日々史跡めぐり

日本のあちこちの史跡、神社仏閣を巡っています

鷺森別院と雑賀孫市の血槍洗いの手水鉢

2021-10-29 | 仏閣

本願寺鷺森別院は、和歌山市鷺ノ森にある浄土真宗本願寺派の寺院で、京都の西本願寺の別院です。



天正8年から11年(1580年から1583年)には織田信長との和睦によって大坂の石山本願寺から退去した宗主顕如が当寺に滞在し、浄土真宗の本拠地として位置づけられていた。
しかし、その後、豊臣秀吉の紀州征伐によって急速に衰退し、江戸時代には紀州門徒の支援によって、明和5年(1768年)に再興したが、第二次世界大戦には和歌山大空襲によって焼失した。現在の建物は1948年(昭和23年)に再建、その後改築されたものである。(Wikipediaより)





専光寺の境内にある手水鉢。





鷺森合戦の際、雑賀孫市が血の付いた槍を洗ったという伝説のある手水鉢なのだそうです。

雑賀孫一(鈴木孫市)

石山合戦において雑賀衆を率いて石山本願寺へ入り、織田信長の軍勢を苦しめた。その後、豊臣秀吉に鉄砲大将として仕え、関ヶ原の戦い(伏見城の戦い)では西軍本隊に属して、鳥居元忠を討ち取る活躍を見せる。戦後、浪人を経て水戸藩に仕官した。(Wikipediaより)

※2017年の記事より

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京阪電鉄で巡る旅(4)縁心寺

2021-10-18 | 仏閣

縁心寺は、膳所城の初代城主・戸田一西(かずあき)により慶長7年(1602)に創建されました。



もとは、栄泉寺といい、瓦寺とも呼ばれていました。



当時、膳所や大津には瓦葺の寺院がなかった中で、唯一瓦葺であったからといいます。

本堂


弁天堂


膳所藩主戸田家本多家の菩提寺でもあり、境内には本多氏代々の墓や戸田一西の墓があります。

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京阪電鉄で巡る旅(3)響忍寺

2021-10-10 | 仏閣

和田神社から響忍寺へ。

元は膳所城周辺にありましたが、火災により焼失。

宝暦元年(1751)に膳所藩家老・村松八郎右衛門屋敷跡に再建されました。

膳所六門の一つを持ち、表門と中門には屋敷門が使われています。

親鸞聖人御像

鐘楼


旧本堂の鬼瓦

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