♪♪あなた知ってる?~広島~

HP「広島ぶらり散歩」編集&更新の履歴ブログです。
広島市は“平和都市”のほか“水の都ひろしま”も推進しています。

広島県女性総合センター

2011年12月31日 19時13分19秒 | 建物等
婦人の文化と教養を高め、婦人の社会的地位の向上を図ることを目的とした施設は、広島県では1951年広島県婦人連合会によって婦人活動の拠点として広島県婦人会館が広島市中区富士見町設置されました。
現在は婦人という云い方ではなく女性という呼び方で、広島県女性総合センターとして1988年建替えられました。
2008年7月交流ウォークの時撮影して頁を編集しました。
今年北面を撮影し画像を追加して、建物の用途も見学時頂いた資料などを参考に追記しました。

2011年は科学万能ではない事、安全神話といわれるものは人間が作り上げたものであったことを思い知らされた年だったように(わたしは)思い返しています。
男はどう転んでもこどもを産み慈しみ育てるという事は、お母さんのようにはできはしないと・・・
今年のこのブログの最後の記事は、女性にかかわるこの記事で終わります。
被爆したお袋は、99歳になりました。わたしをみても自分が生んだ息子という事が一致しないようなのですが、「来る年も健康でいてね」と云ってきましたが。

広島県女性総合センター

広島ぶらり散歩「建物」編

広島ぶらり散歩
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番外:北野天満宮

2011年12月31日 09時51分58秒 | 何処へ行っても
北野天満宮の主祭神は菅原道真公(845-903)で、
平安時代中頃・天暦元年京都に住む多治比文子や近江国・比良宮の神主神良種、北野朝日寺の僧・最珍らが、京都市上京区馬喰町に神殿を建てたのが始まりとされるそうです。
三大天満宮のひとつと云われている北野天満宮の頁をやっと編集しました。

北野天満宮

太宰府天満宮
防府天満宮

12月31日(広島市安芸区のわが家の溜水に)氷はる 天候 :晴れ

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(似島臨海少年自然の家・展示)被爆した遺品

2011年12月30日 13時44分05秒 | 軍都広島関連等
広島市南区の似島臨海少年自然の家に展示されている(被爆した)遺品は、硝子ケースの中に展示されており、うまく撮影できませんでしたが、あなたも機会があったらぜひ見学され、原爆で起きた出来事について考えてみていただければと思い頁を編集して紹介していました。
2010年10月再び訪ね、撮影しました。
原爆資料館(広島平和記念資料館)から貸与されていると思った、被爆した財布や貨幣なども撮影しましたので、2011年の今になりましたが頁を更新しました。

似島臨海少年自然の家・展示の被爆した遺品

広島ぶらり散歩「似島」編
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似島(燃料貯蔵施設)軍用桟橋跡

2011年12月30日 08時32分24秒 | 軍都広島関連等
広島市南区役所地域振興課発行「南区回遊ルートマップ14」を見ていた時
「燃料貯蔵施設桟橋跡」の記述がありましたので、2010年2月撮影して頁を編集したのです。
それから、10月になって2度ほど撮影していたのです。
一度は、満潮時で、この桟橋跡は海の中に沈んで見えませんでしたが、もう一度はここで紹介する画像でした。
戦前の燃料は石炭だったのか船積みの石炭を掴んでいたのかと思う横たわったバケットがみえましたので撮影していました。2011年のいまになりましたが画像追加しました。

(似島)燃料貯蔵施設桟橋跡

広島ぶらり散歩「軍都・廣島関連施設戦跡など」編

12月30日天候 :曇り

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野田正明作:疾風 フラッシュバック

2011年12月29日 13時27分15秒 | 野外彫刻等
中國新聞に『福山市出身、米ニューヨーク在住の美術家野田正明さん(61)が制作した屋外彫刻が3月25日、広島市南区の比治山公園にある「彫刻の丘」に設置され、除幕式があった。・・・』とありました。
脇田愛二郎作:「ねじられた錆の柱」が無くなったので、淋しく思っていた彫刻の丘に作品が増えた(といっても以前と同じ三作品ですが)事を知りました。

野田正明作:疾風フラッシュバック

広島ぶらり散歩「野外彫刻など」編
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(比治山公園)彫刻の丘

2011年12月29日 09時53分40秒 | 野外彫刻等
広島市南区の比治山公園に彫刻の丘と名付けられた場所があります。
以前は、澄川喜一作:安芸の翼、脇田愛二郎作:ねじられた錆の柱、新宮晋作品:私たちの星の三作品が展示されていましたが、2008年11月交流ウォークの時に「ねじられた錆の柱」が無くなって(2作品になって)いる事に気が付きました。

今年3月中國新聞にここ比治山の‘彫刻の丘’に野田正明作:疾風フラッシュバックが建立された事を知りましたので、撮影に行かなくてはと思っていたのです。
HPを引越したりしてなかなか再編集できませんでしたが、今回2011年7月現在の画像を追加し再編集しました。

(比治山公園)彫刻の丘

広島ぶらり散歩「(南区)比治山公園附近」

12月29日(わが家溜水に)薄氷がはっていました。天候 :うす曇り

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中区:江波皿山公園

2011年12月28日 15時43分13秒 | 公園・緑地等
ことしは、インフォシークがHPスペースの提供を来年5月にはやめると云ってきましたので、仕方なくFC2のHPスペースに引越をしました。
その折、広島ぶらり散歩「高所からみる広島市街地」編を新しく編集する事にしました。
広島市は大雑把に云うと太田川河口に埋立で開けてきた町で、平地が少ないのですが、場所によっては高台から、市街地が見降ろせるのです。
まだまだ撮影した画像はあると思うのですが、探せなかったりで、一覧画像の頁(は数も少ないからではあるのですが)を編集するには至っていません。
ここ(広島市中区の)江波皿山は、昔は広島湾に浮かんだ島だったと聞きます。
そこからみた広島市市街地の画像を追加しました。

江波皿山公園

広島ぶらり散歩「高所からみる広島市街地」編
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広島はつかいち大橋

2011年12月28日 10時37分29秒 | 橋梁
2008年廿日市市原の極楽寺からこの「広島はつかいち大橋」を見下ろして遠景だけの画像ですが頁を編集しました。
2010年広島市南区の似島の下高山(といっても203mの里山です)に登った時にみえていましたので撮影していました。
撮影画像を整理している今になりましたが、画像を追加して頁を更新しました。
これで「広島はつかいち大橋」を南側から北側からみた事になりました。

広島はつかいち大橋

広島ぶらり散歩「広島の橋」編

12月28日天候 :(朝のうち)晴れ→曇り


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連絡船:第八こふじ

2011年12月27日 19時15分15秒 | 乗り物関連
年末になると、
いままで撮影したまま頁を編集していないもの、編集した頁の画像の不足分を撮影したつもりのものをふり返る(わたしな)ので、時間差がある記事がこれから出てきますので、よろしくお願いいたします。

この『第八こふじ』は、(広島市南区)宇品と(同じ南区ですが広島湾沖合の)似島を連絡するフェリーなのです。
現在、通常時は、『第十こふじ』が、就航しています。
緊急時、第十こふじの定期検査時などでの就航を受け持っているのが『第八こふじ』のようです、昨年になりましたが、2010年10月に似島に行った時は、この第八こふじでしたので撮影していました。2011年の今になりましたが画像を追加しました。

第八こふじ

第八こふじとは違う“両頭船”
第十こふじ

広島ぶらり散歩「乗り物」編
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(広島市保存樹13)中野7丁目のイチョウ

2011年12月27日 09時09分01秒 | 旧瀬野川町附近
この広島市保存樹13は、旧山陽道沿いに位置し2005年にみて頁を編集していた広島市保存樹11から少しばかり旧山陽道を瀬野町の方に行ったところに位置していますが、今まで気が付かなかったのです。
広島市の資料をみて、地図で確認してからわが家から自転車で訪ねましたが、近くに来て背が高いイチョウだなとすぐにわかりました。
ギンナンが落ちていましたので、雌木で、近づいてみると、垂れ乳があるイチョウの木でした。

中野7丁目のイチョウ(広島市保存樹13)

広島ぶらり散歩「わが町(旧・瀬野川町)附近」編

12月27日(わが家の溜水に)氷がはった朝でした。天候 :曇り


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岡本太郎マネキン

2011年12月26日 22時37分26秒 | 雑関連
広島パルコ、岡本太郎生誕100年企画展の入場口の処に展示されていました。
(わたしに比べても)小さな像でしたが岡本太郎等身大のマネキンとありました。
TVなどでしかみたことがありませんでしたが、小柄な人だったことをこの像で(わたしは)はじめて知りました。
このマネキンは、マネキン制作会社・七彩が岡本太郎にモデルになってほしいと要請し、岡本は裸で大きな容器にすっぽりと入り、周りから樹脂を流し込み、直接岡本太郎本人から型を取らせたそうで、しわや指紋までも忠実に再現されたマネキンだそうです。

岡本太郎(岡本太郎生誕100年企画展にて)

広島ぶらり散歩「野外彫刻など」編
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アビの剥製

2011年12月26日 17時01分30秒 | 雑関連
アビは、広島県の県鳥です。
南区の似島臨海少年自然の家の1階ロビーの少し高いところにこのアビの剥製が展示されていたことに気が付いたので以前撮影し頁を編集していました。
昨年に再度撮影していました。今頃になりましたが、画像を追加した頁に更新しました。

広島県県鳥 アビの剥製

広島ぶらり散歩「似島」編
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(山陽本線)花立跨線人道橋

2011年12月26日 08時52分30秒 | 旧瀬野川町附近
わが町の事なのに、この跨線橋の事を知りませんでした。
わが町(JR中野東駅~JR瀬野駅)の山陽本線沿いの事を思い出し、跨線橋が必要な地形を考えれば中野7丁目、広島国際学院大学から瀬野駅側だなと思ったのですが、
9月中國新聞をみてすぐに行けば解体工事にかかる前の跨線橋を撮影できたのでしょうが、
すでに解体工事がはじまっている処でしたが、撮影しました。
すでに解体工事にかかっていましたので、跨線橋上で明治時代のレールらしきものを探せませんでしたし、解体前の姿を撮影していなかったのは残念というしかはありませんでした。

(山陽本線)花立跨線人道橋

広島ぶらり散歩「わが町(旧・瀬野川町)附近」編

年の瀬も迫ってきた今になりましたが、久しぶりにカテゴリー「わが旧瀬野川町附近」の記事を書きました。

12月26日(わが家の溜水に)氷がはった朝でした。天候 :曇り

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岡本太郎作:太陽の塔(1/50雛形)

2011年12月25日 16時36分15秒 | 野外彫刻等
「太陽の塔」そのものは、1970年に大阪府吹田市で開催された日本万国博覧会の会場に、岡本太郎が制作した芸術作品であり建造物です。
太陽の塔は、大阪万博のテーマ館のシンボルとして建造され、万博終了後も引き続き万博記念公園に残されています。
「太陽の塔1/50雛形」が展示されていました。
ただ会場が狭かったからでしょうが、後ろ側(黒い太陽)をみることができい展示になっていたのは残念なことでした。
この紹介でわたしが広島パルコ会場で撮影した「岡本太郎生誕100年企画展」での岡本太郎作品の紹介は終わりですが、
国内唯一のモニュメント「生命の樹」、「坐ることを拒否する椅子」などの作品は是非ご自分の目で見ていただければと思っています(余計なことで出しゃばったことでしょうが、26日までですので)。

岡本太郎作:太陽の塔1/50雛形

広島ぶらり散歩「野外彫刻など」編
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もずくの碑

2011年12月25日 09時50分03秒 | 各種記念碑等
呉市倉橋町桂浜を散策中みたのがこの「堀榮助頌徳碑」でした。
その後散策して桂浜神社に行こうとした時にみたのがここで取り上げた「もずくの碑」でした。
根際に碑文石が建っていましたので読むと堀榮助が、昭和35年建立した事がわかりました。
碑文にある戦時中の食糧難に貢献した「もずく」の採取に努めた人物だった事がわかり、もずくの碑の前にみた堀榮助頌徳碑との繋がりがわかりました。

もずくの碑、堀榮助頌徳碑

広島ぶらり散歩「呉市」編

12月25日(広島市安芸区のわが家)薄氷がはっていた朝でした。天候 :曇り

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