日々史跡めぐり

日本のあちこちの史跡、神社仏閣を巡っています

鷲津の本興寺(5) 客殿

2020-06-27 | 仏閣

回廊を通って、客殿に向かいます。

客殿

寛永14年(1637)、十三世日渕の代に建立され、安永2年(1773)二十五世日義の代に

再建されました。

桁行十間・梁間八間の寄棟造りで、前面に桟瓦葺きの向拝がつき、

側面に濡縁が巡らされています。比較的古式な客殿ですが、江戸時代の特徴をよく示

しています。

 平成23年度から24年度に行われた保存修理工事に伴い、本茅葺きから茅葺き型鋼板

葺きに変更されました。(駒札より)

 

 

句碑 星野立子

 花の寺 静かな人出 中に歩す

中門

 大書院の本玄関に通ずる中門は、朱塗りの門であることから別名朱門(あかもん)とも

呼ばれています。

 貞享3年(1686)十七世日観の代の建立とされ、本柱と控柱の直上に切妻屋根を載せた

薬医門といわれる門です。

薬医門は、元来桃山時代創始の城門の一種でしたが、江戸時代には寺院の門として多

く用いられました。

 当初は、客殿正面に建てられていました。

 夕早き庫裡のはひりは日たむろと 築地めぐらして朱き中門 北原白秋

 

ブログランキングの応援よろしくお願いします😄

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鷲津の本興寺(4) 遠州流庭園

2020-06-20 | 庭園

国指定重要文化財  絹本著色 法華経曼荼羅図 四幅

鎌倉時代の作、法華経を四幅にして絵解きに資する絵図。

奥書院
もと三河国吉田城内にあった建物で、延宝二年(一六七四)十六世日穏の代、山門とともに当山に寄進されたものです。
構造は、木遣平屋建てで、桁行八間・梁間五間の寄棟造りの茅葺きの縁側をつけた住宅風書院建築です。創建当初からのものではありませんが、使用されている材料や技法は江戸時代初期の建物様式を遺す建物です。
平成二十四年度から二十五年度に行なわれた保存修理工事に伴い、本茅葺きから茅葺き型鋼板葺きに変更されました。
(駒札より)

庭園は「遠州流庭園」となっており、小堀遠州の作庭と言われています。

遠州流庭園
 裏山の自然林を借景に大書院と奥書院に面して配置された庭園で、当地方の作庭に
大きな影響を残した小堀遠江守政一が関わったといわれています。
広さは約300坪に及び。池中に鶴島、亀島の二島を浮かべ、山畔には枯滝口が築かれ
その左手に三尊石、さらにその左手に須弥山石が配され、手前には礼拝石が据えられ
ています。
 庭園の起源は不明ですが、永禄6年(1563)5月の今川氏真判物に「寺中園林」とある
ことから、古くから池泉があったことが想像されます。
  水の音ただにひとつぞきこえける 

      そのほかはなにも 申すことなし
      

      (昭和7年) 北原 白秋(駒札より)

ブログランキングの応援よろしくお願いします😄

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鷲津の本興寺(3)大書院 その弐

2020-06-12 | 仏閣

大書院の上段の間には、壁面七面、襖四本の両面の計十五面に、谷文晁によって「紙本水墨四季山水障壁画」が描かれ、このことから当寺は「文晁寺」とも言われてぃます。


谷 文晁
詩人谷麓谷の子として、宝暦恰3年(1763)江戸に生まれた。
画をもって田安侯に仕え、松平定信の庇護を受けた。円山派の波辺南岳、北山寒巌の北画風をはじめ、宋、元、明の諸家の名蹟に学び、あらゆる画風の長をとって折衷した。
山水、花鳥、人物など一つとして可ならざるはなく、大和絵までこなし、光琳瓜、四条派瓜をとり入れるなど。その画風は江戸期の全流派を集大成した感じがある。
旅を愛し、最も得意とするところは山水画で、北宗的な堅い筆法と南宋的で柔和な空問のひろがりを総合して一派を創始、南北総派の祖といわれる。山水画の中でも三十歳前後の作品は、賦彩や濃淡のニュアンス、構成の新しさにおいて当代無類、江戸第一の大家と目され、この期の作は世に「寛政文晁」と珍重される。
学才にもすぐれ「画学大全」、「歴代名工両譜」など著述も多い。晩年には流行におぼれて乱作したが。渡辺華山などを門下に輩出、先近代的な画壇形成に力があった。

谷文晁自画像

谷文晁像(最晩年)

 

ブログランキングの応援よろしくお願いします😄

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鷲津の本興寺(2)大書院 その壱

2020-06-05 | 仏閣

方丈で受付を済ませ、大書院、奥書院、客殿の見学のスタートです。

大書院は、文政10年(1827)の建立で、上段之間十五畳、中之間十八畳、岸良之間十八畳からなっています。

 大書院
大書院は、二十九世日壇の代の文政10年(1827)、上段・下段の間取りを持つ公式対面の場所として建立されました。
完成の記念として上段の間には、壁面七面、襖四本の両面の計十五面に、谷文晁によって「紙本水墨四季山水障壁画」が描かれ、このことから当寺は「文晁寺」とも言われてぃます。また、下段の間には岸良の「双竜争珠の図」や杉戸絵が描かれています。
(駒札より)

 

双竜争珠の図


大書院のからの遠州流庭園

「四季山水図」の『秋之景色』

花鳥図屏風

 

 

ブログランキングの応援よろしくお願いします😄

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする