ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

11月の終わりに

2020-11-30 | クリスマス

 

 

 

今年の11月も今日で終わり。なんとせわしなく、ある意味暇で、がっかりの多かった3月からの8ヶ月だったろうか。アルコール類は嗜まないが、なんだかワインだのウイスキーだのの気持ちが分かるようなそんな今年である。月日を重ねて黙々と芳醇な味を香りを蓄えて、いつかポンっと栓を開けられて、華々しくグラスに注がれる晩を夢見て、ひたすら暗闇に耐えているような。

お酒なら飲まれてそれで終わりだけれど、人間は、栓を開けられると、あれもできる、これもできる、あそこへ行ける、ここへ来てもらう、などと楽しいことをもう一度できる喜びが待っている。仕事も増えて、失業も少なくなり、学生は学校で級友と親しく勉強や活動に時間をかけられ、信仰を持つ人々は再び礼拝の場所で、多くの信仰者と礼拝できる、そんなことを考えるだけで、高揚してくる。人という漢字が、ただの「ノ」じゃなくて、もう一本の線が右で支えている「人」であるのは、決して偶然じゃあないだろう。

人は1人で生まれて、1人で逝くが、その二つの極自然なことの間は、1人ではなく、多くの人と関わって生きていく。それが中途半端にできなくなるこの8ヶ月だった。これがいつまで続くのかわからないが、私たちは、それがやがて終わり、再び家族に、友人に、級友に、隣人に会うという喜びがあることを忘れまい。ワクチン開発の朗報を支えに、もう少し頑張ってみるとしよう。

そして明日から12月。一年で一番私の好きな時である。今年は早めにクリスマスツリーを準備し、ダイニングテーブルの上には、ネイテイヴィテイ(キリスト降誕シーン)セットを飾った。今年のクリスマスは、やはり長男一家と次男一家は帰省できないので、寂しいが、それも人生。そんなクリスマスもあるのが人生だ。

そんなことを思いながら、私たち夫婦の結婚年月の積み重ねのようにたくさん集めたクリスマスツリーの飾りを一つ一つ手に取っているうちに、「そうだ、今年はかつての懐かしいクリスマスのTreats(お楽しみ、主にスイーツなど)を作ろう!」と独り言ちた。チーズ・ボール、キャテドラル・クッキー、 キャシュウ・ブリトル、ホイップト・ショートブレッド、などなど次から次へ頭に浮かんでくる。

こうしたものは、1980年代初めくらいまでは、結構多くの家庭で作って供していたものだった。そういえば、今ではチーズ・ボールなど誰も作ろうとも思わないかもしれない。これらのレシピは追々載せていくつもりだが、今日は、どうしてもこれをご紹介したい。それは、カテドラル・クッキー。

私は、これはGlue Goodies(グルーグッディズ=ベタベタの美味しいもの)という名前で覚えている。クッキーと名がついても、通常のクッキーではない。1970年代初頭、家族の友人であったミセス・カーにもらったレシピは、難しいことは一つもないので、私はよくこれを作り、留学してからもルームメイトたちと楽しんで作ったものである。秘訣は、何もなく、強いて言えば、ミニチュア・マシュマロの色のついたものを使うことである。淡い色とその色にあったフルーツフレイバーのあるものが楽しい。作るときは子供達と一緒にすると面白い。

 

材料:

セミスイートチョコチップ  1カップ(アメリカのカップ)

バター  大さじ2

パステルミニチュアマシュマロ  3カップ

作り方:

  1. ダブルボイラーを使用するか、または金属製のボウルを沸騰したお湯の上に置き、チョコレートチップとバターを弱火で溶かし、時々かき混ぜる。
  2. マシュマロを入れてそっとかき混ぜる。 30分間冷やす。
  3. ワックス・ペイパーの上で、混ぜ合わせたものを直径4センチほどの丸太に成形する。 お好みで丸太の周りにココナッツをまぶす。
  4. ワックスペイパーでしっかりと包み、端をねじって密封し、4時間または一晩凍結する。 ワックスペイパー紙を取り除く。 生地を1/4インチにスライス。 冷蔵庫の密閉容器に保管する。

 

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感謝祭を終えて

2020-11-29 | アメリカ事情

 

3番目の博士が行方不明で急いでリトル・ボー・ピープ(左端=小さな羊飼いの少女)が代理をしている

フロリダの孫娘のネイテイヴィテイ(キリスト降誕場面)

 

 

今年の感謝祭も例年のごとくやって来て去った。子供達家族は全員集まられなかったが、長女、次女、そして三男の家族で、無事祝うことができた。感謝祭休日は、遠くから来るには短すぎ、それに数週間でクリスマス休暇に入るから、もう少し待てばもっとゆっくり家族と過ごせられれば、という気持ちになる。今年は、医療専門家が、指揮をとる国政、のような雰囲気で、家族さえ例年のようになんの理由にせよ、なかなか集まることができない。あまりにドクター・ファウチ*の指揮力が強まり、強制に敏感でつい反逆したくなる国民性のアメリカは、それでもしぶしぶと従っているに過ぎない。年末恒例のある雑誌の「今年の人(顔)」は、きっとドクターファウチだろうと私は予想している。

*アメリカ国立アレルギー・感染症研究所(NIAID)所長

ドクター・ファウチやCovid-19にも関係なく、感謝祭の午後病人が出た。末娘の義理の母で、虫垂炎で入院し、即時手術、その晩には帰宅した。この時節、入院するよりも自宅で療養回復を図る方がずっと安全だからである。翌日には歩行を始め、手術後の癒着を防いでいる。彼女はタフだから、ずっと痛みを我慢していたが、感謝祭デイナーを支度していて、ついに我慢ができず、家人に「オーブンにロールズ(パン)を入れて温めておいてね」とことづて、彼女の夫の運転で病院へ行ったのだった。さすが6人の母である。たまたま末娘家族は夫と共に我が家で、昼からのデイナーに来ていたので、食後すぐに隣街の夫実家へ向ったのだった。そして今朝、夫と私は、チューリップの花束とカードとお慰めの雪だるまの形をしたココアをお見舞いに届けた。順調に回復しているとのこと、安心した。

 

 

さて今年の感謝祭デイナーでは、6歳の孫息子が、子供調理クラブに登録してから初めて届いたレセピのいくつかから、大好きなMac & Cheeze(マック・アンド・チーズは、マカロニとチーズのキャセロール)を作り、持ってきた。ルー(日本で言うホワイト・ソース)から作り、その出来栄えはなかなかで、初めての調理挑戦は楽しかったそうだ。

 

 

子供の成長には、眼を見張るものがある。長いこと一人っ子だったこの孫は去年弟が生まれて、四角がかった考え方の角が取れ、弟の泣き声がすると、即座に側へ行き、抱きしめて慰める。弟が生まれた時は、「妹がよかったのに」などとふてくされたようなことを言ったが、あっという間に「僕の弟」意識は生まれ、一緒に遊ぶようになった。

これが最初から、「あなたはお兄ちゃんでしょう?我慢しなさい。」などと、ある日突然「〜なさい」だの「〜らしくしなさい」などと言われたら、私だって、ひねくれるかもしれないので、それは避けたかった。そうした物言いは私たちは子供達にはしなかったし、したくもなかった。

幼児教育専攻ではなかったし、その道のプロでもないが、自分がそうされたら嫌だろうことは、避けたい。湾曲に物事のどちらを選択するか自分で決めるよう促す方が、子供は賢いから、わかってもらえることも往々だ。 大人の私が、嫌うことを子供に押し付けても仕方のないこと。そして本当に子供は、大人が落ち着いて言うことは、実際に素直に健気に理解する。

さて死んだ野ネズミをペットにしたかった孫娘は、昨日寒気に動きの遅いタランチュラ(オオツチグモ)の子を見つけた。見かけは恐ろしげだが、タランチュラは人間には有害ではなく、咬まれれば痛いが、毒性は弱く、むしろ蜂の方が心配である。 そのチビタランチュラの遅い動きを良いことに、背中を撫でては喜ぶ3歳のこの孫娘は、恐れ知らずの博愛主義者なのだろう。   

その前日カウチに座る私の隣に座り、熱心に自分はペットが欲しい、と話してくれた。どんなペット?と聞くと、「なんでもいいの。フクロウも好きだし。」とため息をつき言う。それはベイビーヨーダと一緒に出てくる、フクロウもどきのぬいぐるみをこないだ従兄弟の誕生日祝いで見て、いっぺんで気に入り、ほーほーと一日中フクロウの真似をしていたから、そりゃ欲しかろう。

 

 

合衆国では基本生きたフクロウを個人のペットにすることは規制され、怪我や病気のフクロウを保護・回復させるにも、きちんと訓練され、フクロウについて知識の豊富な、認可証をもつ者が里親をする以外は通常許されてはいない。ペット化するには、かなり野性味が強く、いくらハリー・ポッターの白いフクロウが魅力的でも、なかなか大変で、これはプロに任せた方が両者にとって妥当なことである。

だから孫娘には「フクロウは森や林のお家が大好きなのよ、あなたもパパとママのお家、好きよね。ベットはふかふかに気持ちいいし。だから、そこから離れなければならないとしたら、あなたは悲しいでしょ? だからフクロウも可哀想だと思うんだけど。」と話すと、3歳は、コクリとうなづいた。

クリスマスの朝、もしかしたら、ハリーポッターの白いフクロウのぬいぐるみがクリスマス・ツリーの下にあるかもしれない、と私が続けると、孫娘はニッコリした。この孫娘には、即座にダメ出しはできない。相手側(つまり動物側)に立っての説得が一番功を奏するのだ。「野ネズミは、きっと自分の家族に会いたいと悲しんでいるのよ。」なり、「フクロウの一番好きな場所は木の上よ。」などだ。子供は成長するのが早く、想像もできるから、悟のも早い。

その孫娘と兄たちは、夜には、ママの方の実家で、もう1人の祖父と感謝祭デイナー後、「サンタが街にやってくる」を歌いながら、暗くしたダイニングルームで食卓をぐるぐる回って、楽しんでいた。結局平和な感謝祭であった。

 

祝日でもオン・コールで勤めていた祖父(母方の)とクリスマスに向けて食堂でマーチする孫たち

 

 

 

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あなた自身

2020-11-28 | クリスマス

 

 

 

高価な贈り物や美しいカードよりもあなた自身のお顔をお声を面前で見たり聞いたりすることが、年老いた親には、何よりのギフトである。それは皆知っていることだが、そうできない、そうしたくない、という方も多い。何故このクリスマスコマーシャルが、深く胸を打ち、涙をそそられるかは、言葉がわからなくとも、また言葉がなくとも、はっきりわかる。こうした優れた作品をコマーシャルに創作し、製作した方々に感謝の気持ちをお伝えしたい。

この老人は、1人暮らしで、子供達はそれぞれの世界で成功をしているようだが、クリスマスはカードを出すだけで、それぞれに日々の生活に没頭している。隣の老人宅には子や孫たちが和気藹々と寄り集まっているのを窓越しに見る老人は今夜も1人で食事である。クリスマスも近いのに、子供達も孫達もいるのに、一人きり。老人は自らの死を装う。知らせを受けた子供達はすぐに老人宅へ集まる。食堂から出てきたのは、亡くなったはずの父親であった。そうまでしないと家族に会えない老親の気持ちが切ない。

 

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愛を贈る

2020-11-27 | クリスマス

 

 

 

大学のある街の外れに、小さな古い女性修道院がある。その古い住居建物は、スパニッシュ風なレンガ造りで、建物内外は修繕することによって保たれているものの、荒れ果てた外回りや庭園は、小さいながらも、かなりの人手と人力が必要に見えた。そこでカトリック教会に許可を得て、カトリックではない私の属する教会の青少年、中学から高校の男女が、奉仕活動をすることにして、道具持参で、清掃と庭園美化のためにある土曜日に集まったのは、もう15年程前のことだった。

総勢100名近くの少年少女は、朝早くから、泥だらけになって雑草を抜き、背丈の伸びすぎた植木をきちんと見栄え良く切り込み、芝生を刈った。寄付された草花を丁寧に植え終わった頃は、もう午後の陽が傾いた頃だった。途中で大人の指導者が用意したサンドウイッチをつまみ、皆懸命になって楽しみながら働いた。修道院の修道女たちは、かなり年配で、老修道女と言った方が正しいかもしれない。彼女たちは、綺麗になった庭園を見て、ただただ感謝し、胸を打たれ、涙ぐみさえした。少年少女は、奉仕のもたらす大きなものを胸にそれぞれ抱えて家路に着いた。

普段おそらく母親に口を酸っぱくして「きちんとベッドを整えて学校へ行きなさい」と言われている少年少女だろうこの若い人たちは、実際舐めるように、修道院の庭園を綺麗にし、まさに美化し、よく働いた。娘や息子も参加したが、疲労困憊のようで、帰宅してシャワーを浴びて、夕食のすぐ後ですぐに就寝してしまったのを覚えている。お疲れ様、とその寝顔を確かめてから、夫と私は子供達のそれぞれの寝室のドアを閉めた。

手から生えたスマートフォンに四六時中かかりっきりで、お手伝いチャートに自分たちの名前が書かれた、ゴミだし、食後の皿洗い、などのおきまりの当番をおろそかにすることもあるのに、他人の、他教会のために、奉仕することは、楽しみでさえあったようだった。

それが若い人のもつ力である。精神である。普段は怠け者の仮面をかぶることがあっても、必要な時にはマントを引っ張り出して、空をも飛びかねない素晴らしさがある。今日はそんな少年少女への感謝の気持ちを伝えたい。

このコマーシャルは、Hobby Lobby(ホビーロビー)という手芸・クラフト・洋裁・アートなんでもござれの店で、大きなチェーンストアだ。いかにも十代の少年らしい息子が食べっぱなし、脱ぎっぱなしの衣服や靴下をそこら中にほっぽらかして、ゲームに遊び疲れて眠っている。看護師の母親が出勤前にざっとその居間を片付け、急いで家を出る。この先はヴィデオをご覧あれ。この少年も「仮面」を被っているだけの、スーパーヒーローなのだ。

 

 

 

 

 

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若い人

2020-11-26 | クリスマス

 

 

 

最近の若い人は中高生、あるいは小学生でも、Tech Savvy(テック・サヴィ=コンピューターやインターネット、携帯電話などの使用技術や知識が豊富で、接続作業など普通の大人の100分の1の速さで終えることができ、親や祖父母を喜ばす)である。

先日Wireless Earbuds(ワイヤなしのイヤホン)を超特価で入手した私。日本の姉に話すと、「ああ、今の若者が好きな。。。」と言った。若者だけとは限らないんですがね。まあ、姉よりは若い私だから。トレイルを歩く時、あるいは在宅仕事の折に、使用するためである。ワイヤが付いていてもいいが、何故かワイヤにこんがらがることが多い。いちいち携帯電話やコンピューターに繋ぐのも煩わしいことがある。そんな時、ワイヤレスだと物事はよりスムーズに進められるような気がする。

今まで使ったことはなかったので、パッケージを開けて、さて、どうしたものか。USBコードで充電するのは、お茶の子さいさい。と、私が二つのイヤホンを両手で見比べているところに、長女の夫が見かねて「あ、僕が繋ぐよ」と。ものの数秒であっという間に携帯電話とイヤホンは繋がった。ウエッブデザイナーという職業柄、一流のテック・サヴィである。

あっという間に使用可能なイアホンを耳にはめてまず試しにアマゾン音楽で、チャーリー・ブラウン・クリスマス・アルバムを聴く。音質がとてもよく、「ライナスとルーシー」が実に生き生きとして楽しい。こうしたテクニックの発達に感謝せずにはいられない。

今日はこうしたテックサヴィの若者への感謝である。アップル社のコマーシャルであるが、若いテックサヴィが心を動かす決定的瞬間を見る雰囲気。ご存知のように、今の若い人(若い子)は、皆手から携帯電話が生えているから、片時も時間を無駄にせず携帯を魔術師のように扱う。大人から、食事時や、家族団欒の時は携帯をしまいなさい、とおそらく言われるだろうが、そんな典型的な若い人が実はただ無駄に携帯を使用し続けたわけではないのを家族は知る、という話である。言葉はないが、言葉以上に胸を打つ。ご覧あれ。

 

 

 

 

 

 

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