ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

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2024-05-17 | 私の好きなこと


今週の乳癌専門癌科医検診で、マモグラムとソノグラム、血液検査、触診のクリーンな結果から鑑みて、晴てキャンサーフリーと判断された。結果が逆であっても、それも人生と思っているし、夫が迎えにくる、という希望さえ抱いただろう私だが、「晴て」の言葉どおり、今悪い細胞がない、とは、ひと時でも「くびき」*の軽さを感じられることだ。
*28 Come unto me, all ye that labour and are heavy laden, and I will give you rest.
29 Take my yoke upon you, and learn of me; for I am meek and lowly in heart: and ye shall find rest unto your souls.
30 For my yoke is easy, and my burden is light.

*28 すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。
29 わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである。
ーマタイ伝11:28-30

それで、浮かれて今日は私の最近気に入っている物について、考えてみることにした。いいえ、大したことのないことばかりだが、この一年、不思議に励まされ、心を和まされ、微笑みさえ浮かべさせてくれた。「晴れ」の日に、ご紹介。


これは、長女が10歳の時、小石にペイントして父親にプレゼントしたもので、この二つを夫は、大事にして書斎のデスクにきちんと置いていた。いわば形見のように、私は受け継いだ。そうだ、この二つは夫の墓碑銘の上に置いておこう。

 

先月スゥエーデンの六歳の孫娘のポケモン絵画がコンテストで優勝し、雑誌に掲載された喜びの写真とその絵。この子の表情が好きで、またこの可愛らしい絵も見ていると、元気が出てくる。



この孫#10とその兄孫#7、その両親との生活も半年目に入り、つつがなく忙しい中にも楽しい日々である。孫が訪問することも楽しいが、実際に毎日朝夕生活を共にしていくのは、疲れよりも明日への活力を生み出していく。こんな小さな子でもそんな力がある。



ほぼ毎週末訪問してくれる孫#3。矯正用メガネを新調して、もう立派な小学生。孫娘は3人しかいないのに、あと二人は東海岸と大西洋を超えたスゥエーデンで、一年一回ほどしか会えず、この子は孫娘の醍醐味を一手に引き受けてくれている。普段近くに住む4人従兄弟の中で紅一点だが、年下には優しく、平和的で面倒見のよい彼女には、安寧を感じることが多い。


最近になってこうして餃子を焼いてくるりとお皿にひっくり返してのせることができるようになった。できなかったことができるようになるのは、何歳になっても嬉しい。呆れるほど遅い習得で写真を載せるほどの腕前ではないのは百も承知だが。。。子供たちや孫たちが目を見張るほど感嘆するのが、素直に愉快。


ある日某所のドライブスルーで、前にいた車がテスラの2024Cybertruk AWD Crew Cab(2024年型の電気サイバートトラック、全輪駆動でキャブ付き)である。トラックと名にあるように、後部の屋根を外せば、かなりの荷台になり、2500パウンズの積載量、11000パウンズの牽引力もある。どの惑星でも使用可能と言う謳い文句のトラックとして、荒地や砂地、岩場もこなせる。車体は、ペイントなし、故にチップなしで、超硬質ステンレス鋼の外骨格は、へこみ、損傷、長期的な腐食を軽減すると言う。そのガラス窓も、強く、アコースティック・グラスと言われる強いガラスで、閉めれば車外の騒音を遮断する。と、まるでセールスパーソンの口調だが、実際に目にすると、割りと大きめで、まずそのデザインのシャープさに感嘆した。触ると指が切れそうなくらいのシャープな車体である。私が20代だったら、きっと欲しいと思うが、最大馬力クラスになると、9万6千ドル以上で、20代でも、何十代でも、これは夢の世界の話である。(参照:https://www.tesla.com/cybertruck)
目の保養。


この車は先週街中で私の右隣の車線で見かけた。2024年型のマゼラティ(マセラティ)社のGranTurismoグラントゥーリズモと言うイタリア車のEV(電気自動車)。ラグジョリー車だから、もちろん相当なお値段で遠い世界の遠いお金持ちのため。下々の私などの、ほんの一瞬の目の保養。欲しいとは思わないが、プラスティックの玩具の車であれば、楽しめることだろう。高級車を目にして、つい孫の玩具であれば、面白そう、と独言て、思わず笑みが浮かんだ。


この冊子は先月去年お世話になったホスピスから一年経って送られてきた。これで3冊目で、悔やみの付き合い方や、明るく希望を持って遺族が前向きになる素晴らしい言葉がたくさん書かれている。喪に服すのは誰でも同じなわけではなく、半年、一年経ったから、終わりでもないし、悲しみが薄くなるわけでもなく、残された者が旅立って先に行った愛する人と再会するまで、続く。それでも日々生きていくために参考になる言葉や考え方は、信仰のある者とて人生の道をゆくための杖のようなものである。ほんの数ペイジの冊子だが、クリスチャンの私には馴染みのある聖句も連ねられ、暗闇の灯りでもある。ホスピスという事業自体を、中には忌み嫌う方がいらっしゃると聞いたが、私には感謝しかない。時折お世話にいらしてくださった看護師の方々の明るい笑顔を思い出して、見えない夫に、本当にありがたかったことね、と話している。



そしてこれ。なんと一昨日8年前に夫がくれた母の日のカードをクレデンザの引き出しに見つけたのだ。それも封さえ切っていなくて、なんということ!! 良妻という言葉に程遠い私。すまなかったと後悔しきりでも、開封して読んだ言葉は、まるですぐそばに夫がいて、一緒にカードを覗き込んでいる気配さえ感じた。これが今の私にはかけがえのないお気に入りのもの。

カードにはこんな文章があり、その後に夫の「芸術的」な手書きが書いてある。
あなたの愛...
それは私の心を満たし、
それは私たちの家を満たし、
それはあなたのすべてのすることの一部です---
あなたと分かち合うこの人生の宝物の一部です

とてもたくさんの愛と幸せ
我が家へもたらしてくれてありがとう。
本当に感謝しています。


幸せな母の日を

(以下は夫の言葉)

2016 年 5 月 8 日
毎日、毎週、毎年、あなたが私のためにしてくれているすべてのことに対して、
あなたへの私の愛は年毎に強くなります。
最高のものはまだ来ていない---

愛、XXX(夫の名前)


家族は永遠。
コメント (4)
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アーマの切実なアドバイス

2024-05-11 | 私の好きなこと
Erma Bonbeck
writersdigest.com



備考:この記事は、2019年4月5日に初投稿したものだが、5年経った今再び投稿することにした。我が身に癌を得て、未だキャンサーフリーというスタンプが押されていないこともあり、彼女のこのエッセイは切実さを私に抱かせる。5年前の投稿文に、多少書き直しあり。


Erma Bombeckアーマ・ボンベックというアメリカのユーモア作家をご存知だろうか。彼女は1960年代半ばから1990年代後半にかけて、ごく一般的な郊外の家庭生活を描くことで定評があり、それは新聞コラムで大きな人気を博した。15冊の著書があり、ほとんど全書がベストセラーともなった。ボンベックは中西部郊外の主婦の日常生活を記録していたが、そこには、ユーモアがあり、4000を超える新聞のコラムニストとして活躍したものだ。アメリカだけに限らず、カナダの900の新聞にも掲載され、人気があった。

アーマ・ボンベックは1927年オハイオ州ベルブルックに生まれ、1996年4月22日持病の腎臓病が悪化し、移植手術を受けたが、カリフォルニア州サンフランシスコにてその69歳の生涯を閉じた。下記は、彼女が不治の癌と診断をされた直後にペンを執ったものである。


もし人生をもう一度生きるならば

アーマ・ボンベック、不治の癌を診断されて。


私はもっと少なく話し、もっと耳を傾けていただろう。カーペットにシミがついて汚れていても、ソファが色褪せていても、友人を夕食にもっと招待しただろう。

私は 見栄えのするリビングルームでポップコーンを食べていただろうし、誰かが暖炉で火を焚きたいと思ったならば、煤などの汚れについて、今までよりもはるかに少なく心配していただろう。

祖父がぼそぼそと話す幼い頃の話を私はもっと時間を割いてじっくり聞いていただろう。

逆毛を立てて、しっかりスプレーされた私の髪を、風で乱したくないと、夏の日に車窓を閉めて、と主張することはなかっただろう。

ピンクのバラのように彫られている蝋燭を、特別な機会に、と取っておいて保存していた場所で、結局溶ける前に、それを灯しただろう。

衣服に草の染みがつくことを心配せずに、私は我が子たちと芝生の上に座っていただろう。

私は、テレビを見てはもっと泣いたり笑ったりするよりも、人生を見てはもっと泣き、笑っただろう。

私がその日その場所にいなかったら地球がストップするだろうというふりをせずに、病気ならば床についただろう。

それが実用的で、一生汚れもせず持続する、という理由だけで私は物を買ったりすることはなかっただろう。

妊娠に9ヶ月を長いと感ずるよりも、私の中に芽生えている驚嘆と不思議が、神の奇跡をお手伝いする唯一のチャンスとして悟り、すべての瞬間を大切にしていただろう。

我が子たちが私にせっかちなほどにキスをしたとき、「夕食後の片付けをしてちょうだいね。」と私は決して言わなかっただろう。

もっと 「私はあなたを愛しているわ」を言い、 もっと 「ごめんなさい」を言っていただろう...けれどもう一度人生を持つチャンスがあったならば、私は毎分だってそれを掴み、その時間を生き、決してそれを離さない。


postbulletin.com

備考2:やっといただいたコメントへのお返事をしたためました。しばらく書かずにおりましたことをお詫びいたし、またコメントをとても感謝しております。



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いつか

2024-04-24 | 私の好きなこと


不意の来訪者が応接間に入る時、「あ、散らかし放題ですみません。子供たち(孫たち)がまだ小さくて。」と、言い訳がましいことを口にする経験は母親・祖母のどなたでもおありではないだろうか。あるいは、私だけかもしれない。少なくとも私はそれを15年以上続けてきたし、空の巣時代に突入しても、子供たちの雛形の子供たち(孫)という戦陣が控えている。

現役の育児期には、いつか、子供たちが成長したら、親の人生は「変わる」、「変わるはずだ」、「変わるかもしれない」、やがて「おそらく無理かもしれない」という変遷を経ている。

冷蔵庫のドアに色とりどりの付箋が貼られ、「子供#3午後 2 時に小児科医」や「#2,#3, #4木曜日午後6時カブスカウト101隊のパック・ミーティング」、「#1~5水曜日ピアノレッスンは金曜日に変更」(注:#1~5は長子から末子の略)だのが、いつかは、「火曜日午後、美容院」、「土曜日午後夫婦でアート ギャラリーを閲覧」、「月曜よりヨガ レッスン開始」と書かれることを夢見たものだった。

いつか子供たちが成長したら、家から落書きが絶対になくなるはず。 壁に緑色のクレヨンで描かれた「作者」のお名前(それでも「自白」はなし)、車の後方ウィンドウの埃に、Clean Me!!!!!(綺麗にして!!!!!)と指で描かれた言葉、そして固形石鹸に刻まれたイニシャル(容疑者はイニシャルだけに上がっているが)もいつかなくなることだろう。

いつか、子供たちが大きくなったら、引きちぎられたテディベアの鼻や目、時には手足を縫い付ける緊急手術をしたり、幼児がドッグフードを食べようとしている寸前で止めたり、午餐に訪問客をお呼びしてあるので、白いテーブルクロスを広げた途端、赤いガミーベアがべっとりと貼り付いているのを発見し、大急ぎで洗濯を始めねばならなくなり、予定した文化的なこと(つまり読み始めた本を最後まで読み通す)を変更することもなかろう。

いつか子供たちが成長したとき、ベッドの下でひっそりと茶色く干からびたリンゴの芯も、トイレットペーパーがすっかりなくなって、その芯だけが、ハンガーの空のスピンドルに残っていることも、デニムジーンズのポケットにひそやかに潜むビニールのやけにリアリスティックな毛虫も見つからなくなるだろう。 そして、机の引き出しの中には削って使用準備の整った鉛筆が入れた時のままあり、冷蔵庫の中に残ったパイのスライスが入れた時から微動だにしていず、もちろん齧った歯形もなくあり、日曜新聞の漫画ページがまだ残っているのを見つけることができるだろう。


いつか、子供たちが大きくなったら、キーシュ・ロレーインやホタテ貝のアマンディーヌ、あるいはただの芽キャベツと玉ねぎを炒めただけを作っても、誰も「うへ〜!!」とは言わなくなるだろう。 「ホットドッグがあればよかったのに!」 または、「隣のブランドンは、幸運だよ。母親は夕食にチョコレートバーを食べさせてくれるんだ。」といううそぶきは聞こえないだろう。

そして、私たちが文化的に、たまには、と、蝋燭の明かりで食事をしていても、誰も「もっとおいしくするために」エンドウ豆やにんじんをフォークにさして、その蝋燭の火で焼こうとしたり、食べ終わったら誰が、その蝋燭の火を吹き消すかについて一大論議・紛争が勃発したりすることはないだろう。

いつか、子供たちが成長したら、何艘もの赤や緑や青のプラスティックのボート、ゴムのワニ3匹、湯によって色の変わる金魚のおもちゃを数種、そして濡れたテニスボールを浴槽へ、放り入れなくても、お風呂の準備ができるようになるだろう。いつか 私自身は丸一時間、熱い湯気と微かな芳香のある泡のバスタブで贅沢に過ごせるはずだ。#1から#5の誰かが、あるいは5人全員に、ドアを拳で叩かれることも、「ママ、早くして!お手洗い行きたいから。」と叫ばれ、「他の二つのバスルームへ早く行きなさい!」と叫び返す必要はないだろう。
そう、いつか、子供たちが成長したら、人生は変わるだろう。

そして子供たちはいつの間にか私たちの巣を離れ、家は静かになり、穏やかになり、夫が逝去し、私には未亡人というタイトルがつき、下の応接間でピンを落とせば、2階の寝室でその音を聞けるほどの静寂だけが残された。
そして、私はそれがまったく気に入らなかった! 

...この先「いつか」ではなく「かつて」を振り返りながら過ごしていくのだろう、と感傷的になっているうちに、ほぼ1歳と5歳のヤンチャな孫息子たちが見事に花咲爺さんの如く, おもちゃをばら撒きながら、一歳児は一歳児言語で、そうすることの正当性を理論付ける。

これでいいのだ、と、ワセダの隣のバカタ大学出身のバカボンパパは、きっとそう言うだろう。私もそれに同感する。

夫や私の周りにいたのは、訓練中の天使たちだと認識したら、それが「いつか」なのだろう。


もちろん、おもちゃ箱はこれだけではない
これだけの筈はない。決してない。
お蔵がいるほど。
孫#10。






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ソウルメイトとの出会い

2024-04-14 | 私の好きなこと



アール・ハインツ氏は、アメリカで認定起業家アドバイザー プログラムをUCLA(カリフォルニア大学ロサンジェルス校)、USC(南カリフォルニア大学)やその他のカレッジなどで教え、合衆国有数の会計事務所で税務マネイジャーを務め、多くの独立公認会計事務所を設立してきた。コペンハーゲンで税務マネイジャーをしている次男が目指したい、と思うような人物である。

この高名な方はビジネスや税務や会計のことばかりが、彼の頭脳を支配していると思っていた私は、しばらく前にハインツ氏の別の面に甚く(いたく)感服した。そして彼の語ったことは夫や私の考えていたことにとても近かった。

私たち夫婦も大学時代に出会い、最初のデートから、お互いがお互いに唯一無二だと「わかっていた」(というよりもピンときた)ので、5人の子供たちに話してきていたのである。そして夫のこの世からの卒業によって結婚は42年目でしかなかったが、お互いのOne and Only(唯一無二)であったのは未だ真実である。
 
それは、ある方があるコラムで次のような質問をしたのに始まる。

ソウルメイト(親しい友人や恋人あるいは婚姻相手として最適な人)は大学時代、あるいはその後の人生で見つかりますか?
 
それに対してハインツ氏は、こう答えた。

付き合っている女性が「あの人」(結婚するに相応しい人)だと知っている男性の視点でお答えします。 そして結婚して43年経った今、私はそのことをさらによく知っています。

ソウルメイトをどうやって見分けますか? 人は「あなたのソウルメイト」なる表示を身に着けておらず、「正確に正しい質問」(あなたは私に相応しい方ですか?)をすることもできず、心のときめきと舞い上がるのを区別することもできません。

あなたにはわかるのです。あなたはただわかっているのです。 最初のデートで私はそれを知りました。 初めて彼女にキスしたとき、私は天国がどのようなものか閃きました。 私は彼女と一緒にいるととても心地よく感じ、世界の終わりまで毎日毎秒毎時間彼女と一緒にいたいと思いました。 私たちは同じ世界観を持っっていると気づき、さらに 私たちは同じ精神的価値観(あるいは霊的な価値観)を共有しているとわかりました(これは非常に重要です)。 私たちはお互いを理解しているのです。

そうやってわかるものなのです。 でも、その人に出会うまでは、心の準備をしておきましょう。 真剣に祈りの時間を費やすまでは自分自身の準備が整っていないことに気づきました。 (瞑想や他のことをすることもできますが、祈る準備はしておいたほうがいいです。そうしないと、その人を逃すことになります…そして、それはあなたのせいです!)

何について祈りますか? 「正しい人を送ってください」という愚かなことではありません。 それは時間の無駄です。 いいえ、自分自身について祈ってください。 どうすればより良い人間になれるでしょうか? 他の人をよりよく理解するにはどうすればよいでしょうか? 世界の悪をどのように認識し、さらに重要なことに、どのように対応しますか? 人生の 5 つの領域 (身体的、感情的、精神的、社会的、経済的) において最高の状態になるためには何をする必要がありますか? 何を修正する必要がありますか? どのような進歩がありましたか? すべての行動において、どうすれば思いやり、寛大さ、優しさ、そして正義を実践できるでしょうか? それらのことについて祈ってください。 自分自身を向上させることです。

それから、よく注意して見ることです。 誰かに出会ったとき、その人の見た目、服装、持っているもの、持っていないものを優先して評価しないでください。 その人の魂への手がかりを探してください。 彼らは思いやり、寛大さ、優しさ、そして正義の人ですか? 彼らの行動に注目してください。 その人は、力や影響の優越性を持てない人々をどのように扱うのでしょうか? 私が挙げられる最良の例は、給仕人、管理人、小売店の店員、そして路上ですれ違う見知らぬ人々をどのように扱うかということです。

あなたに相応しい人に出会ったときにあなたはそれがわかります。 それまでに、どうぞご自分の準備をなさってください。

 祝福がありますように。






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夢のいくつか

2024-04-05 | 私の好きなこと
イースターの日曜日は光り輝くような日:集う教会の駐車場で



二人の娘たちは、よく父親の夢を見る。特に末娘の夢は往々にして、胸に迫る思いを伴うことが多い。

日曜に集う教会の礼拝堂に隣接する板敷床の大きな部屋は、バスケットボールやバレーボールのできるコートにもなるし、クリスマスやイースターの季節の食事の機会には大きな丸いテーブルがいくつも置かれる。又カルチャーホールともなり、若い人々のダンスも行なわれる。ステージも併設されていることもあり、簡単な音楽コンサートや青少年や子供たちによるお芝居なども催す。緞帳を引くとそこはステージで、ステージの両端は裏方さんや出演者が出入りする狭い場所がある。

末娘の夢では、その小さな場所に父親が座っていた。娘はチェロ奏者として演奏することがあり、夢でもそんな設定らしい。ある時の夢では、ステージに行くほんの一瞬前に父親がステージ端のその狭い場所に折りたたみ椅子に座っているのを見たと言う。父親は蛍光的に光を放つような真っ白な衣服で、娘の大好きな笑顔の父親だと言う。

「最後の晩に、おやすみなさいとお父さんの目を見て話した時よりも、ずっとお元気そうで、私の知っている通りの穏やかで平和なおとうさんよ。」

「おとうさんは私に大きなハグをくれてどれだけみなを愛していることかと言ったの。でも『みなが、特にあなたのおかあさんが悲しみに暮れている時は、辛くて、胸が痛む。』と。それで、夢なのに、私は涙をこぼしながら起きたの。」

末娘にとってそして私や家族にとって、なんとProfound(深い意味)な夢だろうか。

。。。これから悲しくなったら、5分で泣き止み、気持ちを整えて笑みを浮かべるようにしましょう、と私が言うと、娘は、「私も。」と微笑んだ。

しばらく日が経ってから末娘は朝起きてきて、言った。
「おかあさん、また見たわ。今度は前よりも短くて、なんだかおとうさんはとても忙しそうだったの。でも目覚めた時、とてもとても嬉しい気持ちになっていた私なのよ。おとうさんは霊界にいても、私たちをとても愛していると言葉がなくとも、はっきりわかったの。」

クリスマスの頃の夢には、父親は好きだったプレイド(格子縞)のシャツを着て、家族がみな集まっていた居間の椅子に満面の笑みを湛えて静かに座っていた、と言う。娘はそんな父親にすぐ気がつき、逃したくないと、父親のすぐ傍の床に座り、腕を父親の膝に置いたと言う。それでもやがて父親は立ち上がり、壁を抜けて行ってしまった、まるで「ほら、今はこうすることもできるんだよ、」と言わんばかりに。

私は末娘の肩を抱いて、娘の耳元で囁いた。「お父さんが、いらしてくださり、私もとても嬉しいわ。でもおとうさんは、あちらの世界でも、どなたかをお助けするのにお忙しいのよ。そして貴女も十分知っているように、大丈夫よ、復活の朝に、私たちは皆また再会するし、そうすれば、もう時間がない、ということはなくて、永遠なのよ。」

「卒業・旅立ち」から9ヶ月にならんとするのに私たちは未だに夫の、父親のことを話す時、涙ぐんでしまう、5分間でそれは終えようと努力はしつつも。

同時期に長女の見た夢も、毎年繰り返されてきたクリスマスの朝の模様だった、と言う。
クリスマスの朝に、いつものように居間のクリスマスツリーの下で、皆が起き出してくると、最後に階段を父親が降りてくる、と言う。「おとうさんは集まっていた皆を、そりゃあ嬉しそうにニコニコ見ながら降りてきたのよ。それだけ、なんだけれど、起きた時とても幸せな気持ちだったわ。」

私はもちろん、子供たちの誰も創世記にあるヤコブの11番目の息子ジョセフのように、夢を解き明かすことはできないし、ジョセフのように「驚くべきテクニカラーの七色のコート」を持ってはいない。だが、娘たちのこうした夢は単純にそのまま受け止めて、夫が私たちと霊界においてもコンタクトをとっていると思っている。

心のうちにまるでアーリントン墓地のケネディ大統領のお墓にある「永遠の炎」のように愛や思い出や希望を燃やしつづけ、その炎や灯りを絶やさずにいる。

さらに、先日の北部州の姉を訪ねた折のこと。姉は私よりは一回り年上で、長年患っている背中の病気もあり、夫の葬儀には出席を見合わせた。そのしばらく後に私は葬儀のプログラムを郵送したが、姉は仏教徒でも神道でもなく、ましてどの教派のクリスチャンでもなく、そのプログラムにある葬儀の開会の讃美歌がどのような物なのか見当も付いてはいなかった。

その讃美歌は、All Creatures of Our God and King(日本語では、神は造り主、だと記憶する)で、これはアッシシのフランシスの作ったものである。そしてカトリック教徒間では、フランシス(セイント・フランシス)は動物を愛護するセイントとしても有名である。

夫の葬儀のあらましさえ知っていなかった姉は、葬儀の日の晩に、夢を見た。麗らかな春の日のようで、青い木々、そして大海のようにどこまでも美しい草地で、姉ともう一人の姉と私がピクニックをしていると、姉の7年前に亡くなった夫と私の夫が仲良く笑いながら一緒にピクニックに加わり、その二人の他にもう一人多少お年を召したようなヒゲを蓄えた男の方も微笑みながらやってきた。その方がやってくると、みなの周りには多くの動物たちがやってきた、と言う。

その夢の話をしてから、姉は「変な夢でしょう?」と言った。「それがね、私たち姉妹以外は、輝かんばかりの真っ白な服装で、お年を召したような方はローブのような衣を召していたわ。 それにしても、どなただったのかしら。」と言った。

家族で葬儀の準備の話し合いをしている時、次男が「お父さんの好きな讃美歌は、。。。」と言い出し、それを葬儀で歌ったら、と提案したのだった。それが、先述の讃美歌であった。はるかな昔、幼かった次男は父親にどの讃美歌が好きか尋ねたら、そう答えた、と言った。

姉の夢について私が、思うことを伝えると、姉はほぼ絶句したが、私とて、セイント・フランシスまで夢にご登場なったとは、と、とても驚いた。

その後私の滞在中に、再び義兄と私の夫が同じように姉の夢に現れ、ふたりとも、いそがしそうに立ち働いていた、と言う。先の夢と同じ服装で。面白かったのは多くの人々が必要としているモーターホームをもっと買わなければと話していたと言う。霊界でもモーターホーム?その意味はそれこそヤコブの11人目の息子ジョセフもお分かりにならないだろう。それにしても義兄と私の夫は、同じように、人をお助けするにいつでも躊躇なくいた人たちだった。

そんな姉の見た夢も、私たち姉妹の心を和ませ、幸せに感じられたのだから、私や姉は相当単純に作られているに違いない。


愛犬Boo(ブー)も藤の花びらに囲まれてイースターを骨型のスナックで楽しんだ。







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