日々史跡めぐり

日本のあちこちの史跡、神社仏閣を巡っています

臨済寺の春の特別公開(6)今川神廟 今川義元の首塚

2023-07-25 | 今川義元

茶室の次は、登ってきた階段を降りて「今川神廟」に向かいました。

こちらは、今川義元と氏輝の廟で、2018年5月に落慶法要が行われました。

以前は、現在建っている場所よりも後ろに建っていましたが、義元公の功績を評価し、偉人に相応しい立派なものをというご住職の考えで、本堂へ向かう歩道沿いに再建されたそうです。

優美な曲線を描き、大きく軒を伸ばした屋根が特徴の優美な建物です。

中には石塔と位牌があります。

左側の大きな石塔は今川義元公、右側の小さな石塔は、今川氏輝公のもの。

今川義元の石塔(首塚)

桶狭間の戦いで、織田方に討ち取られた義元公の首級は、重臣・岡部元信と織田信長との交渉により後に返還され、駿河の菩提寺であった天澤寺に葬られましたが、天澤寺の衰退後、臨済寺に移されました。
一方、胴体は腐敗が激しく、駿河に戻り途中、豊川市の大聖寺に葬られました。

今川氏輝の石塔

次に続く


ブログランキングの応援よろしくお願いします
😄

にほんブログ村 歴史ブログ 歴女・女性歴史ファンへにほんブログ村

 

神社・仏閣ランキング

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

臨済寺の春の特別公開(3)

2023-06-25 | 今川義元

臨済寺の本堂の見学の続きをお届けします。

大岩地蔵

太原雪斎の肖像画

この奥には、ご本尊の釈迦如来像と、今川家の位牌が並んでいます。

釈迦如来像と日光月光菩薩

今川家、徳川家の位牌

今川義元の像

臨済寺庭園

臨済寺の庭園は、昭和11年(1936)に国の名勝に指定されています。

次は二階へと進んで行きます。

 

 


ブログランキングの応援よろしくお願いします
😄

にほんブログ村 歴史ブログ 歴女・女性歴史ファンへにほんブログ村

 

神社・仏閣ランキング

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

臨済寺の春の特別公開(2)

2023-06-13 | 今川義元

続いて臨済寺の開山堂です。

臨済寺を開山した大休宗休禅師の像

大休宗休の弟子で、臨済寺の2代目住持の太原雪斎の像

次の部屋へと進んで行きます。


山門と同様、徳川慶喜による『大龍山』の書


今川義元・氏輝像

今川義元の像

今川氏輝の像

摩利支天像

ふと外を見たら、「今川さん」が軒先で佇んでいました(^0^;)

「雨止まないかな~」って言ってた様子(^^ゞ

次に続く


ブログランキングの応援よろしくお願いします
😄

にほんブログ村 歴史ブログ 歴女・女性歴史ファンへにほんブログ村

 

神社・仏閣ランキング

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

桶狭間の戦い(10)桶狭間神明社

2014-03-27 | 今川義元

名古屋市緑区桶狭間神明にある桶狭間神明社は、正式名を神明社といいます。

桶狭間村は、14世紀の中ごろ南朝の落武者が山間に逃れ、隠れ住んだのが始まりとされ、村人たちによって祀られたのがこの神明社です。

現在の社殿は、昭和10年(1935)に改築されたもので、境内には、13の末社が祀られています。

桶狭間の戦いの際、今川方の瀬名氏俊が戦勝を祈願したといわれ、このとき奉献した神酒の酒桶とされるものが宝物として残されています。
また、それは今川義元が水を汲んだ桶であるともいわれています。

拝殿の両側に、尾張4代藩主・徳川吉通が知多巡幸の時植えた杉の枯木が植えられています。



神楽殿



(桶狭間古戦場保存会HP参照)

ブログランキングに参加しています!応援よろしくお願いしますm(__)m

にほんブログ村 歴史ブログ 歴女・女性歴史ファンへにほんブログ村

神社・仏閣 ブログランキングへ

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

桶狭間の戦い(9)戦評の松

2014-03-17 | 今川義元

長福寺から西に歩いて行くと、桶狭間の大池の前に「桶狭間寺前」のバス停があります。



そのバス停のちょうど後方に戦評の松と呼ばれる史跡があります。



今川義元の本陣の設営を終えた瀬名氏俊隊がここの松の根元で、軍議を開いたといわれています。

初代の松は、樹齢400年を過ぎた立派な松だったそうですが、昭和34年(1959)の伊勢湾台風で枯れてしまい、今の松は3代目に当たるそうです。



今の刈谷に住む漁師が、旧暦5月19日の未明、魚を名古屋の市場に届ける途中、この大松の下で休んでいると、大松の上の方から白馬に跨り、白装束の義元の亡霊が現れ、漁師にこのことを絶対に他人に話してはならぬと口止めして大池の方へ去って行きました。それ以来、漁師はこのことで悩み、ついに仲間に話してしまいました。するとその漁師は急に体調を崩し亡くなってしまったとのことです。
(桶狭間古戦場保存会HP参照)

ブログランキングに参加しています!応援よろしくお願いしますm(__)m

にほんブログ村 歴史ブログ 歴女・女性歴史ファンへにほんブログ村

神社・仏閣 ブログランキングへ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする