日々史跡めぐり

日本のあちこちの史跡、神社仏閣を巡っています

浄瑠璃姫と義経の彫像

2019-11-15 | 銅像
鳳来寺の表参道の「歴史が歩いた坂道」には、「浄瑠璃姫と義経」の彫像があります。
 
 
 
平成8(1996)年3月に整備され、彫像は、鈴木武右衛門氏によるものです。

義経
                
 
 
浄瑠璃姫
 
 
数年前に見たときも思ったのですが、あまりに芸術的過ぎて、理解できなかったのですが、この苦しみもがいている様子が、二人の悲恋を表しているのでしょうか。

 
 
 
浄瑠璃姫と義経  
 
 平家が都で全盛を誇っていたころ、岡崎の近くの矢作の里に、兼高長者という金持ちの権力者が住んでいました。長者には、鳳来寺のお薬師様に祈願して生まれた、浄瑠璃姫という美しい一人娘がありました。
 姫が15歳の春、平家の目を逃れ、藤原氏を頼って奥州へ向かう義経が、源氏とつながりのある兼高長者の家に泊まりました。姫と義経は愛し合うようになりましたが、義経はいつまでもいることはできません。
 「半年たったら、鳳来寺の千寿峰(せんじゅがみね)で私を待て」と言った義経の言葉を信じて、姫は乳母とともに千寿峰に来て、麓の笹谷(ささだに)に庵をつくって住みました。ある日、義経が通るといううわさを聞き、往来まで出て道行く人にたずねると、もう義経は通り過ぎてしまったということでした。悲しんだ姫は庵のほとりで自害してはかない一生を終えました。
 今も千寿峰の西の山の中に、浄瑠璃姫をまつる祠があります。(案内板より)
 

 

応援よろしくお願いします😄

 

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

木村重成の銅像・重成の本陣

2016-09-25 | 銅像
蓮城寺から歩いてすぐの場所に、昭和7年(1932)に建てられた木村重成の銅像があります。






この辺りが、若江の戦いの重成の本陣だったそうです。



若江の戦い
1615年5月6日午前5時頃、木村勢は若江に着陣、先鋒を3手に分け、敵に備えた。その右手に藤堂勢の右先鋒、藤堂良勝、同良重が攻撃をかけた。藤堂勢は兵の半数を失い敗走、藤堂良勝、良重は戦死した。 木村は玉串川西側堤上に鉄砲隊を配置し、敵を田圃の畦道に誘引して襲撃しようともくろんだ。

午前7時頃、井伊直孝は若江の敵への攻撃を決断、部隊を西に転進させた。井伊勢の先鋒は右手庵原朝昌、左手川手良列。木村勢を発見した川手は、玉串川東側堤上から一斉射撃後、敵に突入した。堤上にいた木村勢は西に後退し、堤は井伊勢が占拠した。川手はさらに突進したが戦死した。そこに庵原も加わり激戦となった。木村重成は自身も槍を取って勇戦したが戦死した。山口弘定、内藤長秋も戦死し、木村本隊は壊滅した。

それまで戦闘を傍観していた幕府軍の榊原康勝、丹羽長重らは味方有利と見て木村勢左先手木村宗明を攻めた。宗明は本隊が敗れたため大坂城へ撤退した。(Wikipediaより)


他の碑は、このように、なぜか倒れたま置かれていました。




にほんブログ村 歴史ブログ 歴女・女性歴史ファンへにほんブログ村

神社・仏閣 ブログランキングへ
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「あさが来た」ゆかりの地(4)大阪商工会議所の五代友厚像

2016-04-22 | 銅像
谷町四丁目駅を降りると、駅構内にはこんな大きなパネルがありました。



「あさが来た」ゆかりの地として、多くの方が訪れているのでしょうね。


谷町四丁目駅から歩いて10分ぐらいのところに、大阪商工会議所があります。



あさがなかなか言えなかった「しょうほうかいぎひょ」です(笑)

ビルの前に、大阪商工会議所の会頭3人の銅像が設置されています。



これらはいずれも堂島の旧大阪商工会議所ビルから移設されたものです。

向かって左から初代会頭の五代友厚、7代会頭の土居通夫、10代会頭の稲畑勝太郎です。

五代友厚






第1代会頭/明治11(1878)年9月~明治18(1885)年9月
出身地/薩摩国鹿児島郡、天保6(1836)年12月26日生れ
職歴/金銀分祈所、大阪活版所、弘成館、朝陽館、大阪製銅会社、大阪株式取引所、大阪商法会議所、大阪商業講習所創設など



土居通夫

第7代会頭/明治28(1895)年4月~大正6(1917)年9月
出身地/伊豫国宇和島、天保8(1837)年4月21日生れ
職歴/大阪府権少参事、大阪控訴裁判所所長、鴻池顧問、京阪電気鉄道(株)社長、大阪電灯(株)社長など
土居会頭時代には、関西・大阪の電気・鉄道網の整備等のインフラ整備を実施し、なかでも大阪・新世界で開催された第5回内国勧業博覧会の誘致・開催など大阪の近代化、国際化に大きな足跡を残しました。

稲畑勝太郎

第10代会頭/大正11(1922)年12月~昭和9(1934)年7月
出身地/京都市、文久2(1862)年10月30日生れ
職歴/稲畑(株)、日本染料製造(株)、日土貿易協会、関西日仏会館設立など

稲畑会頭時代には、そのフランス留学の経験を生かし、大阪の国際化に大きな貢献を行った大阪貿易学校の設立や、欧米への視察団の派遣をはじめとした貿易振興の活動を積極的に実施し、我が国の国際関係の改善に力を尽くしました。

銅像の前の階段をのぼると、若宮商工稲荷神社があります。

若宮商工稲荷神社は、大阪商工会議所初代会頭の五代友厚が大阪の商工業発展を祈念して奉祀した「商工稲荷神社」と内本町の大阪商工会議所移転建設用地内にあった「若宮稲荷神社」のご神体と合祀され、新たに建立されたものです。

若宮商工稲荷神社






ブログランキングに参加しています!応援よろしくお願いしますm(__)m



にほんブログ村 歴史ブログ 歴女・女性歴史ファンへにほんブログ村

神社・仏閣 ブログランキングへ
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「あさが来た」ゆかりの地(3)大阪取引所の五代友厚像

2016-04-15 | 銅像
大阪市中央区北浜1丁目にある「大阪取引所」の前にも五代友厚像があります。



像の高さは7.6m。

見上げるように台座が高いです(^_^;)



諸藩の蔵屋敷があった江戸時代の大坂の米穀取引所を起源に、五代友厚らが発起人となって設立された大阪株式取引所が前身。

堂島米会所で行われた帳簿上の差金の授受によって決済を行う「帳合米取引」が、世界で最初の公設の商品先物取引と言われ、この伝統から、大阪株式取引所の草創期から帳合米取引をベースにした定期取引が行われていました。

ブログランキングに参加しています!応援よろしくお願いしますm(__)m



にほんブログ村 歴史ブログ 歴女・女性歴史ファンへにほんブログ村

神社・仏閣 ブログランキングへ
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「あさが来た」ゆかりの地(2)大阪市立大学の五代友厚像

2016-04-08 | 銅像
NHK連続テレビ小説「あさが来た」で一躍脚光を浴びた大阪商工会議所の初代会頭、五代友厚の銅像が、創設に関わった大阪市立大学の杉本キャンパス(大阪市住吉区)に建てられました。

昨年は大学創立135周年で、今年は五代の生誕180周年。同窓会は2014年6月、二つの記念事業として銅像設置の検討を始め、事業費約3000万円は卒業生からの寄付で集めたそうです。

大阪に行ったついでに、銅像を見に行って来ました。

JR阪和線「杉本町駅」下車し、歩いて数分のところにあります。

駅から大学に向かう道。



ユキヤナギが綺麗ですね!





銅像の場所がわかりにくかったので、関係者の方に聞いて向かいました。



銅像は、商学部棟と文学部棟の間の植え込みを改装した広場に建てられており、五代様は、右手に書物を広げ、遠くを見据えています。











3月19日の除幕式には、ドラマで五代役を演じた俳優のディーン・フジオカさんがサプライズで訪れたそうです。
ディーンさんの人気の影響は凄いですね!

除幕式の様子
http://www.sankei.com/west/news/160319/wst1603190051-n1.html

ブログランキングに参加しています!応援よろしくお願いしますm(__)m



にほんブログ村 歴史ブログ 歴女・女性歴史ファンへにほんブログ村

神社・仏閣 ブログランキングへ
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする