ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
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黒部の太陽

2009-03-23 16:08:39 | ドラマ・ワイドショー

 東京マラソン、今年も盛り上がりましたけど、松村邦洋さん

が意識を失って一時心肺停止というのには驚きましたね

原因は「急性心筋梗塞」だそうで、これって死亡率がめちゃくちゃ高い

疾患です。息を吹き返したのが奇跡的ではないでしょうか

あの体型だもの、マラソンには向かないってわかってるでしょうに

番組で企画を作っちゃうなんて「いじめ」みたいなものじゃない

最近のジョギングブームとか、アナウンサー等のマラソン参加は

いいのか悪いのか

走る事を甘く考えない方がいいですよーー タレントやアナウンサーに

無理に走らせる必要なんかないんじゃないの

土佐礼子さんだってヘトヘトでゴールして

プロだって大変なのに、普段走り慣れてない人が1か月やそこらの

練習でマラソンに参加するのって無謀すぎると思います

そういうので視聴率稼ぎしなくてもいいじゃないか・・・・と

素人さんで参加したい人は一杯いるんだから、そういう人達に返して

あげてよね

松村さんだって助かったからいいようなものの、もし死んでたら企画を

作ったテレビ局の責任問題になった筈です

多分、かなり入院しないといけないんじゃないかなーー

 

 黒部の太陽 

 

 最初、香取君が主演だっていうし、またキャラに合わない役で

色々あるんだろうなと思って見ていたら、かなりの超大作で、2日間

しっかり集中してみることが出来ました

 

 昭和32年ってまだ戦後だったんだよねーー

 

主人公の倉松さん他、みんな戦争体験者で「お国の為に」というのが

当たり前に生きてた時代。

だから黒部ダムを作る事はまさに「国策事業」の一貫で、危険だろうが

何だろうがやり遂げなきゃいけない事だったというのがすごいです

今じゃ考えられませんって。

いつ崩れ落ちるかわからないトンネルの中を手で掘って、ぼちゃぼちゃと

冷たい水に浸かって仕事するなんて

でもそれを為し得た理由は、やっぱり仕事に対する強烈な使命感と

これが国の為に、人々の為に役立つという誇りがあったからでしょうね。

いい時代だったな・・・・男の人にとっては

 

 日本中、特に関西で電力不足だったのか

 

その当時、私は生まれてませんので電力事情がどんなだったか、よく

わかりません。でも私が小さかった昭和40年代でも、結構停電って

あったかも

ただ関西が電力を送らない日があったというのはびっくりです

街中ブーイングだったけど、今なら「エコだ 素晴らしい」と

言われそうですね。

日本の経済の発展には欠かせなかった電力事業

お陰で便利になったけど、その便利さが地球を滅ぼすってんで

今じゃ「節約」だもんね。

 

 深キョンが赤線にいたって不思議

 

深田恭子がやってた文子さん・・・いわゆる娼婦だったという割には

そういう暗さが一切ない女性で違和感大あり

志田未来の「お父様、お姉さま」という言葉遣いも慣れていない感じでしたが

一番笑ったのがロングのかつら 似合わない

浅野ゆう子のショートカットの髪も全然似合ってないです

綾瀬はるかが演じた幸江さんの優柔不断さには参った

他の人と結婚するのにわざわざ倉松に会いに来るってどういう了見?

みたいな?

引きとめて欲しかったのかもしれねいけど、お嬢様と倉松では身分違い

だものね・・・・・

 

 何年も家に帰れない事が当たり前の時代

 

多分、黒部にいた人達のような働き方が、当時のサラリーマンにとって

当たり前の環境だったんだと思います。

うちの舅もずっと鉱山で電気事業をやってたそうですが、とにかく帰って

来なかったそうですし、アフリカに単身赴任しちゃった事もあって

そのせいだけじゃないかもしれないけど、やっぱり親子関係が

ちょっとぎくしゃくしているような気がします。

 困るのは、そういう時代を生きた人が「悪かったな」と思わず

それこそ男の生き方だ」と自分で自分を褒めることです。

そしてそれを子供世代に強制することなんだよねーー

今はそういう時代じゃないのに、「仕事が一番だ」「仕事さえ一生懸命に

やれば必ず報われる」「会社と心中する覚悟がないからつぶれる」

といった事を平気で言うんだもの。

 

 夫の仕事を支えるのは妻の誇り?

 

滝山さんの奥さんが、3女の病気をぎりぎりまで夫に言わなかったこと。

娘の幸江が抗議してましたが、お母さんとしては

黒部で大変な仕事をしているお父様に負担や心配をかけたくない」

という昔堅気な貞節なんでしょうね

でも、不治の病にかかって余命いくばくもない娘の病状すら教える事を

憚る「仕事」って何よーーというのが現代の考え方で。

まるで「銃後の妻」そのもの

やっぱり、当時は企業戦士を後ろで支える専業主婦の誇りが

夫の企業での地位やお給料だったわけですから、仕方ないのかもしれません。

ちなみに、うちの姑も全く同じ考え方なので、

我が家では子供達が入院する度に「家族の為に仕事に没頭できない息子

が可哀想と言われます。

 

 倉松さん・・・・

「倉松」っていう苗字はあまりいないと思うんですが・・・・

関西方面が多いのですか?

東北では珍しい苗字です 

同級生で・・・非常に忘れられない人が「倉松」と言ったので、思いだして

しまい 夢の中にまで出て来ちゃった

彼が昔、「倉松という苗字は明治以降に作られた苗字だと思う」って

言ってた事があります。 (小学校のときね)

 今でもその名前を聞くと胸がズキっとするんですよー

いつまで思い出に縛られているんだかって感じです。

 

 

コメント (2)
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