日々史跡めぐり

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熊谷直実 鎧掛けの松

2011-12-18 | 熊谷直実

熊谷 直実は、はじめは平家に仕えていましたが、石橋山の戦いをきっかけに源頼朝に従い、御家人となりました。後に出家して蓮生(れんせい)と名乗ります。
「平家物語」の「敦盛最期」での平敦盛との一騎打ちは、能の「敦盛」をはじめ様々な作品に取り上げられています。

京都の金戒光明寺には熊谷直実ゆかりのものがあります。



熊谷直実(法力房蓮生法師)鎧掛けの松







熊谷次郎直実(くまがいじろうなおざね)(1141~1208)は、建久4年(1193)ここ黒谷の法然上人を尋ね、方丈裏の池(鎧池)にて鎧を洗いこの松の木に鎧を掛け出家した。庵は蓮池の畔に建てられ、現在の蓮池院(熊谷堂)である。
供養塔は法然上人の御廟前に平敦盛の供養塔と向かい合わせに建てられています。古樹は枯れ、現在の木は二代目です。(案内板より)

「平家物語」によれば

源平の戦いで、直実は、波打ちぎわを逃げようとした平家の平敦盛を呼び止め、一騎打ちをする。直実が敦盛をむんずと取っ組んで、馬から落とし、首を取ろうとすると、ちょうど我が子小次郎ぐらいの年の若武者だった。
直実が「私は熊谷出身の次郎直実だ、あなたさまはどなたかな」と言うと、敦盛は「名乗ることはない、首実検すれば分かることだ」とけなげに答えた。これを聞いて直実は、一瞬敦盛を逃がそうとしたが、背後に味方の手勢が迫る中、「同じことなら直実の手におかけ申して、後世のためのお供養をいたしましょう」といって、泣く泣くその首を切った。首実検した結果、息子と同じ16歳の平敦盛であったとわかり、世の無常を感じ、出家して法然上人に師事した。


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コメント (2)
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