日々史跡めぐり

日本のあちこちの史跡、神社仏閣を巡っています

蒲郡の竹島 八百富神社(1)

2024-01-30 | 神社

数年前のこと、愛知県蒲郡の八百富神社を参拝しました。

1181年(養和元年)  三河国国司である藤原俊成が、竹生島より勧請し創建したといいます。

「竹島弁天」ともいい、日本七弁天の一つとされています。

蒲郡市沖の三河湾にある竹島に鎮座し、竹島全域が八百富神社の境内です。

潮干狩りをする人たちの姿も見られました。

さあ、この急な階段をのぼって行きます。

宇賀神社 / 祭神 宇迦之御魂神

宇迦之御魂神は食物を主宰する神様です。当社は昔三河守源範頼の信仰が厚い神社でした。
一時は、国府村に遷座されていましたが、享保10年(1725)国府村や竹島の神主が「竹島に帰りたい」という霊夢を見たことにより、宇賀神社は竹島に戻されることになり、国府の人々は八尾登美神社の崇敬者となりました。

大黒神社 / 祭神 大国主命

大国主神は国土を平定し、土地を開拓し、庶民に農耕の道を教え、医薬や禁厭(まじない)の法を授けるなど多くの功績をお持ちの神様です。また七福神の一柱である大黒天と習合し、福の神としても広く仰がれています。

千歳神社 / 祭神 藤原俊成

藤原俊成は、後白河法皇の名で千載和歌集を撰じました。
近衛天皇の時代1145年から、三河守となり、江州竹生島より弁財天を竹島に勧請しました。

八百富神社公式HP参照

ブログランキングの応援よろしくお願いします😄

 

にほんブログ村 歴史ブログ 歴女・女性歴史ファンへにほんブログ村

 

神社・仏閣ランキング

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岡崎の龍海院(2)家康ゆかりの方の墓

2024-01-21 | 徳川家康

龍海院の本堂裏手の墓所には、酒井正親墓のほか、松平広忠後室・真喜姫(田原御前)の墓など、家康ゆかりの方の墓が祀られています。


松平清康
の墓

徳川家康の祖父。信忠の子。大永3 (1523) 年 13歳で家督を継ぎ,翌年西郷弾正左衛門尉信貞を攻めて安祥 (安城) から岡崎に入り,次いで西三河を平定。享禄2 (29) 年牧野伝蔵ら4人兄弟のこもる吉田城を攻め落し,田原に押寄せて東三河も手中に収めた。その後,今川氏に属し天文2 (33) 年三河に進出した信濃の兵と井田野で戦ってこれを敗走させた。同4年 12月織田信秀を討つため尾張森山に陣をしいたが,家臣阿部弥七郎の誤解から不慮の死をとげた。この事件は一般に「森山崩れ」と呼ばれている。(コトバンクより)


酒井雅楽頭正親
の墓

清康、広忠、家康の3代に仕えた家臣。

建立の際、清康が改宗を希望しましたが、松平家の菩提寺である大樹寺が反対をしたため、代わって、酒井正親が檀家となりました。
以来、龍海院は酒井家の菩提寺となっています。

天文11年(1542年)12月、家康の誕生時、へその緒を切る胞刀の役を務めた。
永禄4年(1561)、今川方の吉良義昭の西尾城を攻め、家康から西尾城を与えられた。

 

家康の継母・真喜姫の墓

田原城主・戸田康光の娘。
出身地から田原御前と呼ばれ、天文14年(1545年)於大の方と離縁した松平広忠と結婚。
家康が江戸に国替えした後も岡崎城にとどまりました。

(岡崎ルネサンス、Wikipedia参照)

ブログランキングの応援よろしくお願いします😄

 

にほんブログ村 歴史ブログ 歴女・女性歴史ファンへにほんブログ村

 

神社・仏閣ランキング

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岡崎の龍海院(1)是之字寺

2024-01-10 | 徳川家康

東岡崎駅から徒歩3分、駅の近くに建つ龍海院は、享禄3年(1530年)6月、模外惟俊を開山として、徳川家康の祖父・松平清康が創建し、武運長久の祈願寺としました。



家康の父・松平広忠によって再興された岡崎市内の龍渓院が山の近くにあるのに対して、当寺は海側にあるので、龍海院と名付けられたと言われています。

通称「是之字寺(ぜのじでら)」といい、山門や鐘撞き堂・灯籠など、境内のいたるところに「」の文字があります。

清康が20歳の時、元旦の初夢に左手に「是の字」を握る夢を見たので、これを模外和尚に占わせたところ
「是の字を分けると、日の下の人となる。是の字を握るは天下を取ることなり。遅くとも、清康公の三代後までには、必ず、天下人が現れるであろう。」と予言しました。

それを聞いた清康は、模外禅師を初代として龍海院を建立。

その予言どおり、三代後に当たる家康は、1603年に天下統一を果たすことになります。同年9月11日付で家康から朱印状を拝領。

本堂

創建以来、本堂は2度再建されました。

1回目は、家康の関東への国替えに伴い、酒井重忠が武蔵・川越(現在の群馬県前橋市)で龍海院を建立したため、岡崎の龍海院は岡崎城主となった田中吉政によって破却されました。その後、1601年(慶長6年)に本多康重によって再建されています。

2回目は、1945年(昭和20年)の岡崎空襲で山門以外が全焼、1959年(昭和34年)の伊勢湾台風により墓地が大被害を受け、その後、檀家の支援もあり、1972年(昭和47年)に再建されました。

観音堂

三河三十三観音霊場 第7番


鐘楼

地蔵堂

地蔵堂は、岡崎三十六地蔵第29番礼所です。

岡崎三十六地蔵とは、江戸時代後期、1834年(天保5年)の記録で成立が確認される岡崎城下全長約27㎞の地蔵霊場で、地蔵菩薩を念じればどこにでも現れて、すべての人々に救いの手を差し伸べ、どんな苦難からも救済してくれると信じられており、庶民からの信仰を大いに集めました。

(岡崎ルネサンス、Wikipedia参照))

ブログランキングの応援よろしくお願いします😄

 

にほんブログ村 歴史ブログ 歴女・女性歴史ファンへにほんブログ村

 

神社・仏閣ランキング

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

聚楽城武家地豊臣秀勝邸跡伝承地(京都)

2024-01-01 | 史跡

 

平安京大内裏の蘭林坊があったところ(上京区土屋町通出水上る東側)は、豊臣秀吉の聚楽第があった時代には、豊臣秀勝の邸宅があったと推定されています。

聚楽城武家地豊臣秀勝邸跡伝承地

このあたり一帯は、古代において、平安京大内裏(平安宮)のうち、天皇の住まいだった内裏跡にあたります。
なかでも当地は、陽明文庫蔵「内裏図」により、蘭林坊跡と考えられています。
蘭林坊とは、天皇一代の大イベント大嘗祭などに使用される品物の保管場所です。
昭和49年(1974)、平安博物館の行った発掘調査によって、蘭林坊の築地に関わる溝のような痕跡がみつかっています。
その後、火災などにより内裏は別の場所に営まれ、この地は荒野になりました。
内裏跡ですので「内野」とよばれました。
天皇への遠慮(タブー)があったようで、ながくここに住居などが建てられることはありませんでした。
この地の再利用に着手したのは、豊臣秀吉でした。
ながい戦国時代をおわらせ、天下統一の実現が求められていました。
秀吉は関白となり、天皇の伝統的権威をかりての政権構想をもちます。
そのため本拠は、大坂ではなく京都に定まりました。
それが内野に建設された城郭、聚楽城です。
聚楽城はながく正確な位置が不明でした。
が、森島康雄さんや百瀬正恒さん、馬瀬智光さんたちの考古学的研究により、全貌が明らかになりつつあります。
聚楽城の周囲には全国の大名の屋敷がいとなまれました。
安芸広島浅野家旧蔵の「諸国古城之図」の聚楽城図には具体的な人物の名前が記されています。
馬瀬智光さんの復元図によって推定すれば、当地には秀吉の姉の子(甥)で、養子でもあった豊臣秀勝(丹波少将)の邸宅があったといえそうです。
豊臣秀勝の妻は、淀殿(浅井茶々)の末妹・江です。
ふたりは天正13年10月18日(1585年12月9日)結婚し(「兼見卿記」同年同月20日条)娘をさずかりました(完子。誕生年不明)。
この一家の住居こそ当地であった可能性があります。
天正20年9月9日(文禄元年、1592年10月14日)、不幸にも秀勝は、出兵中に朝鮮で急死します。
その後、江は徳川秀忠と再婚しますが、完子は同行しませんでした。
豊臣家の大事な娘ですので、おそらく秀吉が禁じたと思われます。
秀吉の死後も生母(江)と暮らすことはなく、淀殿の猶子として大坂城で養育され、慶長9年6月3日(1604年6月29日)、豊臣家から五摂家の九条忠栄(幸家、のち関白)に嫁ぎます(「慶長日件録」)。
完子は多く子を産み、その子孫は公家社会の維持に寄与しました。
近代に入り子孫のひとり九条節子は、嘉仁親王(のち大正天皇)に嫁ぎ、裕仁親王(のち昭和天皇)を生みます。
豊臣家の血統は、完子を通じて現在の皇室にも及んでいるようです。
当地は現代にも通ずる日本史の重要な舞台地のひとつといえましょう。
ゆえに標石を建て顕彰いたすものです。

歴史地理史学者
中村武生

ブログランキングの応援よろしくお願いします😄

 

にほんブログ村 歴史ブログ 歴女・女性歴史ファンへにほんブログ村

 

神社・仏閣ランキング

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする