ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

ロミオとジュリエット・・・Bパターン2

2013-08-04 18:40:00 | 宝塚コラム

 宝塚の神髄は「愛」と「夢」

演劇を専門職とされていたり、ストレートプレイが好き・・という人達にとって宝塚の世界は異様に見えるらしいです。

私がよく言われるのは「リアリティがない」「夢夢しい」ですね。

同じシェイクスピアでも野村萬斎の「マクベス」は芸術的評価が高いけど、宝塚版「ロミジュリ」は低い。

理由は簡単。そこに理屈がないからです

「ロミオとジュリエット」という話の神髄は、「民族が絶えるかもしれない程の争い」をしている家同士の男女が

恋をし、成就しなかった事で「不毛な争いが若い命を奪った」という親世代に対する教訓とても言いましょうか。

憎み合う事に何の意味もない、汚れた大人の世界に「若く無垢な愛が犠牲になった」という悲劇。

擦れ違いで死んでしまうというストーリーも、皮肉な結果です。

人間とは、若さとは、愚かである。でも、その愚かさの中に愛すべきものがある。「ロミジュリ」の登場人物は

その「愛」に気づくために大きな犠牲を払ったわけです。

大昔見た蜷川演出の「ロミオとジュリエット」は「すごいなあ」とは思っても、主役二人が可哀想に見えなかった・・

日本人には「一目で恋に落ちて情熱のままに突っ走る」なんていうのは合わないんだなと感じた記憶が。

普通は一瞬でも冷静になるし、そうなったら「昨日好きと思ったけど今日は・・・」になるしね。

ところが。

宝塚ではそんな「理屈」はどうでもいいのです。

「本当の恋人」が欲しいと思っているロミオとジュリエット。互いを見て相手の家がどうどか関係なく

一瞬で恋に落ちる。ここで理屈っぽい部分は「モンタギューとキャピュレットの争いを終わらせる」という部分のみ。

とにかく愛し合う若い二人のラブラブ感に浸って幸せになれれば、それで成功。

それこそが宝塚。

「宝塚も新派も歌舞伎もお客が見ていい気持ちになる事が一番」と言ったのは長谷川一夫です。

そういう意味で、今回の星組版「ロミオとジュリエット」は最高に「いい気持ち」になれる舞台でした。

長年連れ添ったトップコンビにしか出せない究極のラブシーン・・・・麻路さき時代から久しく感じなかった宝塚らしさです。

 

 出演者について

柚希礼音・・・・ロミオ。髪を切ってア・シンメトリーな形にしたら若返ってしまいました 演技力は大人になったと思うけど。

       やっぱりロミオは柚希という感じです。最初の登場シーン、たんぽぽのわたげを持って登場する部分。

       柚希だから変に見えないわけで。(気恥ずかしいシーンですよ)

       舞踏会での出会いは短くても、一瞬に恋に落ちた事はわかるし違和感なしです。(普通は何であの娘役に一目ぼれ?

       と思う事も・・・)

       バルコニーでもジュリエットが歌うのを、「ええ?ジュリエットが僕を?ああ・・幸せ。これはすぐに行かなくちゃ」が

       手に取るような感じ。「結婚しよう」の後、一旦階段をおりかけてバラを受け取りキスするシーンの素敵さ。

       結婚式での「一人前の男」だよ・・・的な表情。ここは初演にはない顔つきだなあ。それだけ大人になったのねと。

       2幕目、マーキューシオを失った悲しみとティボルトへの怒りは、十分納得できるし、追放になったあと

       神父様の所でぐずぐず言うロミオはまだほんの子供のようで母性本能がくすぐられます。

       ベッドでジュリエットの腕に顔を埋めるシーン、離れがたいキス、ジュリエットの死を知った時の絶望。

       そして死んだジュリエットの頭を持ち上げて抱きしめて泣くシーンに胸を射抜かれました。

      よみがえった二人が恥ずかしい程いちゃいちゃとする振付におおーと思っていたら、いきなりほっぺを

       ぎゅぎゅっとくっつけてカーテンですよ 乙女のあこがれがそこに

      ・・・・という事で言う事なし。宝塚ってラブシーンの世界なんだ。柚希礼音は本当にラブシーンの達人であるという

      事はよくよくわかりました。

夢咲ねね・・・ジュリエット。初演時より感情表現が豊かになり歌唱力もアップ。勿論ロミオとのラブラブ感もアップ。

        かぼそい16歳の乙女というより、ロミオを突き動かすプチ魔性の乙女っぽかったですが

        先日、スカステで「REON」を見たのですが、たった1年ちょっと前なんだけど、あの頃は本当に頼りないと

        いうか、そこらへんの普通の女の子だったし、ちっとも綺麗じゃなかった。でも、今は立派な娘役になったねと。

       成長を見る事が出来てうれしい限りです。

紅ゆずる・・・ベンヴォーリオ。次期トップになる・・・という前提であえて厳しい事を書かせて頂くなら、紅の演技の引き出しが

       小さすぎる 何をやってもマーキューシオにしか見えず・・・という事は常にがらっぱちで衝動的な役しか

       出来ないって事ですよね?(ブルギニオンだってそう)

        ベンヴォーリオはマーキューシオやティボルトとは性格が違って、どこか一歩引いてみている人ですよね。

       最初はマーキューシオと一緒につるんでいても2幕目からはロミオ側につく。「大人の憎しみに振り回された。

       俺たちは犠牲者だ」というセリフがベンヴォーリオの人となりを表現しているのですが、涼と未涼はここで

       大いに観客を納得させたのに対し、紅はさらっと流してしまった。ものすごく重要なセリフなのに。

       さらに「どうやって伝えよう」も、歌唱力云々の前にロミオの親友という部分が欠落しているような。

       涼のベンヴォーリオは知的で冷静でロミオの支え手。未涼はさらに保護者の度合いが増し・・・じゃあ、紅は?

      何も印象に残らない。演じてないのではと。(星条のは・・・何と言ったらいいかわかんない)

       トップスターなんて真ん中に立っていればい。難しい事は回りがやるから・・と言った元スターがいるけど

      それはあくまで真ん中に立つ人がそれだけで絵になる「王子様」である事 

      みんな、それが出来ないから歌やダンスという一芸を持って補うんでしょう?あるいは演技力で。そのどれも

      持ってない、ただただ勢いだけで舞台を乗り切ろうとしてもそれは無理です。

真風涼帆・・・ティボルト。とても「15で女を知った」ようには見えず、キャピュレット夫人と怪しい関係?嘘嘘。ジュリエットが好き?

       どこが?一応セリフは言ってるけど目線が下向いて「自分には無理」と看板しょってやってるように見えます。

       マーキューシオとの戦いで一応絵になったのは、天寿のおかげですよ。

       演技力がない、衣装が重くてうまく踊れない?歌も歌う事だけに必死。まるで新人公演やってる学年のようなのに

       3番手という現実 この現実を一番受け入れていないのは本人じゃないの?

       そういうスターは今までにもいました。姿月あさととか彩輝直とか・・「私、そこまで上に上がりたいとは・・・」的なスター。

      でも真風が歴代で一番ひどいかも

      大階段を真下見ておりて来るとは。真風に言いたい。真風の地位につきたいスターは沢山いるし、真風以上の

      実力を持つジェンヌもいる。でも歌劇団が選んだのは真風。真風の両肩には宝塚の未来がかかってる。

      それを自覚しながら日々、舞台を務めて貰わないと、宝塚は滅びますよ。

十輝いりす・・・大公。歌唱力はおいておいて、その存在感はいいと思います。

美城れん・・・乳母。小池先生がイメージした乳母そのままではないでしょうか。こんなにぴったりとした

          キャスティングは近年なし。外の未来優輝並にすごいです。恐るべし美城!

壱城あずさ・・・パリス。元々彼女は演技力がある方じゃないし、顔つきも最近はより女の子っぽくなってる気が。

        彼女なりに頑張ったけど平凡な出来に終始。宝塚的演技があまり出来ないタイプなのかなと。

天寿光希・・・マーキューシオ。背丈がない(回りが大きいだけ)事がすごく残念で。その背丈の欠点を補ってあまりある

       演技力と歌唱力、キレのいいダンスに脱帽

       破滅型の性格、喧嘩っぱやい部分がロミオと好対照。一点の曇りもない笑顔がかえって怖かったりする。

       死にっぷりがあまりに見事で・・・刺されてふらふらっと歩いてばたっと倒れる。

       「大したことない・・・泉よりも深くもないし教会よりも広くもない・・・」から「お前はなんでそんなに不器用なんだ」

      とロミオを責めつつもちっとも責めてない「友達」としての優しさ。

      「ジュリエットを愛しぬけ」の二枚目から「俺は憎む、モンタギューとキャピュレット」の壮大なテーマ。そして

     ベンヴォーリオとロミオの手をとって「愛する友よ・・別れの・・時・・・だ」(ここで涙がだーーーっ)

      紅・真風が棒に見える「恐ろしい子っ」(BY月影先生)「舞台あらし」と命名しましょう。宝塚の北島マヤです。

      特にあのかっこいいダンス・・それなのに何でいつも後ろで踊ってるのよっ

      私は紫のばらの人になりたい。

礼真琴・・・愛。何ていうか、この人の芸達者にはまいる。歌わせれば音域が広いし、男役でも娘役でもこなすし。

       体が柔らかいで優美そのものだし。カメレオンのような。うっとりとしてみてました。

麻央侑希・・・死。カーテンの陰からちらりと顔を出すシーンが多くて「まんまトート閣下」状態。可もなく不可もなく。

 

キャピュレット夫人とモンタギュー夫人は相変わらずのいい出来栄え。特に花愛瑞穂の母性はアップした感じ。

「息子は帰らない」の悲痛な歌に感動しました。

キャピュレット卿の一樹千尋と神父の英真なおきも安定しています。共に星組を支えた組長コンビですしね。

 

さて・・・毎回、安定した舞台を作り上げている星組です。でも問題が。やっぱり二番手・三番手が育っていないと

いう状況。いくら「見た目が9割」の宝塚でもそれだけではだめです

かつて霧矢頼みだった月組。現状はどうでしょう?星組も例外ではない。

下級生やベテラン勢には技術屋も多い。でもその活躍が報われないのも事実。だからこそ、真ん中に近い人には

人並み以上の自覚と精進を心掛けて欲しいです。

 

 

 

コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ロミオとジュリエット・・・・Bパターン1

2013-08-04 09:00:00 | 宝塚コラム

 雪組も月組も・・・星組のDVDも・・・みんな見て、それでも今回、また泣いた 

こんな・・・ストーリーわかりきってる話なのに。どこまでもベタな話なのに。ロミオとジュリエットなんて

めちゃお子ちゃまな恋なのに、どうして泣けちゃうの

ちえ&ねねのラブシーンがあまりに本格的で「二人が本当にキスしてたとしてもいいっ許すっ

と姫と友人と3人でしゃべくりまくっておりました。ミーハーだなあと。

 久しぶりに姫と出待ち 真っ先に出てきた十輝いりすと柚希礼音のかっこよさにドキドキ。

あ、勿論姫の本命・天寿光希様のお手紙一人一人をじっくり見てから受け取るしぐさにうっとりでした。

 全てがパワーアップ

宝塚の舞台の場合、全てにおいて「初演」が一番出来がいいと決まってる。

「ベルばら」しかり、「エリザベート」しかり、「オーシャンズ11」しかり・・・当然、「ロミジュリ」しかり・・・なんです。

再演するごとに劣化していくパターンがほとんどですよね。

が、まれに「再演」で「おおっ」という結果が出たものもあります。

「エリザベート」1997年星組版 → 適材適所・歌唱力では雪組に及ばないけど、海外ミュージカルとしてではなく

                        宝塚の「エリザベート」として全く違う色合いをだし、大成功。

「オーシャンズ11」2013年花組版 → こちらが正統派なのでは?というできばえでした。

オリジナル作品においても、再演でがっかり・・・みたいなパターンはかなりありますし。

そういう意味で、宝塚において再演というのはあまり頻繁にやるべきではないし、危険な賭けである事も確かです。

今回の「ロミオとジュリエット」は初演が2010年、星組の梅田劇場。

少数精鋭の安定した出来栄え・・(DVDのみですが)それぞれが適材適所に配された作品で、そこで火がつき、

翌年、2011年で雪組で再演。梅田でやったものが大劇場作品として蘇りました。

しかし、震災の影響と96期問題のおかげで音月桂お披露目に水を差す結果となり、演出も配役もちぐはぐ。さらにいうなら

衣装のひどさはもっとも深刻でした

ジュリエットに96期の夢華あみが配された事でファンの怒りを買い、観客減少の引き金に…オーバーかもしれないけど

最前列で夢華を見た身として、あれはひどかったと思います。

2012年月組版は、これまた龍真咲のお披露目でありながら何とロミオ自身の役替わりという、めちゃくちゃなパターン。

主役がロミオにふさわしいかどうかなどという事は全く考えていない・・・ゆえに他の配役も同じ出来で、テンション下がった

記憶が。

梅田版が人数が少なく、銀橋も大階段もない作品でありながら充実した「いかにも宝塚」の世界をくりひろげ、演出の巧みさを

見せつけられたのに対し、雪組も月組も、わざわざ銀橋を使う必要があるのか?とか、アンサンブルにまとまりがないとか、

あらばかり目立ちました。

また、この作品は「うたかたの恋」と同じで、主役コンビの相性のよさ、長年連れそれそっている間合い、掛け合い、

信頼、愛情が重要なポイントとなるので、お披露目のように、ぱっとコンビを組まされた相手同士では、どう頑張っても

ラブラブ感が伝わってこない。

(「うたかたの恋」が全ツなどで新コンビお披露目に使われるようになり、作品の劣化は確実となりました)

また、それぞれの組に力関係があり、その組によってティボルトやマーキューシオの重要度が変わるという

モヤモヤ感もありました。

 

そういう意味で、今回の星組は梅田でのあの充実感をきちんと再現できるのか?場所もメンバーも変わり

人数も増えて、あの時以上のものが出せるか否かが課題だったと思います。

歌劇団の思惑は観客動員。その為にAパターンとBパターンという役替わりを用意し、どちらも見たいという

お客の心を刺激したわけですが、その点に関してはかなり疑問があります。それは後述するとして。

そんな・・忙しい役替わりの中、主役2人が全くぶれなかった事。

むしろ、前回より表情が豊かになり感情表現が細かくなった事で、求心力が増し舞台にメリハリがついたと思いました。

メンバーの士気も最高潮にあがっている状態なので、全体的にパワーアップしたなと。

雪も月も「世界の王」の銀橋は何となく、ばらけた感があったのですが、こちらはまとまっていましたし

「綺麗は汚い」の客席降りも効果的だったと思います

ただ・・

そもそもが「ミュージカル」というよりコンサートのような形式だし、似たような場面が多いから仕方ないのかも

しれないけど、振付がどれも同じパターンで進んで行くのが気になり。

例えば、ロミオはどのシーンも必ず上手に走り去る・・・とか、ベンヴォーリオが必ず誰かと誰かの間に割って入って

止めるシーンばかりとか マーキューシオは必ず誰かに掴みかかるとか。

舞踏会にフラメンコ・・・ってこれはスペインだよね?とか、フィナーレにタンゴとか。

ちょっと考えすぎじゃないか?というのもあり (「宙組「エリザ」のジャズよりいいっか?)

 

衣装に関しては今回はおおむね良い・・・かな。でも、予算が少ないのかなと思わせる部分もありです。

音月の時みたいに変な冒険をしなかった事は評価します。

 

 役替わりのよしあし

Bパターン

ティボルト・・・真風涼帆

マーキューシオ・・・天寿光希

ベンヴォーリオ・・・紅ゆずる

愛・・・礼真琴

死・・・麻央侑希

パリス・・・壱城あずさ

 

Aパターン

ティボルト・・・紅ゆずる

マーキューシオ・・・壱城あずさ

ベンヴォーリオ・・・礼真琴

愛・・・鶴美舞夕

死・・・真風涼帆

パリス・・・天寿光希

 

