日々史跡めぐり

日本のあちこちの史跡、神社仏閣を巡っています

泉涌寺の塔頭(5)大石内蔵助ゆかりの「含翆軒」(がんすいけん)

2018-02-22 | 史跡

弘法大師独鈷水




弘法大師が独鈷という仏具で掘り当てたという井戸。縦穴の井戸ではなく、横井戸(洞窟のような形状)になっているので、柄の長い柄杓で汲み上げるのだそうです。

霊元天皇に仕えた女官・小少将の局の娘は生まれつき目が不自由でしたが、この独鈷水で目を洗っっところ、たちまち見えるようになったと伝えられています。
(来迎院HP、Wikipedia参照)



泉涌寺長老・卓巖和尚が来迎院の住職を務めていた時、1701年(元禄14年)3月14日、江戸城松之大廊下において、赤穂の大名であった浅野長矩(浅野内匠頭)が吉良義央(吉良上野介)に斬り付ける「忠臣蔵」で有名な事件が発生。この卓巖和尚は大石内蔵助(良雄)の親族でした。 

浅野長矩は切腹、赤穂浅野家はお家断絶に。

大石内蔵助は赤穂を退去した後、卓巖和尚を頼り、来迎院の檀家となって身分証明をし、山科に居を構え、来迎院に「含翠軒」という茶室と庭を設け、多くの時間を過ごしたそうです。そして、今も本堂に安置されている勝軍地蔵を念持仏として祈願し、見事に討ち入りを成就しました。

 

内蔵助は来迎院に書院を興し、また、境内に弘法大師が独鈷を用いて掘られて湧水したという伝承のある「独鈷水」が湧き出ることから茶室「含翆軒」、「含翆庭」を設け、ここで茶会を催しながら元赤穂藩の家臣達と討ち入りの密議をおこなったとされています。

また内蔵助は、現在も来迎院本堂に安置される勝軍地蔵像を念持仏として祈願したと伝えられています。

 

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泉涌寺の塔頭(4)来迎院 ゆな荒神

2018-02-12 | 仏閣

泉涌寺の塔頭・来迎院へ。






荒神堂


来迎院は、寺伝によれば、大同元年(806年)に空海(弘法大師)が唐(中国)で感得した三宝荒神像を安置して来迎院を開創したとされています。

三宝大荒神


日本最初の荒神。  荒神さんを拝むと、幸を招き、悪事災難を逃れるなど様々な御利益があるとされていますが、特にゆな荒神という別名のあるとおり、昔から皇室の方々が安産を祈願されてきました。

建保6年(1218年)、泉涌寺の長老であった月翁智鏡律師が、藤原信房の帰依を受けて諸堂を整備し、泉涌寺の子院に。

1418年の応仁の乱で伽藍が焼失し、荒廃。

天正2年(1574年)舜甫明韶が織田信長の援助により再興。

慶長2年(1597年)前田利家らの尽力により再興、徳川家からも援助を得て復興されました。

 

こちらで拝観の受付を済ませます。

客殿

こちらでお抹茶をいただくことができます。

 

本堂


本堂には、非公開の本尊阿弥陀如来、勝軍地蔵、幻夢観音像が安置されています。

本尊阿弥陀如来


寺伝によると、運慶の作。脇侍仏として観音菩薩・勢至菩薩。

勝軍地蔵


大石内蔵助が、吉良邸の討ち入り成就を祈願した念持仏。鎧兜を着けた大変珍しい地蔵様です。

幻夢観音菩薩


霊元天皇の念持仏。

(仏像の画像:来迎院HPより




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東福寺の塔頭(2)同聚院

2018-02-01 | 仏閣
同聚院は、1006年(寛弘3年)に藤原道長法性寺の境内に造営した五大堂の遺跡です。









本尊は定朝の父・康尚の作といわれる不動明王は「十万不動」と呼ばれ、火災除けのご利益があることで有名です。毎年2月2日「十万」の字を書いた護符が授与されます。





同聚院
臨済宗東福寺派に属する東福寺の塔頭の一つである。
東福寺の寺地一帯は,平安時代中期に藤原忠平が法性寺を建立した所で、寛弘三年(1006)には,藤原道長が四十歳の賀に当たって、五大明王を安置する五大堂を境内に造営した。
その後も,藤原氏が法性寺の造営に力を入れたが、鎌倉時代初期には衰微し、その跡地に九條道家が東福寺を建立したのである。
本寺は藤原道長が建立した五大堂の遺跡で、五大明王のうち不動明王坐像(重要文化財)が幾多の災害を越えて祀られている。
像は仏師定朝の父・康尚作品で、像高は265センチメートル、忿怒相の中にも優美さをたたえた藤原美術の代表彫刻の一つである。
「じゅうまん不動」と称され、「じゅうまん」の字を書いた屋守護(やさご)の符が配布されている。
「じゅうまん」は土地の守護を表す「土力(どりき)」又は、十万の一族・従者を従えるという意味の「十万」の二字を一字にした文字といわれ、火除けをはじめ除災の霊験あらたかな不動として信仰が深い。
  
 京都市

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