日々史跡めぐり

日本のあちこちの史跡、神社仏閣を巡っています

園城寺(三井寺)弁慶鐘~観音堂

2013-04-28 | 仏閣

弁慶の引き摺り鐘





俵藤太こと藤原秀郷がムカデ退治のお礼に琵琶湖の竜神から授かった鐘だと言われ、その後比叡山と三井寺の争いに際して、弁慶が奪って比叡山に引き摺り上げたが、鐘が「イノー」(「帰りたいよう」)と鳴ったので、弁慶が怒って谷底へ捨てたという伝承があります。(^_^;)



鐘の表面に見られる擦り傷やひびはその時のものだと。(@_@;)



しかし、史実では、この鐘は文永元年(1264年)の比叡山による三井寺焼き討ちの際に強奪され、後に返還されたものだそうです。

弁慶の汁鍋



こんな大きな鍋で?(@_@;)





一切経蔵(重文)

室町時代の建築で、毛利輝元の寄進により、慶長7年(1602年)、山口市の国清寺の経蔵を移築したもの。





三重塔(重文)





鎌倉時代末期から室町時代初期の建築。奈良県の比曽寺にあった塔を豊臣秀吉が伏見城に移築したものを、慶長6年(1601年)、徳川家康が再度移築させたもの。



この橋の付近で撮影されたようですね。



唐院灌頂堂(重文)



長日護摩堂



智証大師円珍が唐から帰国後、請来した経巻法具などを納めたところとされます。

観音堂



琵琶湖を望む高台に位置し、西国三十三箇所観音霊場の第14番札所として知られています。
観音堂は元禄2年(1689年)に再建されたもの。

毘沙門堂(重文)





観音堂の近くにある小堂。元和2年(1616年)の建立と伝えられています。

映画「大奥」のポスターが!



大奥もここで撮影されたのですね。

ブログランキングに参加しています(*^_^*)

応援よろしくお願いしますm(__)m




人気ブログランキングへ




コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

園城寺(三井寺)大門~閼伽井屋

2013-04-12 | 仏閣
園城寺(おんじょうじ)は、滋賀県大津市にある、天台寺門宗の総本山で、山号は長等山(ながらさん)。三井寺という通称を持ちます。



起源は、壬申の乱(672年)に敗れた大友皇子の子である大友与多王が、父の菩提を弔うため、「田園城邑(でんえんじょうゆう)」を寄進して寺を創建し、この文字にちなんで、天武天皇から「園城」という勅額を贈られたとされています。



また、三井寺の通称は、この寺に涌く霊泉が天智・天武・持統の3代の天皇の産湯として使われたことから「御井」(みい)の寺と言われていたものが転じて三井寺となったといいます。

大門(重文)



仁王門とも呼ばれます。入母屋造の楼門で、もとはの常楽寺(滋賀県湖南市)にあった門を慶長6年(1601年)、徳川家康が寄進したものです。



食堂(釈迦堂)(重文)



天正年間に造営された御所の清涼殿を下賜され、移築したものと伝えられています。

金堂(国宝)





三井寺再興を許可した豊臣秀吉の遺志により、高台院(北政所)が慶長4年(1599年)に再建した入母屋造、檜皮葺きの和様仏堂。





鐘楼(重文)



金堂の左手前にあり、「三井の晩鐘」で知られています。





この梵鐘は慶長7年1602年)の鋳造で、平等院鐘、神護寺鐘と共に日本三名鐘に数えられています。

今回、merryさんの提案で、この鐘楼をつかせていただきました。

ちなみに、東京の増上寺は、2000円だそうです(^_^;)
それの比べると、300円とは安いですね~

閼伽井屋(あかいや、重文)



慶長5年(1600年)、金堂と同じく北政所によって建立されました。







閼伽井屋の正面には、左甚五郎作と伝えられる龍の彫刻があり、堂内には三井寺の名の由来となった霊泉が今も音を立てて湧いています。









ブログランキングに参加しています(*^_^*)

応援よろしくお願いしますm(__)m




人気ブログランキングへ











コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

甲賀流忍術屋敷

2013-04-03 | 建築物
甲賀市甲南町竜法師に甲賀流忍術屋敷があります。


現存する「甲賀流忍術屋敷」は、甲賀武士53家の筆頭、望月出雲守の住宅として元禄年間(1688~1703)に建築されました。

一階には、甲賀忍者が実際に使用していたという小道具などが展示されています。



















建物内部には、侵入者から身を守る為のさまざまな工夫が凝らされています。



中二階へは、かくし梯子を使って上がるようになっており、梯子を引き上げると全く孤立した空間となり、追手から逃れるために使われました。

中二階の天井は低いところで1.1m、高いところでも1.5mで、敵が刀を容易に振り回せない構造になっています。



また、格子窓があり、この格子の一本が外れるようになっており、これをはずして一階へ逃れることも出来ます。

かくし梯子で、中二階に上がった後は梯子を引き上げて隠すため、消えたように見えますが、

かくし梯子は中二階を通じてもう1ヵ所あり、そこを通じて逃げる事も出来ます。また、かくし梯子の下には落とし穴もあり、梯子に登る前に落とし穴のふたを開け、追手を誘い込む、といった使われ方もした。

落とし穴



床板に仕掛けられた落とし穴のある暗い部屋に敵を追いつめ、落として閉じ込め、そのすきに逃げました。落とし穴の深さはおよそ6メートルで、屋敷全体の地下に通路として広く掘られており、この通路から屋敷外へ抜ける抜け道ともなっています。

からくり窓



一見開くように見えないため、そこから逃げれば消えてしまったように見えます。

どんでん返し





襖の奥や壁の戸に背中を付けると回転する扉で、ぴったり閉じてしまうと回転するように見えず、一見普通の襖・壁なので消えたように見えます。

甲賀流忍術屋敷HP参照

ブログランキングに参加しています(*^_^*)

応援よろしくお願いしますm(__)m




人気ブログランキングへ


コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする