夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

私の住む街の学童たちのしぐさ、言葉に、この人生の微笑みを頂き・・。

2010-12-02 18:27:54 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活7年生の66歳の身であるが、
昨日、二回目の買物に出掛けて、帰路は川沿いの遊歩道を歩いた。

落葉樹が多く桜並木のような遊歩道であり、
紅色、朱紅色、朱色、黄色に深く染められた錦繍の情景であり、
たわわな葉は路上や周辺に落ち葉となっていが、三分ぐらいは枝に残り、
昼下がりの陽射しを受けていた・・。

そして空は青く澄み切って、秋日和の余情のような暖かさに恵まれて、
川べりは、ところどころ群生した薄(ススキ)の白い穂が、
陽射しを燦燦と受け、川面は鴨(かも)らが、たわむれるように遊泳していた。

遠方を眺めると、深く黄色いに染められた公孫樹(イチヨウ)の大木が観えて、
のどかな情景となっていた。

このような時、
《 学童が下校の時となりました・・みんなで~学童を・・護(まも)りましょう・・》
と私の住む街の調布警察署から、小学校の下校時に、街中に聞こえるように広報されている。

まもなく学童が数人グループ、或いは10人ぐらい群れて歩いてくるのが見えて、
それぞれ談笑を重ねながら、ときおり歓声もまじえて、歩いている。

そして、このグループから少し離れて、独りで歩いている小学生の男の子を見て、
私は苦笑したりした。

この後、自宅近くの道路の歩道を歩いていた時、
対向から学童の3年生ぐらい男の子ふたりが談笑しながら歩いてきたので、
私は歩道を少し避けたのである。
『ありがとう・・ございます・・』
とひとりの男の子が頭を少し下げて、私に云った。

私は思わず微笑させられたのである。
ふたりの男の子は、清潔感のある児で、礼儀もわきまえて折、私は好感したのである。
そして、この児の母親の情操教育の行き届いていることに、
この人生の微笑みを頂いたのである。


過日、私は庭の手入れをしていたが、
玄関庭の軒下で煙草を喫いながら休憩していた時、
門扉の前の歩道を何気なく見つめていた・・。

30代の小奇麗な女性が素敵なツー・ピースを召して、
高価なハンドバックを持ち、気品のある顔立ちをしていた。
この女性の後、五歩ぐらい遅れて、小学一年生ぐらいの男の子が、
ふてくされた様に不満げな表情でトボトボと歩いていた。
そして女性は立ち止まり、歩道の端で男の子に、
『どうしたの・・先ほどの買った物・・気にいらないの・・』
と半身をかがめて云っていた・・。

私は聴こえてしまったので、苦笑させられたのである。


私は高齢者の2年生で、66歳の身であるが、
私の小学生の頃が思い出されたのである・・。

私の農家の三男坊として生を受け、小学3年生の頃は、父が春先に病死し、
まもなく祖父も亡くなり、農家で大黒柱のふたりに死去されたので、没落しはじめたのである。
兄ふたりは学業が優等生であったが、私はいじけた劣等生であった。

可愛げない表情で、いつも薄汚れた身なりをして、
下校の時は、独りでトボトボと歩いていることが多かったのである。

そして心の中で、

♪笛にうかれて 逆立ちすれば
 山が見えます ふるさとの
 わたしゃ孤児(みなしご) 街道ぐらし

【 『越後獅子の唄』 作詞・西條八十、作曲・万城目正、唄・美空ひばり 】


私はラジオから聴こえてきたのを覚えて、この歌に魅了されて、唄っていた。
唄い終わると、何故かしら悲しくなり、涙を浮かべることが多かった。

そして、私が気分が良い時は、

♪私は街の子、田舎の子・・

【 『私は街の子』 作詞・藤浦 洸、作曲・上原げんと、唄・美空ひばり 】

と勝手に『私は街の子』を変更して、唄ったりしていた。


このようなことを想いだしたりしていたが、
あの頃からは、少なくとも55年以上の歳月が過ぎて、
社会は大きく変貌し、私は微苦笑しながら、学童たちの言葉、しぐさを見つめたりしていたのである。


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我がパソコン、苦闘の末、新装そっくりさんとなり、私は微苦笑を浮かべて・・。

2010-12-02 15:30:40 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活7年生の66歳の身であるが、
昨日、このサイトに、
【 ときには、パソコンの大掃除をして、私としては新たなる挑戦しており・・。 】
と題し、投稿文に綴った通り、
パソコンのハードディスクのデータ系のDドライブの指定された容量を縮小し、
その後にシステム系のCドライブの指定された容量を拡大した。

朝の10時過から午後の1時半過ぎまで、時間を要したが、
初めての体験であったので、ドキドキしながら作業をし、
先ほど、色々と確認作業を終えて、問題ないと思えて、安堵したところである。

そして、我がパソコンは新装そっくりさんのようになった、と私は微苦笑を浮かべたのである。


私が現在使用しているのは、『ウィンドウズ XP』が搭載された富士通のディスクトップであり、
2006(平成18)年の9月下旬に買い改めた機種である。

ディスプレイはこの当時の流行の20.1型のワイド画面のスーパーファインVXのハイビジョン対応であり、
CPUはインテルのデュアルコア、メモリは1GB、ハードディスクは400GB、ドライブはスーパーマルチ等で、
この当時としては、ある程度最強版となっていた。

しかしハードディスクは、システム系のCドライブは実質30GB、
データ系のDドライブは実質338GBの構成となっていたので、
Cドライブに関して、システム基本ソフト、私個人の有料ソフトを含め、
昨今の各ネット・サイトで色々な更新が加わってきたので、満杯近くになっているので、
今回の作業を昨日と本日で行ったのである。


私はパソコンの利用に関しては、
ブログ投稿文の作成、私が魅了された方たちのブログの拝読、各ネット・サイトの検索、
そして個人的な管理表ぐらいしか利用していないので、
最新のパソコンの買い換えるには、もったいない、と年金生活の私は感じ、
パソコンの技量初心者の私は、悪戦苦闘の末、今回の作業を試みたのである。

余談であるが、ディスクのバックアップとして、
DVD-RW(データ用の4.7GB 2~4倍速対応)を15枚ばかり買い求めたのであるが、
私の定年退職後の2004(平成16)年の秋の時代と比較して、価格は10分の1になった、
と余りの廉(やす)さに驚いたのである。
そして、今やブルー・ディスクの時代になった、と私としては未知の世界であるので、
苦笑をしたのは昨日であった。


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