ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

韓国史劇風小説「天皇の母」194(奇跡のフィクション)

2015-09-09 08:30:00 | 小説「天皇の母」181-

その年は何事もなく、いつもの通りに明けたと誰もが思っていた。

皇室においては、相変わらず「東宮妃」の病状が取りざたされ

いつ治るのか、いつ公務復帰するのかなど、外野の声はかまびすしい。

しかし、東宮妃は一向に「公務」に出る気はないらしく,人々の期待を

裏切り続けていた。

皇族にとっては内輪の集いですら一種の「公務」であり「責務」であったが

「病気」のお墨付きを得た東宮妃に怖いものなどあるはずもなく、

予定しては突如欠席し、あるいは最初から欠席し・・・の繰り返しで

回りを翻弄し続ける。

 

本来、妃を導く立場である夫の皇太子も、天皇も皇后も

何も言わなかったし、何もしなかった。

妃によって「禁断の蜜の味」を覚えた皇太子は、もうそれなしでは

生きていけなくなっていたし(まるで麻薬のように)

天皇も皇后も、自分達の価値観と、実際の行動に「矛盾」があるのでは

ないかと思い始めていた。

 

「傷ついた私」を最大限に利用することを覚えた人間と、

それに覆いかぶさるように、背後から手を伸ばす実家の影。

そしてそんな皇太子妃の「病気」を盾に、「世の中にあるまじき男女不平等」

女性の社会進出を阻む婚姻・懐妊を打ち砕こう」という女性達のキャンペーン

が繰り広げられる。

「結婚」は勝ち組だといいつつも、妊娠・出産した女性を「上から目線」と決めつけ

ことさらに出産を選ばない、選べない女性の「弱さ」ばかりを強調し、

女性達を敵対させる思想が闊歩する今にあっては。

 

かつて「弱い立場の女性」を代表していたのは皇后自身であった。

民間出身だが才色兼備を誇る皇太子妃として、堂々と皇室入りしたが

それは彼女の母親から言わせれば「ストラグル(闘争)」であった。

家柄や血筋とは関係なく、人は「愛」のみで結婚できる。

かつての「身分違い」による恋の悲劇を繰り返してはならない。

人の価値は家柄や血筋で評価されるものではない。

麗しき男女平等万歳!

皇后。かつての皇太子妃は一般庶民の憧れでありつつ、庶民の「代表」であった。

そんな彼女が宮中で虐められ、流産し、痩せた・・・となれば誰もが同情する。

きっと皇太子妃殿下は古い価値観の犠牲になっているのだ」と

誰もがそう思った。

若き美貌の皇太子妃の時代、「伝統」も「しきたり」も時代に合わない「悪」であった。

そもそも、なぜ日本は戦争への道を歩んだのか。

それは「富国強兵」という、とんでもない思想によるものではなかったか。

最初から平和国家を目指し、何がどうあろうと戦争をしなければ、日本は

平和でよい国であったし、人も死なずに済んだ。

「富国強兵」の後ろにあるものは「女性蔑視」だ。

女性であるがゆえに結婚を強いられ、出産を強いられ。

そんな世の中を変える。変えなくてはならない。

皇后の人生を一言でいうとそんな流れだったろう。

 

だからこそ、今、「男子出産」のプレッシャーに押しつぶされている

皇太子妃を責められない。

皇室の伝統もしきたりも何もかも真っ向から否定して拒否する

皇太子妃の感情は、普通なのだから。

祭祀における「潔斎」の屈辱。

女性特有の体調の変化を日々、女官に伝えなければならない屈辱。

人目にさらされる屈辱。

皇后自身はそれを「屈辱」とまでは思わなかったが

そんな事を当たり前にできる人がいる事が衝撃だった。

そしてそれはまさに「生まれ」や「育ち」に大いに関係してる事だと

いう事もすぐにわかった。

あれから半世紀近く。

必死に仮面を被って来たけれど、病の皇太子妃を見つめるにしたがって

それが一枚一枚はがされていくようだ。

目障りだが、それを踏みつぶせば自分の良心が傷つく。

常に「公正無私」な自分を演じる為には、皇太子妃を否定できないのだ。

 

新年祝賀の儀に皇太子妃の姿はなかった。

一連の公式行事は全て欠席だった。

1月5日。皇居では内輪の夕食会が開かれたが皇太子妃は欠席した。

内親王の体調が悪いのでという理由だった。

皇太子の血を受け継ぐただ一人の娘は、今や野生児への道を

歩き始めている。

親に翻弄される内親王を不憫とは思ったが、今時の姑が孫の養育に

口を出すべきではないというのは常識だったので、何も言えなかった。

皇后は世間が自分のことを「嫁いびりをする姑」と言い出すのではないかと

そればかり気になっていたのだ。

なぜ、女子だからといって皇統を継げないのか。

結婚8年目に授かった内親王の重要性を考えない回りにいら立つ。

もし、内親王に皇位継承権が与えられたら、東宮妃の思いも変わるかもしれない。

内親王の教育も少しは。

 

ひそやかに・・・本当にひそやかに神の手は動きつつあった。

1月12日。歌会はじめの儀。

そこではアキシノノミヤ夫妻の二つの歌が披露された。

人々が笑みを湛えて見送りしこふのとり今空に羽ばたく

飛びたちて大空にまふこふのとり仰ぎてをれば笑み栄えくる

コウノトリといえば「赤ちゃん」が思い浮かぶ。

かつて皇太子は「こうのとりのご機嫌にまかせて」という

言葉で皇太子妃の出産を語っていた。

いわば、今の皇室の中では「禁句」だ。

この言葉を二人が同時に歌に詠みこんだのである。

 

皇室に無関係な人達からすれば、それは他愛もない

めでたい歌にすぎなかったろう。

しかし、この歌を見たときの天皇・皇后・皇太子・皇太子妃の思いは

どんなであったか。

夫唱婦随の歌として冷静に感じた・・・・

なぜ今、そんな歌を・・・・

これは挑戦ではないのか?あるいは仕返し?

思いは様々に交錯していたが、当の宮も妃も穏やかな微笑みを

浮かべるだけだった。

 

神の手に導かれるような2首は、幸いなことに大事にはならなかった。

1月15日。

皇居では食事会が行われていた。

皇后の妹も息子、すなわち、甥の結婚を祝う為の食事会だった。

この結婚にはアキシノノミヤが仲立ちを務めていたため

皇居での大きな祝い事になったのだった。

ここには降下したサヤコ夫妻も招かれていた。

しかし、この席に皇太子夫妻はいなかった。

単なる親戚の結婚ではない。

キューピッドを務めたのが宮であることが問題だったのだ。

若い二人はそんな事は思いもせず、ひたすら宮に感謝した。

私達も二羽のコウノトリのように羽ばたきたい」と若い夫が言えば

お二人で同時に同じものを歌に詠めるなんて、以心伝心ですね。

私達もそれを目指します」と若い妻が言う。

内心、「余計な事を」と思いつつも皇后は微笑んでいた。

終始、笑顔で幸せな会食であった。

誰に遠慮する必要もない。

キコは相変わらずの気働きを見せていたが、連日の行事で疲れたのか

少し面やつれして見える。

それに気づいたサヤコがそそっと姉を化粧室に連れ出した。

お姉さま、お疲れなのじゃなくて?」

いいえ。大丈夫。ただちょっと・・・・」

ちょっと?」

「ううん。平気

二人はすぐに会食の場に戻っていった。

 

1月20日。国会ではコイズミが施政方針演説をしていた。

その中で「皇室典範の改正」に言及し、3月10日までに国会に

提出すると発言。

コイズミの強気な言葉の裏には大きな自信があった。

長子優先主義

・女帝・女系を認める事

これは天皇と皇后の「意思」であると。

どこからその自信がわいて出たのか。

それは盟友、宮内庁長官の言葉だった。

両陛下はアイコ様を天皇にしたいと思っている

男女平等、現憲法の精神にのっとればあたりまえの感情であると思えた。

ゆえにコイズミは単純に、本当に単純に典範改正を打ち勧めたのだ。

そこには2000年の伝統などなかった。

将来、天皇となる事が決定しているか否かでアイコ様の教育方法も

変わって来る。ゆえに早く立場を決めて差し上げたい」

と甘い言葉で女性達の心をつかみつつも、実は「これは政治だ」と思っていた。

今こそ、対抗勢力である保守派をつぶすチャンスなのだ。

 

それは最側近である官房長官も感じていた。

皇統を変える事の恐ろしさを総理は知らない。

何故に皇室が2000年も存続してきたのか。国民のDNAの中に

深く刻まれた民族的な思いを総理は全くわかっていないのだ。

官房長官は保守派として絶望の淵に立っていた。

どんなに「男系主義者」が騒いでも「憲法順守」「男女平等」を旗印に

騒ぐ彼らには通用しない。

そして大衆というのはわかりやすい方向に流れていくものなのだ。

 

神の手は差し伸べられるべき場所へ向かう。

偶然のように神風を起こすのだ。

しかし、まだ誰もその存在に気づいていなかった。

 

 

 

 

 

コメント (21)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする