ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

誰かのために

2021-12-19 | クリスマス

 

 

 

自分が持っていたすべてを与えた末期癌のホームレスの男性の話をウォルマートに働く友人から聞いた実話である。

コロラド州のホームレスの男性は、地元のウォルマートで寄付されたおもちゃを必要な子供たちに贈る運動をしていると知り、無私無欲な贈り物をするために必要なものをほとんど自分は持っていないとわかっていた。 それでもグレン・マッカーシーは一杯のコーヒーを飲むためにウォルマートに歩いて行き、結局バービーとホットウィール(ミニカー)のセットを購入したが、そこで彼が見た光沢のある新しい子供用自転車について考え続けた。  「そして私はその自転車のタグを見ると、59ドルとマークされていましたが、その下にももうひとつタグがあり、そこには44ドルと書かれていました」と彼は言った。

一部の人にとっては大金ではないが、グレンにとってはほとんどすべてだった。 その夜遅くまで、彼はその自転車について考え続け、とうとう夜が開けるとすぐに、再びウォルマートへ向かった。タグに2つの異なる価格が記載されていると、店員に尋ねると、店員は彼に44ドルで自転車を持っていけますよ、と言った。

彼は、これがおそらく自分の最後のクリスマスになるだろうから、無名で何者でもない自分が小さな子供を幸せにできるかもしれないと考えた。 お金を持っていたときよりも、たった今の人生が幸せだと気付くのに、すべてを失ってもかまわないと彼は考えたのだった。

 

 

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運命がくれたクリスマスツリー

2021-12-17 | クリスマス

 

 

 

 

この思い出話は大分以前のことで、ガートルードが話してくれたことである。もちろんこの話は実話である。

 

1958年のクリスマスの喧騒の中で、ガートルードと夫は3歳と4歳の二人の子供たちに、数日で手に入れる美しいクリスマスツリーについて話した。クリスマスイブに、最近購入したばかりのベイカリーで、売り上げレシートを数え、店を掃除し、眠い子供たち2人を連れて家族で家路についた。

突然、この夫婦は木をまだ手に入れていなかったことを思い出した。木が残っている可能性のある露店を探したが、見つからなかった。

家まであと約1マイルのところで、この家族は赤信号のために停止した。すると、突風が吹き、トラックの前に何かが当たった。夫は

外に出て何があたったのか調べることにした。

ガートルードが次に知ったのは、夫がトラックの荷台に回って、ちょうど良いサイズの常緑樹を投げいれたことだった。彼はトラックが停車している通りの角にある老夫婦の店に行き、この木がおいくらなのかと尋ねた。その老夫婦は、その年、クリスマスツリーを売らなかったんですよ、と言った。

クリスマスの奇跡!道の真ん中で木がどうやってトラックの前に転がって来たのかは誰にも見当がつかなかったが、どういうわけかガートルードと夫は知っていると感じたと言う。ちなみに、この木はこれまでで最も美しい木だった。

 

 

 

 

 

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聞き覚えのある声

2021-12-14 | クリスマス

 

 

 

幸いなことに、Covid-19ではなく、小さな子供たちの間で流行っている耳、鼻、喉を襲うバクテリア性の感染病に3人の孫が仲良し故に罹り、看病と治療と日々の暮らしで忙しい両親に代わって食事の支度などをこの数日手伝っていた私である。ブログが飛んでしまったが、おかげさまでその3人の患者たちは快方に向かっている。

つくづく私たち夫婦が、3人の子供たちの家族の近くにいることをありがたく思った。すぐに食事を用意でき、それをアマゾンの空き箱にお鍋ごと入れて、温かいうちに即時それぞれの家へ「配達」できる。大した食事ではないが、温かいスープや付け合わせのディナーロールやカラカラオレンジ(実の赤いオレンジで、比較的通常のオレンジよりも甘い)を箱に入れてついでにキャンディケインも。息子が南カリフォルニアから訪問していて、クリスマスクッキーをたくさん焼いてくれたので、それも入れて。地元の蜂蜜と庭のレモンの木からのレモンをスライスして暖かくして飲ませるものも作り、それは5歳と7歳の子供のために。2歳の子供ももうすでに蜂蜜は許されるが、念のためにその子にはオレンジジュースを。そんなことをやっている間、私は、もう本当に引退しなきゃ、と思うことしきり。

クリスマスカードや添える家族の写真も、すでに発送済み。スエーデンの息子夫婦と二人の孫たちへのパッケージも、日本の姉へのパッケージも発送済み。ブー(ハスキーの2歳”少女”)のグルーミングも先週末終えた。あとは秘密の部屋に隠してあるプレゼントを包み、クリスマスツリーの下に置くことだけ。最近はしないが、もう少し若かった頃は、こうしたクリスマス準備に加えて、クリスマスキャロリングを友人たちとしたり、ご近所にお渡しするキャンディやクッキーやらをたくさん作ってお届けする楽しみもあったが昨今のパンデミック事情を考えると、控えている。今年は里子へのプレゼントというプロジェクトに参加し、二人の十代の少年少女へのプレゼントを用意し、すでにそれもピックアップ先に出した。

クリスマスを迎える今頃は、忙しい中にもふっと息のつける時間を見つけては、かつて自分が幼かった頃や親の庇護の元にあった時代のクリスマスの思い出を思い出したりする。父は私たち子供に、クリスマスに欲しい物があったら、部屋の角に壁の方へ向いて座り、願いを言ってごらん、とよく言ったものだ。その行事はしっかり今でも微笑みが浮かぶほど覚えている。欲しかったのは「魚類図鑑」だの、「24色の色鉛筆セット」だのだったと思う。そんなことを部屋の隅の壁に向かって話していた弟や私は、その後ろにいた父にとっては、楽しかっただろうと思う。笑いを堪えて、おそらく聞いていたことだろう。クリスマスの朝、大抵は、そうした希望していたものが見つけられた。子供心にも両親のまかなえる範囲のものを希望していたような気がする。

今日から、先日友人が話してくれたクリスマスの思い出をいくつかお分けしたい。まずはレイリーンからの本当にあったことのお話。

 

 

レイリーンの夫は1999年10月7日に、メラノーマ(上皮黒色腫)癌のため、48歳で亡くなった。以下は、レイリーンに、夫の死後4年後に起こった非常に特別なクリスマスの本当の話である。年は2003年で、そしてクリスマスまで2日しか残っていないという頃だった。彼女の家は大勢の家族たちで賑わっていた。子供たち、孫、家族親戚の夫婦たち、さらには彼女の二人の義理の子供たちなどで、常に少なくとも12人がいた。早朝、レイリーンは香りの良い小さなろうそくを取り出し、子供や孫の写真がたくさん飾られてある暖炉の上のマントルに置いた。

そして彼女は再びそれまでしていたクリスマスのための準備をし続けた。彼女はこの季節のために一年中こうした小さなろうそくをためていた。それが一日中燃えて、部屋を新鮮な香りで満たすのを楽しんでいた。ろうそくは、炎の明るさを楽しむことができるように、ハートの形に側面に穴の開けられたかわいい木箱に入れられていた。

早朝4時、彼女は、ドアの外からする男性の声によって目覚めされた。「『お母さん!』(Mom)」 声は聞き慣れた声で、彼女の息子の1人がそう言ったように聞こえたが、どの息子なのかは分からずじまいだった。 ベッドから答えるのではなく、彼女はドアに向かった。 ドアを開いたとき、そこには誰もいなかったので、彼女はそれが誰だったのか様子を見ようと、あたりを見回したが、そこにも部屋の中にも誰もいなかった。

しかし、驚くことに、彼女はその時、自分が消し忘れたろうそくが目に入り、今やその炎は12インチほどの高さになっていたのだ! それはガラス容器を通してハート型の穴を溶かし、入っていた木箱を燃やし始めていた。 ろうそくの上のリボンも焦げていた。 素早く炎を消したが、彼女はひどく驚くことも、おびえることもなかった。 彼女は愛情のある天の御父がいつも彼女を見守っていることを知っていたので、むしろ平和と感謝の念にかられた。 そしてこの状況について考えていると、あの話かけた声が彼女にはなじみがあることに気づいた。 彼女の数年前に亡くなった夫は、ほとんどいつも彼女を「お母さん(Mom)」と呼んでいたのだった。

 

 

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最良のクリスマス

2021-12-10 | クリスマス

truthbook.com

 

 

 

クリスマスパーティーは終わった。 男性の何人かは、子供の頃のクリスマスの日を回想しながら、テーブルに座っていた。

その時の会話はそのテーブルに座っていた人たちの人生で最高のクリスマスとなった。 一通りそれぞれが話し終えると、皆は一人の男性が何も言わなかったことに気づいた。 そこで彼らは尋ねた、「さあ..フランク、あなたの最高のクリスマスはどんなでしたか?」

フランクは、「今までで最高のクリスマスは、プレゼントさえもらえなかったときでした」と口を開いた。 他の人たちは驚いた。 彼らはその話を聞き逃しまい、と耳を傾けた。

フランクは話し始めた。「私はニューヨークで育ちました。あの頃は大恐慌で、私たちは貧しかったですね。 母は私が8歳のときに亡くなりました。 父は仕事をしていましたが、週に2、3日しか働けず、でもそれでも良いことだと考えられていました。 私たちはエレベーターのないアパートに住んでいて、食べ物や服はほとんど十分にはありませんでした。 でも私は子供だったので、あまりそうしたことに気づいていませんでした。」

「父は誇り高き人でした。 スーツを一着持っていて、そのスーツを着て仕事をしていました。 帰宅すると、父はジャケットを脱いで、シャツ、ネクタイ、ベストを着たまま椅子に座っていました。

父は私の母が贈った大きな古い懐中時計を持っていました。彼が椅子に座ると、ぶら下がっていた時計の鎖が、ベストのボタンホールのフォブに接続されていました。 その時計は父の最も誇らしい所持品でした。 時々、私は父がただそこに座って、その貴重な時計を見ているのをよく見かけました。 父は私の母のことを考えていたに違いありません。」

「ある年、私は12歳くらいでしたが、化学セットがとても流行っていました。 それは2ドルはかかり、当時、そして私たちにとっては大金でしたが、私を含むすべての子供はその化学セットを欲しがっていたのでした。 私はクリスマスの1か月ほど前にそれについて父を悩ませ始めました。 私はすべての子供がするような約束を父と交わしました。 僕はいい子になります、僕は家事をします、こういうことはこれから二度と何も求めません。 だから。。。化学セットを考慮してくれないか、というわけです。 父はただ『考えておくよ』と言ったものでした。」

「クリスマスの3日前に、父は私をカート(商品を荷車に乗せてある)に連れて行ってくれました。すべての小規模な商人が通りのカートを保管しているエリアがありました。彼らは常設の店を持たず、こうして商いを営んでいました。 それでも人々は良い買い物をすることができました。 彼は私をカートに連れて行き、小さなおもちゃを選びました。 「こんなもの欲しい?」 もちろん、私は「いいえ、化学セットが欲しいです」と言います。 私たちはほぼすべてのカートに足を運び、おもちゃの車やおもちゃの銃を見せてくれましたが、私はそれを拒否しました。父に化学セットを買うお金がないとは思ってもみませんでした。最後に、父はその日家に帰って翌日戻ってきたほうがいいと言いました。」

「家に帰るまで、私は化学のセットについて声高に話し続けました。 私は例の約束を繰り返しました。別のプレゼントをもらえなくても構わないとさえ言いました。 私はその化学セットを持っていなければなりませんでした。 父は私にこれ以上与えることができないことに罪悪感を感じたことを今は知っています。 彼はおそらく買えないということは父としての失敗だと思っていたに違いありません、さらに彼は私の母の死を自分のせいだと思ったに違いなかったのでしょう。 私たちが階段を昇っていくと、父は私に、化学のセットを手に入れるために何ができるかを考えてみるよ、と言いました。 その夜、私は眠ることさえできないほど考えていました。 化学セットを使って、自分がいくつかの新しい発明しているのを想像することができました。 そのニュースの載ったニューヨークタイムズを想像することさえできました。『少年がノーベル賞を受賞!』」

「翌日、仕事を終えた父は私を商品をたくさん積んだ荷台のあるところへ連れて行きました。途中、父は一斤のパンを買って、それを腕の下に持っていたのを覚えています。 最初の荷台に来ると、父は私が欲しいセットを選ぶように言いました。 そこにあった物はすべて似ていましたが、私が欲しいと思う物はなかったので、他の荷台のそばをどんどん通り抜けました。 そしてついに私は正確に欲しかった物を見つけました、そして父に、『これがそうです、お父さん!』とほぼ大声で言いました。」

「私はその時父がお金を取り出そうとズボンのポケットに手を伸ばしているのを今でも目に浮かべられます。 父が2ドルを引き出したとき、一枚のドル札はひらひらと地面に落ちました。 父はそれを拾うためにかがんだ時、鎖が父のベストからすべり落ちた鎖が前後に揺れました。 その鎖の先には時計はありませんでした。」

「私はあっという間に、父が時計を売ったことに気づきました。 私に化学セットを買うために、父は最も大事にしていた貴重な所有物を売ったのです。 父は私の母が最後にくれた時計を売って、化学薬品のセットを買おうとしてくれたのでした。」

「私は突差に父の腕をつかみ、『いいえ!』と叫びました。私はこれまで父をそのようにつかんだことはなく、父に怒鳴ったこともありませんでした。 父は顔に奇妙な表情を浮かべて、わたしを見たことを今でも思いおこせます。 『いいえ、お父さん、僕に何も買う必要はありません。』 涙が私の目に燃えていました。 『お父さん、僕はお父さんが僕を愛していることを知っています。』 私たちは荷台から離れて歩いて行きました、そして私は父が家までずっと私の手を握っていたのを覚えています。」

フランクはテーブルに座って話を聞いていた人たちを見た。 「ご存知のように、その瞬間を買うのに十分なお金は世界のどこにありません。 その瞬間、私は父が世界の何よりも私を愛していたことを知っていました。」

それが神が私たちを愛しておられる方法である。 神はただそれを言ったのではなく、それを示した。 彼は誰もが与えることができない最も貴重なものを与えた。 神はご自身の息子を与えてくれた。

ヨハネによる福音書第3章16節は、「神はこの世(あなたと私)をとても愛しておられたので、神を信じる者は誰でも滅びることなく永遠の命を得ることができるように、独り子をお与えになりました」と述べている。神が、ご自身の息子、イエスを与えたのは、あなたや私が永遠の命を持てるかもしれないようにするためであった。


Muirhead Gallery

 


 

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クリスマスの赤い薔薇

2021-12-08 | クリスマス

1.cbn.com

 

 

 

ボビーは雪の中裏庭に座っているうちに凍えてきた。ボビーはブーツを履いてなかった。ブーツが好きではなかったし、それでなくとも彼は何も所有してはいなかった。彼が履いていた薄いスニーカーはほとんど穴だらけで、寒さを防ぐことはなかった。ボビーはもうしばらく裏庭にいた。母親へのクリスマス・プレゼントのアイデアを思い付こうとどんなに努力しても何も思いつけなかった。

「何も思いつかない。アイデアを思いついたとしても、使うお金さえないんだもの」と思って首を横に振った。

彼の父が3年前に亡くなって以来、残された5人家族は苦労の連続だった。 彼の母親が気にかけていなかったわけではなかった。 彼女は病院で夜勤して懸命に働いていたが、その少額の賃金は今のところ生活に精一杯使われる限りだった。 家族がお金や物質的なものに欠けていたところは、家族の愛と団結で埋め合わせられていた。

ボビーには2人の姉と1人の妹がいて、その姉妹たちが母親の不在の時は家を切り盛りしていた。 3人の姉妹はすべて、すでに母親に美しい贈り物を作って用意していた。 なんだかこれは不公平なことだと感じられた。すでにもうクリスマスイブなのに、彼には何も贈るものがなく、ボビーは情けなく感じ、頬を涙で濡らした。

やがてボビーは目から涙をぬぐい、雪を蹴り、店の並ぶの通りへと歩き始めた。 父親を亡くした6歳の少年であることは簡単ではなかった。特に、父親が大人と話す必要がある場合は特にそうだった。ボビーは店から店へと歩き、クリスマスらしく装飾されたショーウィンドウの数々を見た。 すべてがとても美しく、手の届かないところにあるかのように見えた。

だんだん暗くなりかけ、ボビーはしぶしぶ家に帰ることにした。 すると突然、彼の目が縁石に沿って何かが夕日の光線をきらりと反射するのを捉えた。 彼は手を伸ばして、光沢を放っているダイム(10セント硬貨)を発見した。 ボビーはその瞬間に感じたほど裕福に感じたことはいまだかつてなかった。

新たに見つけた宝物を持っていると、全身に温もりが広がり、彼は最初に見た店に足を踏み入れた。店員が10セント硬貨だけでは何も買えないと言ったとき、彼の興奮はすぐに冷たくなった。 彼は次に花屋を見て、列に並んで待とうと中に入った。

店主がボビーに何をお望みですかと尋ねると、ボビーは10セント硬貨を見せて、母親のクリスマスプレゼントに花を1つ買えるかどうか尋ねた。店主はボビーと彼の10セント硬貨を見て、ボビーの肩に手を置いて言った、「ここでお待ちくだされば、私があなたのために何ができるか見てきます。」

待っている間、ボビーは美しい花々を見ていた。 そのうちに男の子の自分が、なぜ母親と女の子が花を好きなのかがわかったような気がした。 最後の顧客が去ったときのドアが閉まる音がボビーを揺さぶり、現実に戻した。

店内に一人きりでボビーは孤独を感じ始め、恐れ始めた。 すると突然、店主が出てきてカウンターにやってきた。そしてボビーの目の前に、12本の長い茎の赤いバラと緑の葉と小さな白い花が大きな銀のリボンで結ばれている束が置かれた。

ボビーの心は、店主がその花束を拾い上げ、長い白い箱にそっと入れたときに気持ちが沈んだ。 「お待たせしました。 代金は10セントになります。」 店主に、ボビーは10セント硬貨をゆっくりと渡した。

これは本当なのかしら? 他の誰も彼にダイムに値するものを与えられなかったのに!

店主は、少年がなにか気がかりがあるらしいのを感じて、次のように付け加えた。 「これでよろしいでしょうか?」

今度はボビーは躊躇せず、店主が彼の手に長い箱を置いたとき、それが本当であるとわかった。 店主がボビーのためにドアを開けて、彼が出ていくとき「メリークリスマス!」と言った。

店主は店内に戻ると彼の妻が奥から出てきた。 「あなたはそこで誰と話していたの? そしてあなたが用意していたバラはどこにあるのかしら?」

窓の外を見つめ、あふれる涙を流しながら、店主はこう答えた。 「今朝開店の準備をしていると不思議なことがあったんだ。 特別なお客さんのために、最高の一ダースの薔薇を取り置きなさい、という声を聞いたんだ。 その時は自分の気が狂ったのか、何なのかわからなかったんだが、とにかく言われた通りに脇に置いていたんだよ。 そうしたら、ほんの数分前、小さな男の子が店にやって来て、10セント硬貨を1つ持って、母親のために花を買いたいと言ったんだ。」

「この小さな男の子を見たとき、もう何年も前の自分自身を見たようだった。 私も、母にクリスマスプレゼントを買うものが何もない貧しい少年だったんだ。 ところが、それまで見たことも話したこともないあごひげを生やした男の人が通りで私を呼び止めて、私に10ドルを与えたいと申し出てくれたんだ。」

「今夜あの小さな男の子を見たとき、私はその声が誰であるかを知ったんだ、だから最高のバラの1ダースをまとめたんだよ。」

店主と妻は抱き合って、閉店後の冷たい空気が広がる店内なのに、ちっとも寒いとは感じなかった。

この物語が、あなたに本当のクリスマスの精神をお伝えるのに十分でありますように。

 

416-flowers.co

コメント (2)
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