一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

「Last Days 坂本龍一 最期の日々」 ……何を楽しむにも体力が必要……

2024年05月09日 | 人生の一日


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先月(2024年4月)、NHKスペシャル「Last Days 坂本龍一 最期の日々」を観た。


YMOのメンバーとしてテクノ・ミュージックで世界に衝撃を与え、
その後も独創的な音楽で多くの人の心をとらえ続けてきた坂本龍一であるが、
私自身は特別彼のファンというわけでもなかったので、
いつも少し離れた位置で彼の活躍を見ていた。

葛城ユキ(歌手)2022年6月27日死去、70歳。
山本コウタロー(歌手、タレント)2022年7月4日死去、73歳。
高橋幸宏(シンガーソングライター、ドラマー、他)2023年1月11日死去、70歳。
鮎川誠(ギタリスト、作曲家)2023年1月29日死去、74歳。
坂本龍一(作曲家、音楽プロデューサー)2023年3月28日死去、71歳。
谷村新司(歌手)2023年10月8日死去、74歳。
もんたよしのり(シンガー・ソングライター)2023年10月18日死去、72歳。
大橋純子(歌手)2023年11月9日死去、73歳。
八代亜紀(歌手)2023年12月30死去、73歳。


など、ここ数年、(私の兄・姉世代の)70代で亡くなるミュージシャンが多く、
このブログでも、
ミュージシャンの訃報相次ぐ ……70代で亡くなったミュージシャンたち……
とのタイトルで記事を書いたほどなのだが、
その70代で亡くなったミュージシャンたちの中に、坂本龍一もいた。
1952年1月17日生まれということで、
1954年の夏に生まれた私とは、2~3歳しか離れておらず、ほぼ同世代と言ってもよく、
71歳で亡くなった坂本龍一には無関心ではいられなかった。
なので、NHKスペシャル「Last Days 坂本龍一 最期の日々」も観てみたのだ。

冒頭の、死ぬ数日前の映像に衝撃を受けた。


私とほぼ同世代の(死ぬ間際の)人間の映像に、胸を衝かれた。
恐怖をおぼえたと言ってもいいだろう。




この「Last Days 坂本龍一 最期の日々」の中で、
強く印象に残った言葉は、
手術を受けて、体力が落ちているときの肉声。


【最晩年の肉声記録】

やっぱり自分にエネルギーがないときはね
音楽っていうのはなかなか聴けないですよね

音楽って熱量が高いものなので
受け止める体力がないと
なかなか受け止められないですよね




音楽を愛した、音楽の専門家であっても、
自分にエネルギー、体力がないときには、
音楽を聴けないし、楽しめないというのだ。

これは音楽に限らず、様々なことに当てはまるのではないかと思った。
芸術には、作品そのものに大きなエネルギーが内包されているので、
それを受け止めるには、受け止める側にもエネルギーが必要とされる。
音楽だけでなく、文学、絵画、映画などを楽しむにも体力が必要だし、
人間の欲(食欲、性欲、知識欲、闘争欲、睡眠欲、排泄欲など)を満たすにも、
体力が必要なのだ。

病気をするということは、エネルギー、体力が低下することであり、
老いるということも、エネルギー、体力が減少していくことだ。

今夏、70歳になる私が、今、気を付けていることは、
病気をしないことと、体力の維持だ。
趣味の登山もそうだが、
読書においても体力の必要性を強く感じている。
特に、最近は、名作と言われている長編小説を読んでいるので、特にそう感じる。
長い物語を読むには体力が必要なのだ。
最近は、X(旧Twitter)、TikTokなど、短い文章、短い映像が歓迎され、
長い文章や、長時間の映像が敬遠される傾向にあるが、
それは、とりもなおさず、現代人の体力が総体的に低下している証でもあるような気がする
私は時代に逆行するように、長編小説を読んでいる。
なので、今の私の最優先事項は、体力の維持。あわよくば体力の強化。
それは、私自身が楽しみたいことを、一日でも長く楽しむためなのだ。


先日、書店で見掛けて、思わず笑い、
〈けだし名言〉
と、頷いたタイトルは、
『老後に楽しみをとっておくバカ』(和田秀樹/青春出版社)


今を楽しまず、せっせと働き続け、
〈老後の楽しみに……〉
と、頑張り続ける人の、なんと多いことか。



以前、このブログで、
『たりる生活』(群ようこ/朝日新聞出版)という本のレビューを書いたとき、
……老後って、いったい何だろうね?……
とのサブタイトルを付して、次のような文章を紹介した。


「老後って、いったい何だろうね」
とつぶやいた。そういわれても私には明確な答えは出せない。昔であれば会社を定年退職したり、商店主ならば商売をやめてからなのかなあとも思ったが、現実には六十代、七十代はまだまだ元気で、若者よりも活発に行動している人も多い。彼女は、
「老後のためにお金を貯めるっていう人がいるじゃない。でも老後っていつ?って考えると、老後のためにってお金ばかりに頼っていると、貯め続けているうちに、死んじゃうんじゃないのかな。弟は結構、銀行にお金を残していたのよ。定年まで十年以上あったし、自分の老後なんて先のことだと考えていたと思うけど、老後の前に亡くなったのよね」
とため息をついた。
「若い人でも守りに入って、すでに老後みたいな人もいるしね」
私の言葉に彼女は、
「そうそう、老後って実は年齢には関係ないのかもしれない」
とうなずいた。
知り合いから聞いた話だが、彼女の同僚の男性が会社で、
「本当にうちの両親は頑固で困る」
と愚痴をいっていたという。彼は未婚で、すでに仕事をやめて家にいる両親と、古い一軒家で同居している。両親の部屋のエアコンが故障したので、彼が両親に、
「早く直したほうがいい」
といったら、
「お金がもったいないからこのままでいい」
と首を振ったという。
「新型コロナウイルスの感染もまだ拡がっているし、インフルエンザの流行も怖いし、寒くて風邪をひいたら大変だから」
何度も説得して、彼がお金を出して直したのだが、両親はそれでも電気代がもったいないと、エアコンをつけようとしない。理由を聞いたら、
「老後のお金がなくなるから。老後のお金が減ると、お前に残せるお金も少なくなるし」
といわれた。
「おれのためなんていうな。あんたたちが風邪をひいて具合が悪くなったり、それが元で入院したりするようになったら、おれはもっと大変なんだ!」
彼は怒ったのだが、それでも両親は、
「老後のお金がなくなる。もったいない」
と頑固にエアコンをつけようとしないので、彼は両親の部屋と自分の部屋の境の襖を常時全開にして、彼の部屋のエアコンをつけっぱなしにして、温風が両親の部屋に届くようにしたのだそうだ。
「これから光熱費はおれが払うから文句をいうな。そっちの部屋のエアコンをつけないのは勝手だが、この部屋はおれの管轄だから、勝手にエアコンを切るのは許さない」
そうきつくいい渡したという話なのだった。
その老後のためといっている両親は、八十歳をすぎているのである。私からすると、
「今、お金を使わなくて、いつ使うのですか。それも生きるのに必要なお金を」
と聞きたくなるのだが、その両親はまだ自分たちの現在は、老後ではないと考えているのだろう。元気でいる人ほど、老後はまだ先と感じるのかもしれない。


〈明日の心配ばかりしている人には永遠に“老後”は訪れないのではないか……〉
と思ったし、
(心配性の)日本人の多くが、
“老後”のためにと思って、お金を(死ぬまで)貯め続け、
使うことなく死んでいくのではないか……と思ったことであった。(コラコラ)


22年間にわたり朝の情報番組『とくダネ!』でMCを続け、
朝の顔として活躍した小倉智昭は、
自宅とは別にビルを借りて、
そこにこれまでコレクションしてきたものを大量に置いていたという。
1フロア60畳の2フロアを占領するほどの量で、
本は2万冊、DVDや CDは3万点、
その他カメラやオーディオ、ギターや絵画、細かなものもたくさんあったとのこと。


「小さなTSUTAYA」「小さな映画館」くらいの規模だったそうだ。




それが、膀胱がんを患い、膀胱摘出手術、その後の抗がん剤治療などで、
三途の川を見るほどの体験をする。
そんな体験を経て、今後の人生について感じていることを語った、
『本音』(新潮社)という本で、


小倉智昭は次のように述懐している。(聞き手は、古市憲寿)



──趣味の物に埋もれて暮らすのは、理想の隠居だとは思えないですか。

これは理想の隠居じゃないね。僕の考え方も変わってきているんだと思います。

老後の楽しみなんて本当に思い描いているほど楽しかないよ、って言いたいよ。お金を子どものために使うとか、老後のために、二人のために使うとかっていって残すのもいいのかもしれませんけど、それよりも若いうちにやれることがあったら、やったほうがいい。

だって、海外なんて体が言うこと聞くうちに行かないと。今、僕に海外行けったって行けないもん。歩くのもきついしさ。ワインのおいしいとこ行ったって、自由に飲めないわけじゃない。

かみさんは、「私は母のことがあるから行けないから一人で行ったら」とまで言うんですよ。「今こそあなたの好きな人と行ったら楽しいと思うわよ」だって。

でも今この体だから何もできねえだろう。そんなとこに好きな人と行ったって嫌われるだけだという……。


――やりたいことは老後に、なんて考えるんじゃなくて思い立ったときに行動しておいたほうがいいってことですね。

うん、そう思う。老後は理想どおりにいかないと本当に思う。

映画のDVDとかCDとか封を切ってない、ビニールでパックされたまんまのやつとかあるんだよ。後でゆっくり見よう、聴こうと思ってとってあったもの。

それをそのまま封を切らないで死んでしまうんじゃないかとかって最近思うよね。本だって読んでないものもあるわけじゃないですか。そこに置いとくだけで何か安心とかって、何かあったときにいつでも引っ張り出せるとかって思ってるけど。それがどうなんだろうなって。


──老後の予定は狂うんですね。

老後の予定は狂うね。本当、体は気をつけなきゃ駄目だね。ただ、がんは二人に一人というくらい、みんなやることだからね。


「映画のDVDとかCDとか封を切ってない、ビニールでパックされたまんまのやつとかあるんだよ。後でゆっくり見よう、聴こうと思ってとってあったもの。それをそのまま封を切らないで死んでしまうんじゃないかとかって最近思うよね」
とは、(誰にとっても)何と身につまされる言葉だろう。

当たり前過ぎて、今さら言うのも何なのだが、
健康でないと、何事も楽しめないということ。
自分自身に体力がないと、何事も楽しめないということ。
健康であっても、老いてくると体力も落ちてくるので、
〈老後の楽しみに……〉
などとは考えずに、今を楽しむこと。
そして、老いても楽しめるように、なるべく体力の維持に努めること。
50代、60代と、これまでも楽しんできた私であるが、
70代も楽しめるように、山歩きを中心に据え、日々、体力の保持に努めている。
『老後に楽しみをとっておくバカ』のキャッチコピーにあった、
「いま、やらない人は“一生やらない”」
という言葉を肝に銘じ、
これからもいろんなことにチャレンジし、楽しんでいきたいと思っている。

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