ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

まあ、なんという事でしょう!

2020-06-28 | わたしの思い

まるで日常を失ったかのように、お針子さん三昧のこの三ヶ月!ペンを置き、医療関係者用の防護ガウンとマスク制作に追われ、ちょっとした暇があると、系図調査、家中の整理整頓、小さな果樹園は今夏、桃もネクタリンも杏も、イチジクさえ豊作のため、ジャム作りなどに励んでいる毎日。その間にオフィスと所属している2、3の団体とのズーム会議。通常通り出勤していた頃の方がずっとのんびりしていたような気さえしてきた昨今の私である。幸いになんとか健康を保ちつつ、また家族の誰も感染罹患もせずにいる。ありがたい。

そして今朝ふとカレンダーを何気なく目に止めて、二月以上も記事を書いていないことに愕然としたのだった。三日坊主というのはあっても、二ヶ月坊主と言うのはない。私の額には、「怠惰」と言うレベルが貼ってあるに違いない。大いに反省。

三月半ばに自宅待機・勤務に入った頃は、私の住む中央カリフォルニアのこの郡では、感染者はたったの3名で、死者数はゼロだったのに、今やおよそ五千名が感染、死者数は三桁となっている。先だって、ついに我がキャンパスコミュニテーにも感染者が。秋学期は実験や研修の必要なクラスはキャンパスで行われ、その他はオンライン、となるはずだが、今週の極端な感染者増加に、大学は州知事の「お言葉」次第でどうなるかわかってはいない。もしそのように秋学期が始まるとしても、週日1日キャンパスには、二千二百名がいることと限定されていて、スタッフだけでも千名を超すし、学生は二万五千名ほどである。それに教授陣もいる。こうした時は、誰がキャンパスに来て、誰が来れないか、などを緻密にスケジュールする役目がなくて、本当によかった、と思うし、いっそこの機会に人生楽しもうとさえ決断できる。

夫も自宅勤務になったが、この先、それがノーム(あたりまえ)となる様子である。元来自宅にいると言うことが好きな私は、全く構わないが、そして夫が一緒に在宅していても一向に差し支えを感じない。中には、相手の欠点ばかりが目につき、嫌になると言うこともあるようだが。そう言えば、この三月からよく聴くポッドキャストの一つ、George NooryのCoast to Coastと言う番組で、面白い話をしていた。それは普段勤務で昼は留守の人々が、24時間毎日在宅して、初めて気が付いた得体の知れない事象が思わぬ恐怖に似た感情を持たせる、と言うのだ。

それを聴いて、私は、あるある、と思った。ここ一月以上毎日のように、午後になると風が出てきている。庭のレッドウッドを始めとする樹木を揺らしている。ある昼過ぎ、夫がオフィスに残してきた書類を取りに出かけたのだが、下のダイニングルームで縫製プロジェクトに夢中だった私は、夫の「行ってきます」を上の空で聞いていたに違いない。しばらくして二階ロフトから夫の座る椅子がギイっと鳴ったので、ふと晩御飯何がいいか聞こうと、声をかけた。即答が通常なのに、何も言わない。もう一度上に向かって言った途端、すでに夫が出かけたのに気が付いた。やがて帰宅した夫に、この家にはキャスパー(昔の漫画・アニメの子供のお化け)がいるらしい、と告げると、夫は、「えー、また?」と言う。系図調査に時間を忘れるほど熱中する私がすでにない方々の霊を連れてくると思っているのだ。まさか。

するとある日、横庭果樹園の杏の木が今年はとても大きく成長し、しなう枝を精一杯四方八方伸ばし、風に揺れるのを目にした。その枝は窓ガラスをこする。ギシギシとガラスを痛めつけるように。時にはギイーとさえ。これだ!とここで我が家の怪現象の解決を見たが、ははは、こう言うことはあるものだ。それ以外何も身の毛がよだつことは見つからない。庭のちょっとジメッとした片隅で、小さなゲジゲジを見かけた時以外は。

世界中の人々が奇禍にいる今日、いつか暗闇の向こうに出口があると言い聞かせ、せっせとジャムを瓶詰めしている私は、そう祈っている。

 

 

 

 

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