で、今回見たのはBパターン。Aパターンが基本という事で考えるとBは異色のコラボレーションという感じがします。

それだけに、それぞれ、慣れない役柄に戸惑っている印象が・・・(そうでなかったのは天寿と礼のみ)

前述したように歌劇団としては、観客動員数を上げる為に、最近では頻繁に役替わりをするようになりました

この役替わり、歌劇団の本意は「イチオシの人間を上げたい人事的思惑」が大半です

雪でいえば、舞羽美海と夢華あみ。本来、すぐにトップ娘役になる筈の舞羽をおしのけて研1の夢華を抜擢した・・

月のロミオ役替わりはもっと露骨で、ファン同士のたたき合いが激化。

昔からそういうのはありました。その度にネットではファン同士のたたき合いが始まり、互いの悪口を言い合う。

それでも相手に負けないようにチケットを買ってみてくれるのだから歌劇団としてはおいしいんでしょうね。

役替わりを指名されたジェンヌにしても心中穏やかではない筈。

本当は組としてきちんとまとまらなくてはならないのに、微妙な溝を作ったりして。

宝塚のよさというのは1公演1人が演じる舞台である事だと思います。

東宝ミュージカルや四季のように長期間にわたって上演するわけじゃない。1か月しかないわけですから

役を突き詰めて行く期間が非常に短い。だからいつも「旬」なんですよね。

しかし、役替わりになると、昨日まではティボルトだったのに、今日からはベンヴォーリオという、全く違う役柄を

両方突き詰めなければならないわけで。平等にやれば薄くなり、比重を変えれば出来不出来がはっきりしすぎる。

結果的にジェンヌの負担を減らす為に、個性を無視した振付がなされ、誰がやっても同じパターンに作らざるを得ない

わけです。

いわば、宝塚はオートクチュールの世界であるのに、いきなりプレタポルテの機械生産にされてしまうという事。

これは長年のヅカファンにとっては耐えられない事です。 

ましてトップスターの役替わりなんて・・おかげで月組版はほとんど印象に残らなかった。

 

不況の時代です。特に舞台芸術そのものが死に瀕しているような状態。

その理由は、子供達が小さい頃から芸術に触れるチャンスが減った事。

宝塚はその昔から「祖母が見て母が見て娘が見て孫が見る」舞台でした。歌舞伎も同様。

演出家さんとか脚本家さんとか「よく小さい頃に母に連れられて劇場に通い・・」的な話をよくするでしょう?

そういう流れが現代では切られてしまったのです。

チケット代の高騰により、母が娘を連れて行けなくなった。専門チャンネルを見なければ滅多に舞台中継を

見る事もない。興味を持たないというわけです。

若い人を取り込もうと学割チケットとか、トークショーとか色々やっているようですが、そもそも興味を持たせる事を

しないのにわざわざ電車に乗って劇場に通うでしょうか?

時々、ジェンヌをテレビに出してファンを増やそう、自発的に劇場に足を向かせようとする動きもありますが、

北川景子のように、たまたま見たからファンになり、それから定期的にチケットを買える人達がどれくらいいるでしょう。

ジャニーズ並に薄利多売でいくか、アクロバット的演出で呼び込むしかないのかも。

でも、それじゃ本当の舞台芸術に触れる事にはならない・・・・日本は芸術貧困の国になったと思うんです。

 

そのような中で宝塚が生き残りを図る為に頻繁に役替わりをさせて、「どの公演も見たいから」とチケットを

買わせたい気持ちはわからないでもないけど、逆効果であると断言しますよ。

本当のヅカファンはころころ変わる役替わりを見たいのではなく「この役は〇〇さんじゃなくちゃ」というものが

見たいのです。

一人のジェンヌにとっての「代表作」が見たいのです。

舞台みながら「全部セリフ覚えて振りも覚えて・・ごっちゃにならないの?」なんて思いたくないのです。

 

宝塚は100周年を迎えるにあたり、「基本」に返るべきではありませんか?

古いのかな。そういう考え。

 

 

 

コメント (11)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする