった。 この手紙には、それまでの全生涯を両親の農場の草原のこの草の海に住んでいた、まだうら若いホームシックの若者、本当にはまだ子供だった子が、その手紙をしたためたとき、全く別の種類の海にいたのだった。 戦争中の世界の雷と稲妻によって荒らされていた海であった。 手紙の一番下に、下線が引かれた活字で、作者の父は最後のメッセージを伝えていた。 父が慎重に強調した次の言葉を読んだとき、作者の目に涙があふれた。 "心配しないでください僕は元気です。"

その日、古い家を出るとき、作者は肩越しにその廃屋を最後にもう一度見返した。 誰がどう思おうと、彼は決めた。 その廃屋は、自ら朽ち果てて、土に還るまでそこにとどまると。

 

 

ここでお知らせです:コメントをいただいて、今日お返事を書きました。大変遅れてしまい、誠に申し訳ございません。一つ一つのコメントに深く感謝致しております。ありがとうございます。

 

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見知らぬ人の祝福

2022-08-09 | アメリカ事情 人間性

Getty Image

 

 

つい先月のこと。下記のニュースが目についた。破天荒な気象、Covid-19に次ぐ怪しい流行病の噂、止まることを知らない侵略戦争、物価高、物不足、とちっとも心躍らない話題の中に埋もれるように、ちいさいながら燦然と輝いていたニュースである。

 

アーカンソー州のある町に住む若い母親のデヴォン・リンデンさんは、毎週 2 人の子供を水泳の練習に連れて行くが、この日はいつもよりかなりたいへんだった。2人のどちらの子供もひどい癇癪を起こし、手がつけられない状態だったのだ。

 

「私は母親として、とにかく子供たちを落ち着かせようと必死になっているうちに、容易に事態収集がつかず、本当に涙が出そうになってしまいました」とこの若い母は語った。

 

その時、素敵な見知らぬ人がどこからともなく現れ、励ましの小さなメモを彼女に手渡したのだった。

 

「彼女は私が悪戦苦闘しているのを見た瞬間、私や私の子供たちや、私の子育てのしかた、などについて批難せず、ただ私を祝福することを選んでくださったのです。」

 

5NewsOnline.om

 

メモには、「あなたの人生と目的は巨大です!!  生きることはとても貴重です。 毎日が贈り物ですから、大切になさってください!!」とあった。

 

子供たちと車に乗り込むまで、彼女はメモを広げてそこにあったサプライズを見てはいなかったのだった: $100札!

 

彼女は「涙がこぼれました。」と語った。

 

5NewsOnline.com

 

彼女は5ニュースオンライン局に、この方が将来なりたいと思っているような人だと言った。

 

「これからの新しい10年が私に何をもたらしてくれるのか、私はどんなタイプの人になるために努力できるのかを考えています。そして、私はこの女性のようになりたいと思っています。私は最高の影響力を彼女のようにしようと努力します。」とこの若い母親は語った。

 

そして彼女は彼女を祝福した女性に向けていくつかの言葉を持っている。

 

「私がつらい時に現れてくださって、本当に感謝しております。あの瞬間に必要なものを与えてくださり、これからも1日1日を良い母親として、良い人間として過ごすことができる希望をくださったのです。」と語った。

 

あのダライ・ラマは仰った。

いつでも親切であれ。それはいつでも可能である。

ダライ・ラマ

 

 

 

 

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