日々史跡めぐり

日本のあちこちの史跡、神社仏閣を巡っています

京都・大徳寺塔頭の秋の特別公開(4)総見院の茶室

2014-11-29 | 仏閣
大徳寺大茶会では総見院方丈で豊臣秀吉が茶を立てたとの記録が残っています。

方丈前にある茶筅塚 



お茶を点てる時に使用する茶筅の供養塚。

花立てが茶筅の形をしており、毎年4月28日には茶筅供養が行われています。

総見院には、三つの茶室が並んでいます。

香雲軒(こううんけん)



表千家の十三代・即中斎の好みの茶室。









龐庵(ほうあん)



表千家・而妙斉の筆による扁額がかかっています。





寿安席(じゅあんせき)



明治から昭和にかけて活躍した実業家・山口玄洞が寄進。







襖には、豊臣家の家紋である五七桐が描かれています。



一休禅師の掛け軸



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京都・大徳寺塔頭の秋の特別公開(3)総見院 信長一族の墓

2014-11-21 | 織田信長
次は、織田信長の菩提を弔うため、秀吉が創建した総見院です。





本能寺の変の100日後、10月10日に大徳寺において織田信長の大葬礼が執り行われました。
そして、信長の一周忌に間に合うように豊臣秀吉が建立した寺院が総見院です。

開祖は大徳寺117世の古渓宗陳。創建当時は、広大な境内に豪壮な堂塔が立ち並んでいたといいます。
明治の廃仏毀釈により、堂塔伽藍や多くの宝物が灰燼と化してしまいましたが、大正年間に再興。1961年(昭和36年)に本山に安置されていた信長木像を再び迎え、380年忌を行いました。

創建当時から残る正門、土塀、鐘、鐘楼に、当時の雰囲気をわずかに偲ぶことができます。

土塀


土塀は、「親子塀」といわれ、塀の内部に塀がもう一つ設けられた珍しい二重構造になっています。

鐘・鐘楼


信長の家臣・堀久太郎秀政の寄進によるもの。

本堂




侘助椿


木が三本の枝に分かれ、その枝から紅白の花を咲かせるお茶人に珍重される椿。
樹齢400年で、日本最古の胡蝶侘助とされ、秀吉がこよなく愛したと伝わります。


信長公一族の墓




(中央が信長、右が信忠、左が信雄)

信長公をはじめ徳姫(信長公の息女)、濃姫(正室)、おなべの方(側室)など、一族七基の五輪石や墓が並んでいます。

帰蝶(右)と側室・お鍋(左)の墓


本堂に安置されている信長の木像は、高さ三尺八寸(115cm)、衣冠帯刀の姿を映した座像。
天正11年の作で、作者は運慶・湛慶の流れをくむ康清によるもの。

目がらんらんと輝いていて、威圧感のある木像です。


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京都・大徳寺塔頭の秋の特別公開(2)興臨院

2014-11-15 | 仏閣
興臨院は、室町後期の大永年間に能登の戦国大名・畠山義総が仏智大通禅師を開祖として建立し、菩提寺になり、後に前田利家が修復し、以来、前田家の菩提寺となっています。







本堂・表門・唐門などは、重要文化財に指定され、室町期創建の禅宗建築の代表作です。
また、本堂の屋根は創建当時の遺構だそうです。



表門は、檜皮葺の平唐門で、大徳寺でも古い門のひとつです。



庫裏の前庭


唐門は、 檜皮葺の門で、室町時代の禅宗建築様式の特徴がみられます。





方丈前庭






1978年、方丈の解体修理完成時に資料を基に、中根金作が復元したもので、桃山風の石組みで、理想の蓬莱世界を表現している枯山水庭園です。

本堂は入母屋造・檜皮葺。床の間は日本で最初のものであるといわれるています。かつて狩野元信や土佐光信などの障壁画を飾っていたとされますが、幕末から明治維新の混乱期に失われてしまったそうです。

爪塚


琴で使う爪を供養する塚

琴心塔


涵虚亭(かんきょてい) - 蘇軾の詩から名付けられた古田織部好みの四畳台目に隅板を加えた茶室で、床の間は袖壁が出ているために洞のように見えることから洞床(ほらどこ)と呼ばれています。

墓地には畠山家歴代の墓もあります。

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京都・大徳寺塔頭の秋の特別公開(1)黄梅院

2014-11-08 | 仏閣
京都・大徳寺塔頭の秋の特別公開に行って来ました。



まずは黄梅院からです。









永禄五年(1562)織田信長の父・信秀の追善菩提のために小庵を建立されたことに始まり黄梅庵と名付けられました。
天正18年(1582年)の本能寺の変の後、織田信長の葬儀が羽柴秀吉により大徳寺で盛大に行われました。秀吉は信長の塔所として黄梅庵を改築しましたが、主君の塔所としては小さすぎるという理由から、総見院を新たに創建。その後、小早川隆景の帰依を受け、堂宇を整備、黄梅院と改められました。
天正16年(1588年)には、隆景の援助で本堂が建立されています。
毛利家、織田家の墓所のほか、小早川隆景、蒲生氏郷などの墓塔は非公開になっています。











撮影が許されるにはここまで。



豊臣秀吉が改築落慶した唐門 、千利休作で秀吉の希望により軍旗瓢箪をかたどった池を配す直中庭 、本堂前にある手前半分を白川砂、奥を桂石で区切り苔を配し観音・勢至の二石でまとめた破頭庭 、小早川隆景が改築落慶したもので日本の禅宗寺院で現存する最古のものである庫裡 、天正19年(1592年)に加藤清正により寄進され、朝鮮伝来のものと伝わる鐘楼鐘などがあります。

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百万遍知恩寺

2014-11-02 | 仏閣
知恩寺は、京都市左京区にある浄土宗七大本山の寺院。



百万遍知恩寺(ひゃくまんべんちおんじ)と称され、京都における浄土宗四ヶ本山のひとつであり、法然上人二十五霊跡第22番札所でもあります。



法然が開創したと伝わり、前身は烏丸今出川になった賀茂社の神宮寺です。

法然入滅後、弟子の源智(平重盛公の孫)は、賀茂の河原屋をついで、功徳院神宮堂とし、法然の御影を安置して、浄土専修念仏の道場とし、如空のとき功徳院知恩寺と称しました。

1331年(元弘元年)第8世善阿空円のとき、京都に疫病が蔓延し、後醍醐天皇の勅により七日念仏百万遍を行い疫病を治めたことから「百万遍」の号が下賜されました。



御影堂


中門


阿弥陀堂




釈迦堂


後柏原天皇の宸翰「知恩寺」の扁額


1382年(弘和2年:永徳2年)相国寺が建立される際に一条小川に移され、1592年(文禄元年)には豊臣秀吉の寺地替えにより土御門(寺町通り荒神口上る)に移され、1662年(寛文2年)現在の北白川の地に移転しました。

境内や本堂・庫裡はしばしばフリーマーケットの会場として貸し出されており、特に京都古書研究会主催で開かれる「秋の古本まつり」の会場となっていることで知られています。


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