ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

フォーチュン クッキーの話

2022-09-16 | アメリカ事情

 

 

 

住む街に、まともな中華料理店がある。 中華料理店は、どんな田舎町でもいくつかあるアメリカだが、信頼のおける材料と調理で、本格的な中華料理を提供するレストランはなかなかない。 レストラン内のインテリアも、調度品も良く、私は、一つ一つのテーブルにきちんと洗濯され、糊付けされ、アイロンをしっかりとかけられた白いテーブルクロスやナプキンのいつ行ってもきちんとしているのが気に入っている。 そのレストランに先日夫とふたり、デートで出かけ、横浜の中華街の吉兆にも劣らないコースの食事を楽しんだ。 そしてそこでも例のフォーチュン・クッキーが出された。

フォーチュン・クッキーは、合衆国とカナダの中華料理店ではお定まりで、北メキシコの中華料理店でも、出されたことがある。 本場中国では、このクッキーの習慣はなく、その名前さえ知らない。 何故なら、そのルーツは、日本の江戸時代に誕生し、世間で流行ったおみくじの入った菓子、辻占煎餅などがその始まりと言われているからだ。 そのアイデアをアメリカに持ってきたのは、日本人移民だそうである。(詳細はWikipediaで。)

 

tefutefusanpo.netから。

石川県や富山県などで昔から知られている辻占お菓子の一例。

 

その日、私たちが貰ったフォーチュンクッキーが、下の写真である。 

 

最近の「フォーチュン」(御神籤、運、幸運)は、当たる、当たらないではなく、よりよい人生へのちょっとしたヒントのようなものが多く、案の定私の御神籤には、「静かに心を落ち着けなさい。 平安は美徳です。」とある。 それでも御神籤的な文言はいまだ多く、それが驚くほど正確である場合もあれば、非常に有益な場合もあると言う。 次のようなエピソードが現実にあるのだ。

  • 2017 年 12 月 9 日、大学生のジョーダン・リチャーズは地元の中華料理店で「今日から 3 か月後、何か良いことが起こる」と書かれたフォーチュン クッキーを開いた。リチャーズはそれを真剣に受け止め、カレンダーに「フォーチュン・クッキー・ デー」と記したほどだった。 3ヶ月後、彼は就職活動で、願っていた仕事の申し出を受け取った。
  • 「いつも子供時代楽しかったという思いを持っていると、年を取ることはありません。」というフォーチュン・クッキーが必要な女性もいた。 ブロガーのジリアン・ボーバーグがそれを読んだとき、彼女はまだ50歳だった父親との関係悪化による心的外傷後ストレス障害と闘っていた。
  • 「あなたの陳腐なフォーチュン・クッキーはあなたを一生の至福へ導きます。」というフォーチュンを得たブロガーのニッキー・D。「彼女は空港で中華料理を食べていたとき、そこで向かいあって座って食べているチャーミングな男性に気がついた。 「運命のように、私たち2人は少し離れて向かい合って座っていました。 私はチャーハンを半分くらい食べて、ノートパソコンを取り出して仕事もし始めました。 するとその時、あのハンサムな男性が私のところに来ました…私は彼に名刺を渡しました(かなりぎこちなく)、そして空港を出る前に彼は私にテキストメッセージを送り始めました。」 彼女と彼は婚約し、近々結婚する。

時にはロマンティックでもあるフォーチュン。 オフィスのデスクの引き出しに素敵と思ったフォーチュンを入れておく同僚もいて、私もそれをやっていたが、ただ別のゴミを作っているだけであることに気付き、やめた。 私には、生きている毎日がフォーチュンである。

 

過去の関連記事:

フォーチュン・クッキー - ままちゃんのアメリカ

フォーチュン・クッキー - ままちゃんのアメリカ

http://img.picturequotes.com/2/670/669721/fortune-cookie-quote-11-picture-quote-1.jpgアメリカやカナダの中華レストランで出されるフォーチュン・クッキー(おみくじク...

goo blog

 

 



コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ありがたいキュウリ

2022-07-27 | アメリカ事情

 

 

 

 

夏もたけなわ、多くの家庭菜園ではキュウリは例年のごとく豊かに実っていることだろう。今日はそんなキュウリへの応援である。

英語には"Cool as a cucumber"という言葉があり、「キュウリのように冷たい」という意味で、これは実際にきゅうりの血液の温度を下げる能力に由来している。また、キュウリを局所的に顔などの腫れた部分に輪切りにしたものを貼り付けたり、擦ったものを塗布すると、腫れを和らげる。そのため、キュウリは顔のお手入れで非常に人気がある。

 

キュウリには、人が毎日必要とするビタミンのほとんどが含まれている。たった1本のキュウリに、ビタミンB1、ビタミンB2、ビタミンB3、ビタミンB5、ビタミンB6、葉酸、ビタミンC、カルシウム、鉄、マグネシウム、リン、カリウム、亜鉛が含まれている。そして錠剤よりもおいしい。

キュウリを使って口臭も取り除ける。キュウリのスライスを使って、舌で30秒間口内上部の上顎に押し付けると植物化学物質が口臭の原因となるバクテリアを除去する。

キュウリにはビタミン、特にビタミンB群が豊富に含まれており、神経系をリラックスさせることができる。キュウリを切り、沸騰したお湯に入れると、キュウリの有益な化学物質や栄養素が沸騰したお湯と反応して蒸気に放出され、心地よいリラックスできる香りを生み出す。要するに、キュウリはパニック発作やストレスによる不安を和らげるのに役立つ。

シャワー後にバスルームの鏡が曇る時、鏡面をキュウリのスライスでこすると、鏡の曇りを取り除くだけでなく、スパのような新鮮な香りを提供する。

キュウリをスナックとすると、間食の誘惑を和らげ、空腹感を抑えるのに最適である。キュウリのスライスは16カロリーで、「エネルギー密度」が非常に低い。エネルギー密度の低い食品を多く食する人は、体重を減らすのに役立つ。

アルコール類のドリンクを飲み過ぎた時、キュウリには、アルコール飲料で体が失った必須栄養素を補給するのに十分な糖分、ビタミンB群、電解質が含まれているので役立つことが多い。二日酔いや頭痛を避けるために、就寝前と朝に数枚食べること。

もう少しエネルギーがあったら、と感ずる時、砂糖を含んだエナジードリンクを避けるのにはキュウリが効く。キュウリはビタミンB群と炭水化物の優れた供給源で、午後によく起こる口寂しさを解消できる。

高血糖には、キュウリが、主に動物実験において、制御する可能性がわかっている。より多くのキュウリを食べたラットは、ROS(活性酸素種)とROC(受信者動作特性曲線)を減らしたのである。この結果を裏付けるには、人間に関してのさらなる研究が必要であるとしても、すでにキュウリが健康に良いことはすでにわかっている。

キュウリには、フレヴァノイド、リグナン、トリテルペンなど、独自の抗酸化物質セットがある。それらは細胞を保護するだけでなく、関節炎や他の長期的な状態に関連する炎症を軽減する働きがある。

キュウリは水分補給に最適で、平均的な成人は、毎日約10〜12カップの水を摂取することが勧められているが、その約4分の1は、通常、食品に由来し、その中でもきゅうりは優れた供給源である。キュウリ一本には約95%の水分が含まれている。

キュウリとレモンの薄切りを飲用水に入れても良し

 

ビッグロウ社からは冷たい飲料水でキュウリやスイカの抽出用のティーバッグも売り出している。

 

最後に、思いもかけないキュウリの用途は、テーブルやガラスなどの表面から油性ペンを取り除くためのクリーナーとして使用できることである。

こんなキュウリの使用法、是非お試しあれ。

健康の素

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

嵐の後

2022-07-13 | アメリカ事情

Credit: Angela Capece / Facebook

 

 

冒頭の写真はまるで絵に描いたような空だが、実際にこの現象は、つい先月、6月にフロリダ州ココナットクリーク在住のアンジェラ・キャピスさんによって撮影された。

虹色の雲(彩雲)とも呼ばれるこの現象は、雷雨の直後に発生する。 水滴は、冷えると積雲の上部に形成され、雲の中に形成される炎の形をした虹のプリズムになる。

他のすべての要因が一致している場合でも、プリズムに正しく当たるには、太陽が地平線から正確に58度上にある必要があると言う。

私自身先月見たブロッケン現象といい、彩雲といい、虹を目にする時、そこには確かな約束があるのを思い起こさせる。

創世記9章で、神は彼の約束を空の虹で封印している。 ノアの話を紐解けば、裁きとしての洪水による荒廃の真っ只中に、神の恵みの約束を象徴する美しい虹が空にあったのである。虹はその以前にもあったのは確かだが、ノアが見た虹は、地球が二度とノアの時代並の洪水で覆われることはないだけでなく、主が再び地球に住むようになる約束の意味がある。つまり嵐の中でも神は私たちと共にあると約束したのだった。

よって虹はしばしば希望のしるしであり、嵐の後の美しさ、その虹のどちらか両端には金の入った壺があるというアイルランドの言い伝えさえもある。

この数年世界的な規模の悲劇があり、ウクライナにも起こり、そして先週日本でも衝撃的な悲劇が起こってしまった。それでも虹は現れる。私は虹が現れる度に希望を思い起こす。そして明日が新しい1日で、何か良い訪れがあることを、そして心から微笑むことができると信じている。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本当のLet It Go

2022-06-12 | アメリカ事情

ehorses.com

 

 

 

1991年にニューヨーク州北部で生まれたZippy Chippy、ズィッピー・チッピーは、競争馬サラブレッドの王族血統を持って生まれてきた。誕生時この馬の将来の成功は確約されたかのように見え、1964年にカナダ産馬として初めてケンタッキー・ダービーを制したサラブレッドで20世紀で最も成功した牡馬ノーザン・ダンサーの再来かと期待されていた。ところがこの馬には、燃えるような闘争心は見当たらず、むしろ花の好きな平和なあの牡牛、フェルディナンド・ブル*だった。レースに勝つためではなく、100連敗したことで記録を保持し続けた。
 
*「牡牛のフェルディナンド」(Ferdinand the Bull)は1938年製作のディズニー・アニメーション映画。原作はマンリー・ローフ・文、ロバート・ローソン絵の絵本『はなのすきなうし』(日本では光吉夏弥訳で岩波書店から発行)。

牡牛のフェルディナンド (1938年ディズニー)

 

この馬は勝利に近づくことさえもなかったが、それなのに、多くの人々の心を獲得したのは何故なのか。

ズィッピー・チッピーは、2022年4月15日に、引退馬牧場で、その31年の生涯を終えたが、100戦100敗という肩書きのつくこの馬を多くの人々は愛してやまなかった。 先月5月6日にはニューヨーク州のグリーンフィールドセンターでは、この馬の友人やファンが多く集まって最後の敬意を表した。

Ron Thompsonのフェイスブックから。

ズィッピー・チッピーの追悼式

 

ケンタッキー・ダービーの優勝者であるノーザンダンサーの孫であり、競馬ロイヤルファミリーに生まれたズィッピーは当初、史上最高の競走馬の一頭であった可能性があった、もしレースの開始時にだけ、他の競走馬と共に走り始めたならば。

ところがズィッピーは、誰も(人も馬も)が何故そんなに急いでいるのかを完全には理解していなかったらしく、その結果、参加していたすべてのレースで負けたため— 100レース中100敗(または、マイナーリーグの野球選手との駆けっこに負けたことを数えると101敗)ということになり、史上最悪の競走馬の記録を打ち立てた。

1995年に1988年型フォード社のトラクターと引き換えにズィッピーを譲り受けたオーナーで、トレイナーでもあったフェリックス・モンセラーテは、ズィッピーを家族の一員として扱い、忠実な仲間意識があった。 数年前故人となったが、モンセラーテは、決してこの馬を否定せず、諦めなかった。

「ズィッピーは私の息子のようなものです。私はこの馬が本当に大好きなのです。彼が走るたびに、私の気分を良くさせてくれます」と生前モンセラートは「CBSサンデーモーニング」に語った。

オーナー亡き後、ズィッピーは、ニューヨーク州北部のキャビンクリークにあるオールドフレンズ引退競争馬農場でその余生をこの4月15日に逝くまでのんびりと過ごした。 

「勝つことが当たり前で、すべてである競馬で、ズィッピーは負けることは普通のことだと教えてくれた」と感傷的にその馬を愛した人々は言う。 常に己を持ち、己の哲学(馬の)に基づいて生きてきたズィッピーに、多くの人々は皆自分自身を見ているかのように見ていたのだった。ズィッピーが何を望んでいたとしても、彼はいつも自分自身であり続けた。

Zippy Chippy / Credit: Samantha Decker

レースに勝ったことのない馬は多くの心を勝ち取った。

 

ケンタッキー・ダービーで、重要なのは馬のスピードだ。 しかし、ズィッピーは、優勝のバラの花束を求めて走る以上のことが人生(馬生)にあることを私たちに思い出させてきた。 時々、ただ立ち止まって花の香りを嗅ぐ余裕が良い場合だってあるのだということを教えてくれたのだ。

tvo.org

フェリックス・モンセラーテと彼の馬ズィッピーは、おそらくサラブレッド・レースで最も堅固な関係があった。

 

 

 

 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

唖然とする感覚の違い

2022-06-02 | アメリカ事情

1672年作「キリストの入墓」の彫刻にはマグダラのマリアが悲しみの涙を浮かべている。

 

 

 

最近ニューヨーク州サフォーク郡警察署はFacebookに、下図の護身用に多く用いられる2発(だけ)撃てるデリンジャー銃を所持している男性を違法行為とみなして逮捕したことを投稿した。

生涯拳銃などを実際に触れるどころか目にすることもなく、ましてや日常生活にその必要性を一切感じない日本人としては、この私のように、一見しただけで、恐ろしいと思うのではないだろうか。 ところがこのフェイスブックの投稿に対しての一般市民のコメントは日本人の感覚とは程遠いものである。 そのコメントに賛同する数にも日本人の感覚にはないものがある。

 

old gun recovered police funny comments

アンソニー・ディアス

アンティーク・ロードショウ(公共放送局PBSの巡回興行で各地のアンティークをその道のプロが鑑定し、その価値を持ち主に示す米国の人気番組)へ行く途中の男性を逮捕!! よくやった、サフォーク郡警察署!

old gun recovered police funny comments

リッチ・ジョン

その拳銃のシリアル番号は1。

old gun recovered police funny comments

ジア・アンジェラ

この逮捕は1879年のことなの?

old gun recovered police funny comments

マシュー・ゴンザレズ

逮捕した警察官は誰? ワイアット・アープ?

 

その他にも次のようなコメントが続いた:

 

それでは誰が、「英国軍が来る!」【かつて独立戦争時にポール・リヴィアが真夜中の騎行でそう人々に報らせた】と知らせてくれるの?

その男を連行した時の馬車の速さはどのくらいだったの?

その逮捕された男は、チャタヌガ行き列車の中で列車強盗から身を護るために所持していたんだよ。

 

この拳銃はご覧になられるように、小型上下二連の連装銃で、弾倉をもたない護身用で、昨今の集団銃撃事件に使用された米国製自動小銃AR-15やロシア製自動ライフルAK-47のような大量殺戮を目的としてはいない。 ただしこのデリンジャー小銃は小型故に暗殺用としても用いられ、かのリンカーン大統領暗殺にジョン・ウィルクス・ブースは使用したのだった。 だから、一眼見て恐ろしいと思う日本人の感覚は正しい。 古式だろうが、小さかろうが、二連銃だから、二発続けて撃てる凶器である。 その古さと型を見てジョークにするアメリカ人はやはり本当に銃に対してかなり麻痺観があるのが伺えるコメントだと私は受け取る。

ちなみに全米一銃規制の厳しい州はカリフォルニア州だが、一番安全な州はハワイ州、最近富に銃規制環境が改良された州はコロラド州である。 しかしながら、そのカリフォルニアでさえ、今年に入って極最近二つの銃撃事件が、サクラメントとオレンジ郡で起こり、死者も出している。 そして全米の銃撃事件は1840年から1999年までに352件、2000年以降現在までの22年間には、圧倒的な速さで1000件にならんとしている。 そこには銃規制だけではすまされない因子が見え隠れしている。

アメリカが犠牲者の命以外に失っていったものは、道徳心、互いを思いやる心がけで、ますます増えていくのは、孤独な者はますます孤独に追い込まれるような重圧を生む社会情勢、アルコール中毒や麻薬中毒、弱者虐め、多発する離婚、親の育児放棄、家族崩壊あるいは離散、過度な権利主張、義務感の欠如、廃れていく信仰心、などなどざっと挙げただけでもこれだけある。 1960年代、台頭してきた放任、過度の寛容性が本来あった自己抑制を破壊することに拍車をかけたのは間違いはない。 

そして大麻をとうとう娯楽用に使用することをアメリカの多くの州は法的に認可し、カナダではコケインさえ大統領が今や認可せんという気配がある。 悪に立ち向かえないならば、いっそ合法化してしまえばいい、という社会の風潮は、何一つ人々の幸せにつながらない。

道徳に反する風潮が積み重なって雪崩現象となるのは必然で、火に油を注ぐが如きだ。 子供が若者が銃を取り、学校へあるいは教会やシナゴーグ、モスク、劇場、ショッピングセンター、病院と多くの人々が利用する場所へ出掛けて、事件を起こす。 その裏にはいつも精神的病いに対する安易な対策が原因の一つとして影を落としている。

夫のまだ若い甥は精神心理分析医としてユタ州に住んでいるが、週の半分はカリフォルニアへ飛んできて、州立刑務所の服役者を対象に治療をしている。 彼はもともと青少年層が研究・治療対象であるが、刑務所からの要望が多い。やむを得ず、そうしているが、実際には治療を最も必要とするのは、服役者ではなく、そうならないようにするために若い層を中心に治していかねばならないはずだ。

知り合いの内科医の許で働くナース・プラクティショナーは、話の弾みで夫の甥の多忙さが話題になった時、突如真剣な顔をして、「私は刑務所に若い人を送るよりも前に、精神医学を再学習し、その治療の一環として働きたいのです。その方に私はシャドウできるかお願いしてもよろしいでしょうか。」と訊いた。(シャドウイングとは、専門医師のそばに付き、その医師の診察や治療・手術などを観察して学んでいく方法)「何故ならば、内科での患者を診ていると、いかに精神衛生が身体に影響を及ぼすか、顕著なんですよね、そして内科治療よりもむしろ内心治療(心療)が如何に必要か実感するんです。」

40,50年ほど前までは、親が道徳の基本、正直、勤勉、努力などを家庭の中で教えてきたのだろうが、今ではすっかりそれは「学校」や「教師」や精神分析医学へ責任転嫁されているようである、アメリカでも、日本でも。

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする