日々史跡めぐり

日本のあちこちの史跡、神社仏閣を巡っています

砥鹿神社里宮(2)

2024-04-08 | 神社

里宮 拝殿

砥鹿神社は、本宮山に1300年以上前から鎮まる神を祀る奥宮と、里にて祀る里宮とで二所一体の崇敬を集める神社であり、また三河国内の筆頭神社一之宮です。

里宮の社殿は伝統的木造建築の檜造りです。

さざれ石

開運石(かいうんせき)、子産石(こうみいし)とも云い、開運や安産、子授けのご利益がございます。全国にあるさざれ石の中でもとても大きく、高さ2.6m、横幅3.4mの日本一のさざれ石になります。

ケヤキ

手水舎

表神門

正面にある拝殿に繋がる表神門

太鼓楼

津守神社(つもりじんじゃ)

祭神:田裳見宿彌(たもみのすくね)
※10月第2日曜に例祭を斎行。同日氏子秋祭りが本社で斎行され、当社まで子供御輿が巡幸する。

 

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砥鹿神社里宮(1)

2024-03-25 | 神社

JR飯田線「三河一宮」駅下車、徒歩約5分のところにある三河国一之宮砥鹿神社(とがじんじゃ)の歴史は1300年を遡り、古くから朝廷の崇敬篤く、平安時代には「延喜式内社」に列せられ、三河国の国司が国内神社に巡拝奉幣する筆頭神社「一之宮」となりました。


三河一宮駅


西参道大鳥居

以前は本宮山砥鹿神社奥宮を遙拝するものとして、天保13年(西暦1842年)岡崎藩勘定奉行の長尾応二郎興達により旧宝飯郡市田村に建立されました。

昭和20年(1945年)豊川海軍工廠への空襲時に損傷を受け、昭和31年(1956年)に国道151号線沿いに移築されました。

鳥居には至る所に空爆の被弾痕が見られます。

 

本宮山の山頂に奥宮(豊川市上長山町本宮下)、山麓に里宮(豊川市一宮町西垣内)が鎮座しています。

永禄年間には、付近に徳川家康の命を受けた本多信俊が一宮砦を構えて今川軍に包囲されましたが、家康が寡勢で救援に駆けつけて多勢の今川軍を蹴散らし、砥鹿神社に宿陣したとも伝わっています。

また慶長7年(1602年)には、家康より朱印領として百石の寄進を受けました。


西神門

明治維新後、明治4年(1871年)には国幣小社に列せられました。(Aichi Now、Wikipediaより)


神鹿絵馬殿


守見殿神社


祭神:大己貴命の和魂(にぎたま)、迦久神(かくのかみ)、倉稲魂神(うかのみたまのかみ)

本宮山遙拝所

本宮山山頂にある奥宮の大神を拝むことができるようになっています。

 

三河えびす社

祭神:事代主命(ことしろぬしのみこと)、建御名方命(たけみなかたのみこと)

大己貴命の御子神である「智徳の神」事代主命(ことしろぬしのみこと)と「体徳の神」建御名方命(たけみなかたのみこと)を祀る摂社

毎年11月20日には「えびす大祭」、毎年1月10日には「初えびす祭」が行われ、商売繁盛・家業繁栄を祈願します。

 

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御津神社(みとじんじゃ)

2024-03-12 | 神社

大恩寺を見学した後、すぐ隣りの御津神社にも立ち寄ってみました。

御津神社(豊川市御津町)の創建は、西暦以前に遡るといわれ、あまりにも古く記録がないため不詳なのだそうです。 

祭神は大国主命。 

古代穂国の港の地として栄えた御津町に古くから鎮座して、当時は港湾や船舶守護の神社として崇敬されて参拝されていたといわれています。

境内の大楠は、神社のシンボルで、樹齢1,000年を超える老木です。

御霊社

天満社

4月の第3日曜日には、その年の豊漁・安全祈願と鳥賊(いか)の供養のため鳥賊(いか)祭りが行われます。

 

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蒲郡の竹島 八百富神社(1)

2024-01-30 | 神社

数年前のこと、愛知県蒲郡の八百富神社を参拝しました。

1181年(養和元年)  三河国国司である藤原俊成が、竹生島より勧請し創建したといいます。

「竹島弁天」ともいい、日本七弁天の一つとされています。

蒲郡市沖の三河湾にある竹島に鎮座し、竹島全域が八百富神社の境内です。

潮干狩りをする人たちの姿も見られました。

さあ、この急な階段をのぼって行きます。

宇賀神社 / 祭神 宇迦之御魂神

宇迦之御魂神は食物を主宰する神様です。当社は昔三河守源範頼の信仰が厚い神社でした。
一時は、国府村に遷座されていましたが、享保10年(1725)国府村や竹島の神主が「竹島に帰りたい」という霊夢を見たことにより、宇賀神社は竹島に戻されることになり、国府の人々は八尾登美神社の崇敬者となりました。

大黒神社 / 祭神 大国主命

大国主神は国土を平定し、土地を開拓し、庶民に農耕の道を教え、医薬や禁厭(まじない)の法を授けるなど多くの功績をお持ちの神様です。また七福神の一柱である大黒天と習合し、福の神としても広く仰がれています。

千歳神社 / 祭神 藤原俊成

藤原俊成は、後白河法皇の名で千載和歌集を撰じました。
近衛天皇の時代1145年から、三河守となり、江州竹生島より弁財天を竹島に勧請しました。

八百富神社公式HP参照

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商売繁盛・芸能の神様の黒田稲荷(浜松市)

2023-04-18 | 神社

浜松駅から徒歩5分、鍛治町の有楽街の南側の入り口を入ると、すぐ左手に真っ赤な鳥居が見えてきます。

黒田稲荷は、豊受大神を御神体とし、五穀豊穣、商売繁盛、家内安全の神として、教興寺の末寺・浄教寺の妙円尼が境内にお祀りしたのが始まりととされ、明治時代になり、廃藩置県で廃寺となりましたが、町の人々の熱心な信仰心によりお稲荷様だけが残されています。



五穀豊穣、商売繁盛のほか、芸能事にもご利益があるといい、祠の脇には、都はるみさんのサイン入りの「アンコ椿は恋の花」と書かれた巨大絵馬が飾られています。

これには、ちょっとしたエピソードが残されています。

浜松で開かれることになっていた都はるみさんのコンサートのポスターが、黒田稲荷の脇の電柱に貼ってあるのを見た

売れない呉服商が、黒田稲荷を参拝後、都さんに直接着物を売りに行き、都さんがステージで着てくれることになりました。

その後、都さんはレコード大賞を受賞し、呉服商の着物は、「都はるみの着物」として売れるようになりました。

以来、出世のパワースポットとして、多くの芸能人が合格祈願に訪れるようになったとか。


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