日々史跡めぐり

日本のあちこちの史跡、神社仏閣を巡っています

源覚寺(2)塩地蔵尊

2012-06-29 | 仏閣
塩地蔵尊





二体で一組のお地蔵さま。

お地蔵さまの体に塩をつけてお祈りすると、同じ部分の病気が治るといいます。

砂のように見えるのは塩です。

「塩」ということで、お相撲さんもお参りに見えるそうですよ・

毘沙門天



小石川七福神のひとつになっています。

ブログランキングに参加しています(*^_^*)

応援よろしくお願いしますm(__)m




人気ブログランキングへ
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

源覚寺(1)こんにゃくえんま像

2012-06-18 | 仏閣
文京区小石川に、こんにゃくえんまとして親しまれている源覚寺があります。



寛永元年(1624年) に定誉随波上人(後に増上寺第18世)によって創建され、特に徳川秀忠、家光から信仰を得ていたといいます。本尊は阿弥陀三尊。



度重なる大火で、本堂などがほとんど焼失しましたが、こんにゃくえんま像や本尊は難を逃れたそうです。

現在の本堂は1979年に再建されたものです。

こんにゃくえんま像は、鎌倉時代の作といわれる1メートルほどの木造の閻魔大王の坐像で、文京区指定有形文化財。



毎年1月と7月には閻魔例大祭が行われ、今でも眼病治癒などのご利益を求め、閻魔像にこんにゃくをお供える人が多いそうです。


 
 木造 閻魔王坐像 

源覚寺に伝わる閻魔像で、閻魔堂に安置されている。右眼が黄色く濁っているが、閻魔王が信心深い老婆に己の右眼を与え、老婆は感謝のしるしとして ”こんにゃく” を供えつづけたという言い伝えがある。このことから眼病治癒の「こんにゃく閻魔」として庶民の信仰を集めた。
像は、高さ100.4cm。ヒノキ材の寄木造りで、彩色を施し、玉眼が嵌入してある。優れたできばえを示し、運慶派の流れをくむ鎌倉時代の作と思われる。銘文によると、寛文12年(1672)に仏師竹内浄正が修理している。
閻魔王は、冥界にあって死者の生前の罪業を裁断する十王のうち、最も良く知られている。わが国の閻魔信仰は、平安時代後期にはじまり、鎌倉時代に盛んになった。
(文京区教育委員会 案内板)

ブログランキングに参加しています(*^_^*)

応援よろしくお願いしますm(__)m




人気ブログランキングへ
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

浅草寺(12)本堂

2012-06-09 | 仏閣
本堂



昭和33年(1958)10月、全国ご信徒のお力添えにより再建された現本堂は、鉄筋コンクリート、本瓦葺であり、昭和20年(1945)3月10日に惜しくも戦災で焼失した旧本堂(国宝、3代将軍徳川家光建立)と同形態である。
 一見して感じる特徴は屋根の勾配が非常に急で、従って棟が他寺院と比較してすこぶる高く、相当遠方からでも望見できる。 お堂は南に面し、350坪の堂内は畳敷の内陣、コンクリート敷の外陣とに分けられており、内陣中央にはご本尊聖観世音菩薩を奉安する御宮殿(ごくうでん)がある。御宮殿内には、ご秘仏本尊聖観世音菩薩、慈覚大師作のお前立ご本尊(12月13日お開扉)の他、徳川家康、徳川家光、公遵法親王などの護持仏であった観音像が奉安されている。御宮殿の左右には梵天・帝釈天の二天がまつられ、またご本尊の脇侍(きょうじ・わきじ)としては内陣右奥に不動明王、左奥には愛染(あいぜん)明王がまつられている。
(浅草寺)

ブログランキングに参加しています(*^_^*)

応援よろしくお願いしますm(__)m




人気ブログランキングへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

浅草寺(11)源頼朝公ゆかりのご神木

2012-06-06 | 史跡
浅草寺史略年表によると

 
942 天慶5 安房守平公雅堂塔伽藍を再建して、田園数百町を寄進す。
1041 長久2 12月22日浅草寺本堂大震災により倒壊す。
1051 永承6 寂円上人の尽力により本堂再建成る。
1070 延久2 八幡太郎義家奥州征討の途次、浅草寺に詣で戦勝を祈り榧(かや)の樹を植える。
1079 承暦3 12月4日浅草寺炎上。その後、万人を勧進して再建す。
1142 1155 不詳 (久安2年?)源義朝浅草寺に参詣あり、承暦の火災時本尊のご避難されし古榎材をもって聖観音像(現存)を彫らしめて奉安す。
1169 仁安4 浅草寺本堂6月修造成る。
1180 治承4 源頼朝平家追討の戦勝を浅草寺に祈願す。

とあるように、浅草寺は源氏ともゆかりのあるお寺で、源頼朝が浅草寺を戦勝祈願に訪れています。
境内には、源頼朝公が浅草寺参詣の折、挿した枝から発芽したと伝えられる浅草寺の神木のイチョウがあります。





ブログランキングに参加しています(*^_^*)

応援よろしくお願いしますm(__)m




人気ブログランキングへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

浅草寺(10)宝蔵門

2012-06-05 | 建築物
宝蔵門





『応永縁起』によると、安房守平公雅(たいらのきんまさ)が武蔵守に補任された天慶5年(942)、その祈願成就の御礼として建立された。
 以来、数度の火災により炎上するも、その都度再建された。
 鎌倉時代から江戸初期にかけては、あまり変化はなかったが、その後、徳川家光により再度の寄進建立が行われ、本堂と仁王門が慶安2年(1649)12月23日落慶、元禄5年(1692)に京都の曼殊院門跡(まんしゅいんもんぜき)良尚法親王ご染筆の「浅草寺」の扁額がかけられた。その後、昭和20年(1945)3月10日の戦災に遭うまで平穏無事だった。
 現在の門は浅草寺の山門として、内部三層のうち上部二層に近代的防災設備を施した収蔵室を設け、浅草寺の什宝物収蔵の宝蔵門として大谷重工業・ホテルニューオータニ創始者の大谷米太郎氏のご寄進により復興再建された。

  浅草寺

ブログランキングに参加しています(*^_^*)

応援よろしくお願いしますm(__)m




人気ブログランキングへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする