ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
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演劇は死んでいない

2020-03-11 07:10:00 | つれづれ日記

 数ある批判の中、宝塚大劇場と東京宝塚劇場は上演を開始しました。

そういえば、3・11の時も数日休んだだけで自粛しなかったのでかなり批判され、生徒が募金箱を手に、組長が毎回挨拶をするということをやってましたね。

宝塚歌劇というのは特殊な劇団です。

公演スケジュールは毎年期間が決まっていて絶対に「延長」はいたしません。

ブロードウエイミュージカルはその逆でお客が入る限り上演し続けます。劇団四季も同じですよね。

でも宝塚は1か月かっきりです。たとえトップスターのさよなら公演で本人が病気の為に休演しても、2番手に代役をやらせても上演は止めないし、代替え公演も行いません。ものすごく残酷なシステムともいえます。

特に匠ひびきのさよなら公演の時や、その前の安寿ミラのさよなら公演の時など、トップも組子もファンも辛くてしかたなかったと思います。

最近ですと、紅ゆずるのさよなら公演が前楽が台風の為に中止になってしまった事があります。その時もファンとしては可哀想だし悲しいし悔しいし・・だからこそ、宝塚は何があっても上演しなくてはなりません。

今回、大劇場は礼真琴のお披露目公演でした。退団者もいるのでセレモニーをやらないわけにいかず、結果的にいきなり千秋楽になってしまったわけですね。

こういう特殊事情を抱える劇団もあり、その代わりといっては何ですがファンに求められる礼儀や倫理観も徹底しています。

一般の演劇ファンがみたら「何もそこまで」という程、しばりがきついんですよね。

ヅカからコロナを出したらファンの恥っ!くらいは思い詰めているんじゃないでしょうか?

さて、野田秀樹氏が劇場の閉鎖は「演劇の死」という言葉を使い反対しています。自分達が「身勝手な芸術家たち」と言われるのも嫌だ・・という風に。

元々、演劇人は左巻きの人が多くて、すぐに「権力に抑えつけられた」と思いがちです。戦争中の演劇に対する軍部の圧力を思い出すのかしら(経験してもいないのに)

でも、今回ばかりは私は野田氏の意見には反対です。

なぜなら、ライブハウスからクラスターが出たように、どう考えても小劇場では換気が悪い、人がひしめき合う・・感染するということが起きやすいからです。

しかも、ヅカファンのような徹底した「宝塚の為には命も捨てる」覚悟で劇場に来ている人はいないでしょう?

見に来た人がみな徹底した手洗い・マスク着用・アルコール消毒・ひしめきあわないという約束事を守れるのか、その保証があるのかという話。

宝塚のような「換気に努める」ことが出来るような劇場ならいいですけど、そんな所ばかりではないです。せっかく幕を開けても客が来なかったら何の意味もない。

確かに舞台人にとって、スタッフにとってキャストにとって今回のことは命とりになりますよね。特に舞台をやっている人のギャラは本当に少ないし、客席埋めてなんぼの世界だし。赤字を出したら次はないかもしれない。

そんな恐怖がつきまといます。

だけど「再演」は出来る。こんな事で演劇は死んだりしません。

もし野田氏の舞台でクラスターが起きたらそれこそマイナスイメージしか残りませんよ。コロナとの戦いは戦争と同じです。今の日本は「自由」という名の元に協力しなくてもいい自由ばかり主張するけど、それでは社会主義国に負けてしまうのです。

「お願い」「要請」だけでもちゃんと一斉に一致団結出来る所を見せないといけないのでは?

中国にマスク製造工場があるばかりに、せっかく生産させても入って来ない。それらはみな中国の店に並んでいる現実を日本の政府は認め、受け入れ、対策なり制裁なりを行うべきです。

中国依存症のツケは国民に跳ね返ってきています。企業はそれでも中国から撤退しないのでしょうか?

アメリカから散々批判された「ダイヤモンドプリンセス」ですが、その姉妹船のグランドプリンセスではもっとひどい事が起きているみたい。

延々と隔離したままだった日本に対するあてつけなのか、さっさと乗客を降ろし始めていますが大統領は「船に留めおきたかった」と言っています。

降ろして隔離してもクラスター発生のリスクは同じでは?

グランドプリンセスでは深刻な食糧不足が続いているようで、その事にびっくりです。

え?食料ってサラダだけ?腐った食料を配給された?今夜は食事なし?

そういうこと、少なくともダイヤモンドプリンセスでは起きませんでしたよね。

あの時、「政府が悪い!薬が!」とわめいておたおじいちゃん。かなり贅沢な不満だったんじゃありませんか?

 

 

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3・11によせて

2020-03-11 07:00:00 | つれづれ日記

 あれから9年ですか・・・本当に時が流れるのが早くて。

9年前の3月11日は関東も寒かった。あまりに揺れがひどくて外に出たら数分もいられなくて。それに持病のぜんそくが出てしまい、慌てて薬を飲みに帰る始末。自分はこういう予定外の事に弱いんだと実感した日でした。

あの時もスーパーで水や食料がなくなる事態が起きました。

缶詰などが倍額で売られていてびっくりしたり。ジュニアと姫が水を求めてあちこち歩いた事もありました。

当時、保育園の卒園式を迎えるルドルフ。無事に卒園式を迎えられるのかとびくびくしていたものです。そして今、卒業式は出来るけど省略形。入学式もどうなるか。つくづく気の毒な年代だなと思いました。

仙台にいる幼馴染たちに何もしてあげられず。無論、郡山宮夫妻にも電話するのが精一杯。安全圏にいることが罪悪感でした。

今もって劇場のロケットが苦手。なぜって床が揺れて怖いんですよ。3月19日に雪組を見に行った時も地震が起きて1階席だったからまだ耐えられたけど2階席だったらパニックを起こしていたんじゃないかと思います。

そして原発事故。民主党政権は最悪でしたね。今、安倍総理にあれこれ言える立場じゃないと思います。

あの時も東北では福島からの避難者を受け入れない・・・なんて事がありました。今は「関東人は来ないで」すっかり同じ。閉鎖的なのはいつまでも同じです。

冷静に見て、福島県の宣伝力の強さと宮城県の寡黙さが際立ったと思います。

元々福島県って会津若松を観光地として前面に打ち出し「我々は賊軍ではない」という主張を旨に、会津若松市そのものがまだ戊辰戦争から抜けてないと思わせる程の入れ込み具合なんですよね。鶴ヶ城を建て直したのも早かったし。

それに比べて宮城県って伊達政宗や青葉城があるにも関わらず、バス道路に案内図も出さないような土地柄だったんです。大河ドラマで「伊達政宗」をやってもなおそんな感じでした。

福島の「さすけねえ」「がんばっぺ」という合言葉や福島出身の俳優たちのアピール力がものすごくて、原発事故があった双葉町はすっかり悲劇の町になっています。

「原発でかなり町おこしになったのだ」といことを言った学者は消えましたし。

確かに原発事故はあってはならない事だったし、誰もそんな事を考えてもいなかった時代。それでもかなり東電からの恩恵は受けていた筈です。今もってその恩恵に与る人達もいます。

宮城県は三陸沖で40メートルもの津波に襲われて、町一つが丸々消えてしまう程の日を受けたのですけど、いつの間にか「3・11」というと「地震と原発事故」みたいなイメージになってませんか?

津波に襲われた街だけではなく、宮城県全体が、岩手も同じように被害を受けているのですけど・・・と思ってしまいます。

まあ、サンドウィッチマンのおかげで段々と宮城県にもスポットが当たってくれてありがたいけどね。

今も、当日の夜、真っ暗な体育館で放送局の明かりだけが頼りの避難者を思い出すと胸が痛みます。雪がひどく降っているのに、外のドラム缶で火をたいているだけ。生きていても地獄だったろうなと。私などきっとあの場にいたらすぐに肺炎を起こして死んでいたかもと思ってしまいます。

寡黙に耐え続ける東北の人達の心の強さには感服するところがあります。

そういえば岩手で津波の映像を見て「おーっ」といい、2度もリクエストしたおバカな皇太子夫妻がいましたっけね。

3・11の直後「雅子さまと愛子さまは無事」のテロップ、忘れません。

そして真っ先に被災地へ行くべき人がぐずぐずと行こうとしなかった事も。

4月に東宮御所でお楽しみ会をやったことも忘れませんからね。

 

9年目にコロナウィルスで式典がなくなるなんて思いもしませんでした。

何だか、令和の日本を見ないで済んだ人がちょっぴり羨ましい・・・このごろです。

でも忘れませんよ。あの日のこと。

地震の揺れがどんなに大きかったか。津波というのはあっという間に飲み込むものだということ、そして福島に住む郡山宮夫妻は9年経っても元気です。

アメリカのドラマでは「フクシマ」といえば放射能の別名で、ひどい言い方をされています。そんなドラマが多い中「HAWAII FIVE-O」だけは好意的に扱ってくれてありがたかったです。

コメント (2)
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