♪♪あなた知ってる?~広島~

HP「広島ぶらり散歩」編集&更新の履歴ブログです。
広島市は“平和都市”のほか“水の都ひろしま”も推進しています。

番外:わが家のシンビジウム満開に

2019年03月31日 10時04分55秒 | いまだ初心園芸
咲きだしたころ温室から出して玄関の処に置きました。
(ので、アブラムシに蕾を食べられることもなく)
きれいな満開のシンビジウム(レモンアイス)になってくれたようです。



(わが家の)シンビジウム

3月31日(安芸区のわが家付近)天候:くもり

コメント (2)

新元号を再び予想する

2019年03月30日 17時27分00秒 | 雑関連
新元号「令和」に決定しましたね。
病院に行きスーパーで買い物、
帰宅した時は11:30を過ぎていました
もう発表になったかと思って上がると、女房が今からは票になるようだと。
ライブで、官房長官の発表を見ました。 (追記)


政府は平成に代わる新元号について、
4月1日に決定した後、11時半ごろ菅義偉官房長官が記者会見で発表するそうです。

報道を見聞きしていると現在一般に報道などで公表されている元号は採用されないということでした(ので)
昨年12月予想した「安久」はそういう意味で、不採用になりそうなので再考してみました。
明治M⇒大正T⇒昭和S⇒平成Hの次の年号は、違うアルファベットということから考査しました。

1)「仁保(にんほ、にほ*)」「仁授(にんじゅ)」
N 仁はと考えましたが、仁安、仁治、仁寿、仁和、仁平が既にあります。
  仁は「万物一体」と解釈するそうで、何事にも分断が進んでいる今の世には適しているかなと。
*わが市南区仁保(にほ)があるのでヒントを得たのです。

2)「建正(けんしょう、けんせい)」「建慶(けんきょう)」
K 建はと考えましたが、建治、建長、建徳、建仁、建保、建武が既にあります。
  正しいことがままならぬ今の世にしている総理大臣が談話を出す、痛快かなと

あさってには確実にわかりますが、敢えて考えてみました。


----------------------------
昨年12月中旬わたしは次のように新元号を予想していましたのが、

明治M⇒大正T⇒昭和S⇒平成Hの次の年号は何になるのでしょうかね。
平成の世には、戦争の時期はなかったというものの平穏には成らなくて災害が多かった時代だった様に感じています。

次の世は、安穏な時代になるといいのですが、ということで。
安Aからはじまる年代を予想したのですが、どうでしょうか。
いままであった安□ 年代は、
安永、安元、安政(1854-1860)、安貞、安和

安政から100年以上間隔があきますので、
新元号になってもいいのではと。
「安久」、「安観」、「安仁」、「安応」、「安授」
安穏久しく、安穏を観る、安穏に仁あり、安穏に応える
安穏を教授する

どういう新元号でしょうか?もうすぐにわかりますが。
コメント (4)

番外:わが家のツバキ咲く

2019年03月30日 09時02分14秒 | いまだ初心園芸
ソメイヨシノの開花や満開のニュースが盛んに報道されていますが。

山野辺のわが家のツバキ。
数年前の病気の後遺症でしょう茶色の葉っぱが多いので、ことしは蕾のままかなと思っていたら、例年のように咲いてくれました。



(わが家の)ツバキ

3月30日(安芸区のわが家付近)天候:くもり

コメント

佐伯区:(JR山陽本線)湯葢第4踏切

2019年03月29日 08時54分09秒 | 乗り物関連
佐伯区(さえきく)五日市1丁目と海老園(かいろうえん)2丁目を繋ぐJR山陽本線の「湯蓋(ゆぶた)第4踏切」です。
※(JR山陽本線と並行で走る)広島電鉄宮島線の踏切は「海老塩浜(踏切)」と名付けられています。

湯蓋踏切は、この辺りに残る民話“あまんじゃく”の主人公・湯葢道裕からとったものでしょう。
(裕編集の)民話:あまんじゃく


広電踏切:海老塩浜(踏切)


(裕編集の)(JR山陽本線)湯葢第4踏切

3月29日(安芸区のわが家付近)天候:くもり

コメント

中区:部隊跡記念樹碑(ノモンハン事件参加部隊跡碑)

2019年03月28日 08時55分00秒 | 軍都広島関連等
中区基町の広島城内堀・北側緑地帯に建立されている「部隊跡記念樹碑(ノモンハン事件参加部隊跡碑)」です。

ノモンハン事件は昭和14年5月~9月に
満州とモンゴルの国境ノモンハンで起こった日ソ両軍の国境紛争事件です。
8月ソ連空軍・機械化部隊の反撃によって壊滅的打撃を受けた日本軍の損害は大きく、全兵力約5万6000人のうち8440人戦死、死傷率は30%を超えたそうで(特に第23師団1万5000人の死傷者は実に1万2000人弱にのぼり)壊滅しました。


(裕編集の)部隊跡記念樹碑(ノモンハン事件参加部隊跡碑)

3月28日(安芸区のわが家付近)天候:くもり

コメント

中区:中国軍管区司令部の地下通信室・原爆被災説明板

2019年03月27日 11時25分09秒 | 被爆建造物等
中区基町の護国神社前南側に建立されている「中国軍管区司令部の地下通信室・原爆被災説明板」です。
 爆心地から約700m
(碑板が新しくなっていますが、説明文は旧板と同じです。)
『広島城とその周辺には、多くの軍事施設(中国軍管区司令部など)があり、
ここには半地下式の作戦司令室、通信室が設けられていました。
この通信室では、多くの軍人、軍属に混じって、学徒動員された比治山高等女学校の女(子)学生たちも働いていました。・・・
この軍事専用電話を使って、女(子)学生が広島の壊滅を通信しました。これが、広島の原爆被災の第一報といわれています。』


2007年8月6日撮影の旧説明板です。


(裕編集の)中国軍管区司令部の地下通信室・原爆被災説

3月27日(安芸区のわが家付近)天候:くもり

コメント (2)

広島湾:少年丸第三けいりん号が大型運搬船に衝突

2019年03月27日 08時37分26秒 | 乗り物関連
昨日TV・tssローカルニュースで知りました。
『3月26日午前7時50分ごろ、広島市南区の宇品灯台からおよそ1.7km離れた海上で、似島学園が所有する少年丸第3けいりん号の船長から「自動車運搬船の後部に衝突した」と通報があった。
少年丸第3けいりん号は、広島市の宇品港と似島学園を結ぶ旅客船で、船には船長のほか高校生1人が乗っていたが、けがはいなかった。広島海上保安部は事故の原因を詳しく調べている。』

上の画像は、
2015年10月10日、似島汽船上から(わたしが)撮影しました。
停泊中の自動車運搬船も写っていますので、このような状況で運行していたと思うのです。
船長(29)がよそ見していたとしてもどうして衝突したのかと思うニュースでしたので取り上げました。
そして頁を編集した時よくわからなかったこの船の所有者、
今回の事故で、似島学園が所有していることがわかりました。

(裕編集の)少年丸第三けいりん号
コメント

中区:中国軍管区司令部・第59軍司令部跡ほか・原爆被災説明板

2019年03月26日 08時12分49秒 | 被爆建造物等
中区基町の広島城公園に広島市によって建立されている「陸軍五師団兵営跡・原爆被災説明板」でした(が)。
※現在の新しい碑の碑銘が「中国軍管区司令部・第59軍司令部跡ほか・原爆被災説明板」になっています。
 爆心地から約400m~1,300m

*1945年6月12日に広島師管区(留守第5師団が管轄)司令部を中国軍管区司令部と改称して第59軍司令官藤井洋治中将が指揮し、天皇に直隷し中国地方の軍政を統括しました。
という歴史から
この原爆被災説明板の以前の名称の違いに気が付いたのでしょう、現在の長い碑銘に変えられています。

2003年5月8日撮影の旧板・原爆被災説明板


(裕編集の)中国軍管区司令部・第59軍司令部跡ほか

3月26日(安芸区のわが家付近)天候:くもり

コメント

中区:(NHK広島放送局)原爆死没者慰霊式展2016

2019年03月25日 12時01分16秒 | 原爆慰霊碑等
中区大手町のNHK放送センターの「広島中央放送局職員慰霊・原爆之碑」前で2016年8月6日催されていた慰霊式です。
撮影したままでしたので、(撮影し報道する立場のNHK、自身の慰霊式を撮影し報道することは無いでしょうから)いまになりましたが編集しました。
※2016年原爆忌、通称・平和記念式典が終わってから平和大通りを歩いているときに出会い、撮影しました。


2006年原爆忌の時は、慰霊祭の段取中を撮影していました。


(裕編集の)(広島中央放送局職員慰霊)慰霊式2016

3月25日(安芸区のわが家付近)天候:くもり

コメント

わがHP「鉄道の旅」の廃刊

2019年03月24日 20時33分56秒 | カテゴリー以外
2000年1月15日に
“無料のジオシティーズ”HPスペースを利用して開設した「鉄道の旅」です。
2019年3月31日をもってHPスペース提供が終了しますので、そのまま廃刊になります。

昨年になってことし3月いっぱいで無料HPスペース提供を終了するから引っ越していただきたいとメールで云ってきたのです。
『「2019年3月31日」をもってYahoo!ジオシティーズを終了することにいたしました。
引き続きホームページの公開をご希望の方は、
至急ホームページの移行を行ってくださいますようお願い申しあげます。』
と再度メールが入りましたが、
「國鐵の驛舍」は、広島ぶらり散歩の中に番外として編集したいとは思っていますが)
相当期間放置していましたので、このまま廃刊することにしていましたので、そのまま終了を迎えます。

面白い内容(記事)はありませんが、よければ見てやってください。
(廃刊予定の)鉄道の旅
コメント

中区:(平和大通りの)ベニバナトチノキ

2019年03月24日 08時49分43秒 | 雑関連
中区中島町の平和大通り南側緑地帯に植樹されている「ベニバナトチノキ」です。


2016年4月27日撮影

可愛くキレイだなと思って撮影したのですが、何の花かわからぬままだったのです。
ことしになって、NETで偶然にベニバナトチノキの花に出会い、似ているなと思ったのです。今になりましたが頁編集をしました。

(裕編集の)(平和大通りの)ベニバナトチノキ

3月24日(安芸区のわが家付近)天候:くもり

コメント

中区:被爆したアオギリ2019年3月17日

2019年03月23日 08時09分14秒 | 被爆樹木たち
中区中島町の平和記念公園に移植されている「被爆アオギリ2本」です。
※1945年8月6日当時基町の広島逓信局中庭(爆心地≒1,300m)で被爆しました。

3月17日(日)14時半過ぎでした。
日曜日だったからか、冬にしてはこのアオギリを見学する人もそれなりに居られました。
春の観光シーズンが近づいてきたのかと思ったりしました。

アオギリたちは、まだまだ春を感じてはいないようで新芽の蕾も小さく固いようでした。


19日に頁を編集していましたが、平和大通り芸術展が24日まででしたので、先に記事にしたので、今日になりました。
(裕編集の)被爆アオギリ2019年

3月23日(安芸区のわが家付近)天候:くもり


-----------------
明日(3月22日)午後広島さくらが開花したと宣言されました。
昨年と同じ、例年より5日はやいとか。

(裕編集)(広島)桜の標本木
コメント

中区:イサムノグチ:デザイン「AKARI」

2019年03月22日 08時02分23秒 | 野外彫刻等
平和大通り芸術展2019の中の作品のひとつで、
中区田中町のオリエンタルホテル広島に展示されているイサムノグチ:デザイン「AKARI」です。
※2019年2月23日から3月24日まで開催されます。


旧日銀広島支店でパンフレットをもらった時、ここオリエンタルホテルはチト離れているなと思いました。
また、イサム・ノグチということから現役作家の作品ではないなと思ったのですが、ここを省いては、“平和大通り芸術展2019”(概要)の頁編集にはならないと思い立ち寄り撮影し頁を編集しました。

(裕編集の)イサムノグチ(デザイン)「AKARI」

3月22日(安芸区のわが家付近)天候:くもり

コメント

中区:工藤理瑛作「保存された景色」

2019年03月21日 09時12分07秒 | 野外彫刻等
平和大通り芸術展2019の中の作品のひとつで、
広島市中区中町の三井ガーデンホテル広島に展示されている工藤理瑛作「保存された景色」です。
※2019年2月23日から3月24日まで開催されます。

この作品をみてすぐに気になったのは後ろ足の曲がりでした。
動物の行動についての専門的な知識はありませんが、雌が排尿する姿勢かな?と思って後ろからみましたが足を広げていないからそういう行動ではないな、それでは前足同様足を伸ばした姿勢が自然なのではと思ったのですが。

2011年安佐南区役所前庭に展示されていた工藤理恵作「空を飛ぶきもち」という作品を見ました。
2010年広島市立大学大学院芸術学研究科博士前期課程彫刻専攻とありましたので、
こんかいと同じ作者かと思うのですが“理恵”と“理瑛”、作風も変わった?

(裕編集の)工藤理瑛作「保存された景色」

3月21日(安芸区のわが家付近)天候:雨模様

コメント (4)

中区:MAYA MAXX作「わたしの光」

2019年03月20日 08時56分27秒 | 野外彫刻等
平和大通り芸術展2019の中の作品のひとつで、
中区中町のエビデンギャラリーに展示されている MAYA MAXX作「わたしの光」です。
※2019年2月23日から3月24日まで開催されます。

この作者のことは知らなかったし、
2008年から2017年まで8月6日にライブペインティングイベントを開催し広島に縁があっての今回の作品展示であったことも“平和大通り芸術展パンフレット”を見て知ったのです。

作品プレートにあった
『自分の中から溢れ出る光で輝く』
作者自身が活動しているから出る言葉なのだろうと、わたしにはまぶしい言葉でした。

(裕編集の)MAYA MAXX作「わたしの光」

3月20日(安芸区のわが家付近)天候:はれ

コメント (2)