♪♪あなた知ってる?~広島~

HP「広島ぶらり散歩」編集&更新の履歴ブログです。
広島市は“平和都市”のほか“水の都ひろしま”も推進しています。

番外:漢委奴國王金印發光之處・碑

2022年11月23日 08時42分24秒 | 何処へ行っても
福岡市東区志賀島字古戸(の金印公園)に建立されている「漢委奴国王金印発光之処・碑」です。
※当初金印発光推定地点に1922年3月漢委奴国王金印発光之処・碑が建立されています。
※題の揮毫者は黒田長成で、武谷水城撰によるものです。


金印出土場所は、
金印発光之処・碑の右斜め前(いまは海の中)の所と考えられています


2002年リニュアルされる前の金印公園の頁を編集する時、わたしは漠然とここ金印公園の何処から金印が出土したのだろうかと考えていました。
2008年更新した時やはり、発光之処・碑が建立されているところなのだろうと考えていました。
今(2022年)回、金印出土の場所を福岡市博物館資料やWikipediaを参照して考えてみました。
今回頁を編集しながら、金印公園に整備される前のこの場所のことなど(公園前の道路海側にも田圃や畑があったということなど)
この近くで育った妻に、色々と尋ねてみたいことが在ったな~といまになって思いながら尋ねることができないもどかしさで、頁を編集していったのです。
(裕編集の)漢委奴國王金印發光之處・碑

11月23日(安芸区のわが家付近)天候:あめ
17.0℃、61%

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番外:(金印公園)郭沫若・詩碑

2022年11月22日 08時50分05秒 | 何処へ行っても
福岡市東区志賀島字古戸の金印公園に建立されている「郭沫若・詩碑」です。

※ここ金印公園が2018年3月リニューアルオープンし、
この「郭沫若・詩碑」は‘交流広場’に再設置され、新しい説明板も設置されていました。

(交流広場に再設置された)
「郭沫若詩碑」と「楊尚昆詩碑」


2008年郭沫若(かく・まつじゃく)の名前をみたとき文化大革命の時代(わたしがまだ学生であった時)に聞いたことがある名前だなと思ったのです。
現代中国のことなど勉強したことはありませんが、なんとなく聞き覚えがあったのです。
2021年交流広場に設置され新しい説明板も設置されていました。
今回は、漢詩も読んでみましたが、理工系で育ったわたしですので間違いがあるかもしれませんとお断りをしての更新です。
(裕編集の)(金印公園)郭沫若・詩碑

11月22日(安芸区のわが家付近)天候:はれ
16.9℃、66%

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番外:(改修後の)金印公園

2022年11月21日 08時11分25秒 | 何処へ行っても
福岡市東区志賀島字古戸に設置されている「金印公園」です。
※国土交通省の資料によると公園面積は5,849㎡ある特殊公園で、1975年供用開始だそうです。

※2018年3月再整備工事が完了したそうです。

展望広場
(南向ですので博多湾越しに市中心部がみえます)


この公園を訪ねたのは、いまにして思えば公園供用になった1975年だったのです。
義父義母に挨拶に行き結婚の許可を得た後、金印公園に行ってみようと云われ歩いてきたのです。
リニュアル前を2002年に撮影して金印公園の頁を編集していました。

2021年義兄の四十九日法要前に妻の実家に立ちよった後、息子たちと訪ねてみたとき、
リニュアルされていたので、新しい金印公園の頁を編集したのです。
(裕編集の)金印公園-リニュアル後-

11月20日(安芸区のわが家付近)天候:(雨上がりの)はれ
16.1℃、58%

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番外:JR西戸崎駅

2022年11月15日 08時26分23秒 | 何処へ行っても
福岡県福岡市東区西戸崎に設置されているJR九州香椎線の「西戸崎駅」です。
※駅が開業した1908年当時は、糟屋郡志賀島村の駅でした。
※香椎線は、単線、非電化ですが蓄電池電車が運行しています。


終着駅の香椎線と引込線をみました。


2002年妻とこの駅に鉄道を利用してやってきて、義兄宅に行くので迎えに来てもらった時に撮影し、頁を編集しました。
コロナ禍の2021年コロナ禍でしたがその義兄の四十九日法要には出席しなくてはと息子運転の車で行きました。
法要が西戸崎の寺院・光西寺でしたので、西戸崎駅を撮影していましたので、頁を更新しました。
(裕編集の)JR西戸崎駅

11月15日(安芸区のわが家付近)天候:くもり気味
14.5℃、56%。

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番外:関門橋(の開通日)

2022年11月14日 09時17分49秒 | 何処へ行っても
関門橋、2021年(リフレッシュ工事中)を撮影しました。


関門大橋は、九州と本州(福岡県北九州市門司区と山口県下関市の間の関門海峡を跨ぐ)を結び1973年〔の今日(11月14日)という日に〕開通した道路橋です。
完成当時は東洋一(世界で10番目)の長大吊橋で、全長1,068mの吊り橋なのです。

2003年にデジカメで撮影し頁を編集しました(別頁ですが)。
妻運転の車、息子運転の車の中からも撮影していた関門橋でした。

コロナ禍の2021年は、義兄の葬儀には不義理だったので49日法要だけはと息子たちとこの橋を渡る前新しくなっていた壇ノ浦SAで撮影しました。
(ことしは、義姉の葬儀に伺わなければと息子たちとこの橋を渡りましたが、撮影はしなかったのです。)
2021年撮影時リフレッシュ工事中でしたので、最初に編集した概要頁とは別の頁で編集しました。
(裕編集の)関門橋-2021年(リフレッシュ工事中)

11月14日(安芸区のわが家付近)天候:はれ
18.4℃、60%。

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番外:宮地嶽神社の絵馬

2022年09月25日 08時43分57秒 | 何処へ行っても
福岡県宗像郡津屋崎町宮司に鎮座している「宮地嶽神社の絵馬」です。

ことし9月義姉の通夜の前に福岡市東区和白に住む義妹と参拝しました。
妻を喪っているいま、参拝しながら、(前回妻と参拝した2003年)当時は“撫で牛”像は奉納されていなかったな。
本殿前に“2羽のフクロウが(ゲージの中で)飼われていました”が当時フクロウはいなかったななどと思い出しながら参拝しました。
葬祭ですのでデジカメを持って行っていなかったので、参拝記念に絵馬を求めました。

(裕編集の)宮地嶽神社の絵馬
少しばかり収集している
(裕の)絵馬の収集

9月25日(安芸区のわが家付近)天候:くもり
21.8℃、60%。

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番外:宮地嶽神社‘光の道’は10月

2022年09月18日 07時51分36秒 | 何処へ行っても
福岡県福津市宮司元町に鎮座している「宮地嶽神社」です。
祭神:「息長足比売命 」別名「神功皇后」は第十四代仲哀天皇の后で応神天皇の母君にあたられます。
2月と10月に現れる光の道
(宮地浜の海に落ち行く夕陽が、鳥居や参道の先に真っ直ぐ沈み、神社と海岸、そして相之島が一直線で結ばれ、光の道になるそうです。)
義妹はジャニーズ・嵐で有名になったという”光の道”を知っていたので、携帯でこの構図でとお願いして撮影してもらった画像をもらったのです。

2022年9月コロナ禍の中でしたが妻の義姉葬祭出席で福岡市東区和白の義妹に世話になったのです。
妻と参拝したのは何時だったか思い出せなかったのですが、
(帰宅後HPをみて2003年でしたが)
久しぶり亡き妻と参拝した昔々を懐かしみながら参拝しました。
(裕編集の)宮地嶽神社

9月18日(安芸区のわが家付近)天候:くもり
28.4℃、73%。

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番外:錦帯橋

2022年02月16日 10時40分29秒 | 何処へ行っても
山口県岩国市岩国と横山を結び錦川の架橋されている「錦帯橋」です。
※5径間木造アーチ橋で全長193.3m、橋幅5.0mです。



2001年から2004年まで架替え工事を2002年から2004年にかけて各段階の工事中を撮影し頁を編集しました。
2005年第一橋の橋桁が流され復旧工事中を撮影し頁を編集していました。
それ以来、2020年暮れに久しぶりに撮影しましたので、頁を編集しました。
(裕編集の)錦帯橋2020年

2月16日(安芸区のわが家付近)天候:くもり

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番外:吉香公園内に建立の石碑たち

2022年02月15日 10時33分40秒 | 何処へ行っても
山口県岩国市横山の“吉香公園”に建立されている「岩国市民憲章」です。






 




















 




















 




 





 















は 















 




 





 














 

















 





















 












 
















































『合併5周年に向けて、新市としてこころをひとつにして岩国を築いていくためには、 私たち市民がふるさとを愛し、誇りを持ち、「市民参画」と「市民と行政による協働のまちづくり」をさらに進める必要があるため、平成23(2011)年1月1日に上記の市民憲章を制定しました。この市民憲章が、今後、市民の皆さんに広く親しまれるよう普及に努めてまいります。』と平成の大合併で市域を広げている岩国市は云っています。


おなじく、岩国市横山の“吉香公園”に建立されている「さくら名所100選の地」碑です。

平成2年3月31日財団法人日本さらの会 によって選ばれています。
桜の季節に撮影したわけではない画像で頁を編集しましたが、岩国市観光協会の画像をみると見事なサクラが紹介されていますのでお許し願っておきます。

(裕編集の)吉香公園建立の石碑

2月15日(安芸区のわが家付近)天候:くもり気味

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番外:下松市消火栓蓋

2022年02月01日 09時57分14秒 | 何処へ行っても
山口県下松市大字西豊井のJR下松駅広場でみた「下松市消火栓の蓋」です。

JR下松駅を撮影し、廻りをみるとこの消火栓の蓋をみました。
マンホール蓋は気が付かなかったのです。

各地の消火栓蓋の標準のデザインですが、
その蓋には、その市町の市章や町章が鋳込まれているのです。

下松市章

下松市のweb siteをみると市章のいわれがありましたので
『昭和15(1940)年7月19日議決下松市章次ノ如ク定ム
市章図案は、応募点数2,000点余より審査して定め、昭和15年第8回下松市議会において決定されました。
松葉で下松の「下」と、波静かな笠戸湾の波を表わし、丸く形どった円は、和を表わしています。』ということだそうです。

(裕編集の)下松市消火栓蓋

2月1日(安芸区のわが家付近)天候:(はれ)くもり


一年で一番寒い二月になりました。
巡回で来る灯油屋さんの灯油、@2,050円/18lと既に2千円の大台に突入しています。
値上がりばかりなのに年金はダウンだそうです。
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番外:山陽本線JR下松駅

2022年01月31日 10時46分30秒 | 何処へ行っても
山口県下松市大字西豊井に設置されている「JR下松駅」です。
※1897年開業したときは都濃郡(つのぐん)豊井村大字西豊井に位置する駅でした。

1965年現在の橋上駅になったそうです。

(南口)


下松市は、1939年11月3日に下松町+久保村+末武南村+花岡村=下松市が発足。
(裕編集の)JR下松駅

1月31日(安芸区のわが家付近)天候:はれ(洗濯日和)

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番外:島根県のマンホール蓋

2022年01月20日 08時53分58秒 | 何処へ行っても
島根県大田市大森町の大森銀山重要伝統的建造物群保存地区でみた「島根県のマンホール蓋」です。

大田市役所上下水道部下水道課の資料をみると銀山をテーマにしたマンホール蓋は無いようでした。
(裕編集の)島根県マンホール蓋

石見銀山に関する頁を編集し、このブログで紹介してきましたが、このマンホール蓋の頁でわずかばかりの編集頁は終わりです。
石見銀山についてはまだまだ分からないことだらけですが。
(裕編集の)「大田市大森町(石見銀山)」編

1月20日(安芸区のわが家付近)天候:小雨⇒くもり

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番外:大田市大森町の丸形ポスト

2022年01月19日 10時01分33秒 | 何処へ行っても
編集頁の一部


島根県大田市大森町の大森銀山重要伝統的建造物群保存地区でみた「丸形ポストたち」でした。

貸自転車で大森銀山重要伝統的建造物群保存地区を走りながら目に留まった丸形ポストたちを撮影しました。
重要伝統的建造物群保存地区の町並みにマッチするように(取集能率が悪いといわれていても)丸形ポストの設置になったと思いました。
そして、(息子と)自転車で走っていないところにも設置されているのだろうと思っています。

1日1回しかない取集でしたが、撮影できた取集中の郵便局員の方でした。


(裕編集の)大田市大森町の丸形ポスト

1月19日(安芸区のわが家付近)天候:はれ

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番外:(史跡石見銀山遺跡)代官所跡

2022年01月12日 10時13分43秒 | 何処へ行っても
島根県大田市大森町に残されている「(石見銀山遺跡の)代官所跡」です。
『石見銀山領の行政を司った国の史跡にも指定されている代官所跡です。
江戸時代、石見銀山は徳川幕府の直轄地となり、銀山とその周辺の統治を行ったこの代官所を中心に大森町が発展しました。
代官の責務は、税の支払い、法と秩序の維持、銀山の開発による産出量および効率の向上を確保することでした。』

※現在、“石見銀山資料館”として利用されています。
日本最初のマスク

復元した「福面」  製作者:中村朋子さん(大森町在住)

福山市文化振興課の資料を参照すると
『マスクを日本で最初に考案したのは、神辺町西中条に生まれた幕末の医師 宮太柱です。
江戸時代、幕府は財政・経済・外交にとって重要な金銀を確保するため、鉱山の開発を進めましたが、塵肺など鉱山病の問題が深刻化していました。
こうした中、大森代官から鉱山病対策を依頼された太柱は、1855年から1858年に 石見銀山で調査・研究に取り組み、「済生卑言(さいせいひげん)」という報告書にまとめました。
内容は坑毒の種別および鉱山病対策などについて詳しく述べたものです。
父子で発明した送風機により薬草を煮た蒸気を通気管で坑内へ注入したり、
考案したマスクを労働者に着用させたりするなど、当時とすれば画期的な対策が施されています。・・・・』

入場券売場の女性に展示されている中で、これは見逃さずに見ておかなくてはならない(展示)物は何でしょうか?と尋ねたのです。
コロナ禍で入館者が少なかったとはいえ親切な方で、日本最初のマスクである「福面」ということを教わり案内してもらいました。
教わらなかったら見逃していたことでしょう。

(裕編集の)(史跡石見銀山遺跡)代官所跡

1月12日(安芸区のわが家付近)天候:はれ(うっすら積雪あり)

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番外・石見銀山:高橋家

2022年01月11日 10時02分18秒 | 何処へ行っても
島根県大田市大森町に遺されている「高橋家(の住宅)」です。
※高橋家は石見銀山御料銀山町年寄山組頭を務めていた(そうです)。

設置の説明板には
『1839年ごろ、当家の高橋富三郎が町年寄山組頭を勤めたことが分かっている。
山組頭は、代官所と鉱山経営者である銀山師たちとの取次ぎなどを勤める役職で、銀山師の中から選ばれた。
また、町年寄は周囲に拡がっていた銀山経営に携わる人たちが住む町の運営に係る役職であった。・・・』とあります。

建物は木造2階建、切妻、桟瓦葺、腰壁は板張り、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ、1階部には格子戸があります。
“国指定史跡 高橋家”とありますが、
建物的というよりも、
御料銀山町年寄山組頭遺宅という面が史跡に指定された理由かなと(わたしは)思ったのですが。

(裕編集の)(石見銀山)高橋家

1月11日(安芸区のわが家付近)天候:雨模様

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