♪♪あなた知ってる?~広島~

HP「広島ぶらり散歩」編集&更新の履歴ブログです。
広島市は“平和都市”のほか“水の都ひろしま”も推進しています。

南区:(源光院の)兵部卿のお墓

2006年05月31日 14時49分47秒 | 神社寺院等
亡き親父のお墓がある浄土宗の源光院
彼岸の中日にはだいたいお墓参りに行っていたのですが
この兵部卿のお墓(平成11年=1999年改葬されたという)に気がついたのは最近だったのです。


浅野長矩(ながのり)、普段は内匠頭(たくみのかみ)と呼ばれていたそうですが、その正室の阿久里(姫)は兵部卿の孫に当たる、
少しばかりわかってきましたので再編集しました。

(源光院の)兵部卿のお墓
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東区:大石内蔵助父子供養墓

2006年05月31日 14時08分10秒 | 神社寺院等
大石内蔵助父子・供養墓
わざわざ・を入れることはなかったのでタイトルには入れていませんが、
お墓は泉岳寺にあるのですからこちらは供養墓となっているのでしょう。

大石内蔵助父子と広島のつながりが少しばかりわかってきましたが、
なぜ聖光寺かはまだまだ、
元禄14(1701)年赤穂浪士討ち入り後、寺坂吉右衛門が仇討成就の知らせを国元の広島藩浅野家に報告し、持ち帰った大石内蔵助父子の遺髪を浅野家の菩提寺・国泰寺に葬って欲しいと申し出たが科人(とがにん)故浅野家は遠慮し瑞川寺に葬ることになったと伝えられ、お寺には大石内蔵助父子の供養墓があると聞きますが。

(聖光寺の)大石内蔵助父子供養墓
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大石良雄二女浅野直道内室のお墓

2006年05月31日 11時25分36秒 | 雑関連
西区三滝の三滝墓苑に大石良雄二女浅野直道内室之墓があります。
交流ウォークのときに教えていただいたのですが、
大石良雄、通称:内蔵助の次女の墓がと思っていたのです。

最近になって少しずつ知ってきているのです。
分家にあたる赤穂藩主・浅野長矩(ながのり、1667-1701)が刃傷事件を起こすに至ったが、本家広島藩はこの事件への関与を極力避け累が及ばないようにしたということは知っていたのですが、
大石内蔵助の三男・大三郎など赤穂藩の旧臣を召し抱え救済措置を講じていることを、
その大三郎について妻・りくも広島に来たことを。

(三滝墓苑)大石良雄二女浅野直道内室之墓


大石良雄(夫)りく(妻)、主税(長男)吉千代(次男)大三郎(三男)くう(長女)るり(次女)
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赤穂義士木像

2006年05月31日 10時52分18秒 | 被爆建造物等
 ときは梅雨間近・・・深々と降る雪の季節ではないのですが・・・

『二葉の里歴史の散歩道』の中の明星院本堂内陣の赤穂義士木像です。
明治時代の作といわれており原爆による焼失を免れ今日に至っています。

いままでわたしは広島本家と赤穂浅野分家としか知らなかったので
広島浅野藩と赤穂浅野藩の関係図を作成してみました。

いままで拡大画像を掲載していなかった木像を掲載しました。

(明星院の)赤穂義士木像




歴代広島城主
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古屋地橋

2006年05月30日 15時21分44秒 | 旧瀬野川町附近
瀬野川上流域に架かったこの古屋地橋は、2号線からほんの僅か入った橋です。
国道2号線の喧騒からすると極端に静寂で川の流れがうるさくさえ感じる中にたたずむ橋でした。
瀬野川をここまで遡ってきましたが、重量制限の道路標識がある橋はこれが始めてだったようにおもいました。

古屋地橋

わが町附近をぶらり散歩一覧
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吾輩は猫も知らず・・・

2006年05月29日 22時58分42秒 | 雑関連
盥漱石
なんと読むかは別にしてこの石の役割は画像からおわかりになるでしょう。

まず、盥という字は以前わが町の日吉神社で澡盥という文字をみて
漢和辞典を引いて知っていましたのでわかりましたが、次の字がわかりませんでした。

最近わたしの常用辞書となった、三省堂・新漢和中辞典で
盥の字を引くと、
盥嗽(カンソウ)手を洗い口をすすぐがある、最初そうかと思ったのですが、
どうみても口へんではないなさんずいだな~と漱かなと
漱の字を同じく引くとあるある、盥漱(カンソウ)と・・・

盥漱石・・・ウウ~~ン・・・漱石
夏目漱石という小説家がいたなと
間抜けなわたしを丸出しです。
名前の由来をご存じない方は編集頁を見てやってください。

盥漱石

(洞景山)聖光寺

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吾唯知足(吾唯足知)

2006年05月29日 10時19分37秒 | 各種記念碑等
“二葉の里歴史の散歩道”中の聖光寺(東区山根町)にある判じ文字。

お釈迦様の悟りの中にあるという『吾れ唯足りることを知る』の言葉であるそうです。
お釈迦様の足元にも遠く及ばないわたしですが肝に銘じる言葉なのです。

判じ文字(吾唯足知)

聖光寺

広島の神社仏閣一覧
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大山橋

2006年05月29日 00時20分25秒 | 旧瀬野川町附近
瀬野川上流域に架かったこの大山橋は、2号線上の橋です。
交通量も多く、重量の重い車も通るからか橋桁の大きさが目に付きました。

大山橋

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平和記念公園2006年5月

2006年05月28日 18時25分34秒 | 平和記念公園
広島平和記念資料館・西館、本川に架橋の(向こう)空鞘橋(手前隠れ気味)相生橋、原爆ドーム

広島市役所屋上から平和記念公園方向をみました。


裕編集の平和記念公園
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番外:アロエベラ

2006年05月28日 10時36分47秒 | いまだ初心園芸
今頃になると黄色い花をつけるアロエ・ベラ、
ことしもつぼみが大きくなってきました。
どうも縦長な構図になるので最近は撮影していませんでしたがことしは撮影してみようと。

わが家のアロエ・ベラ

貴方もできる鉢物園芸
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宮の谷橋

2006年05月28日 06時20分28秒 | 旧瀬野川町附近
瀬野川に架かるこの宮の谷橋、この橋も橋脚がなく両岸が支点になった1スッパンの橋です。
橋の名前からお宮さんが近くにあるのかと地図をみました、そのものずばりの名前の神社、宮之谷神社が近くに鎮座していました。

宮の谷橋

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東区:広島東照宮・手水舎

2006年05月27日 14時08分07秒 | 神社寺院等
手水舎は、なんとなくわかる。
『てみずしゃ』と読むのだろうなといままで思っていたのです。
辞書を引いてみるとこれがまず『ちょうずや』とよんでいる、説明文の中で『てみずや』ともいうと
てみずしゃではなかったのだな~と妙に寒心していたのですが。
(財)広島市文化財団文化科学部文化財課の資料をみれば『てみずしゃ』となっていました。

裕編集の広島東照宮・手水舎


この手水舎の蟇股中央の円の中に「波に兎」の図を描かれているという、
蟇股?「波に兎」?
裕編集の広島東照宮・手水舎の頁でみていただければ・・・
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東区:広島東照宮・御供所

2006年05月27日 11時32分39秒 | 神社寺院等
説明板の御供所が目に入りました。
意味はなんとなくお供えする前のお供え物をおいているところかな~とおもったのですが、
またまた恥ずかしいことに読み方は??と
辞書を見れば社寺に付属した、神に供える酒食を調えるための場所。と・・・
広島市重要有形文化財に指定されている、広島東照宮・御供所なる建物もあったのかと


広島東照宮・御供所
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東区:広島東照宮・唐門

2006年05月27日 09時55分43秒 | 神社寺院等
神社仏閣をお参りしていてまず由来がわかればとおもい、
次にその建物自体の名称がわかればとおもい、
その建物に附随している部分の名称がわかればとおもうのですが、これがなかなか難しい。

広島東照宮、初詣で何度がお参りしているのですが・・・
由来は神社の名前からなんとなくわかっていたのです。
次に原爆によって焼失をまぬがれた『唐門』あることを知る、
その向唐門は広島市重要有形文化財に指定されている。
唐門?
向唐門?平唐門?
専門家にならなくても、少しの知識で興味が少しばかりわいてくる。

広島東照宮・唐門、翼廊
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番外:わずかでも朝顔

2006年05月26日 08時48分29秒 | いまだ初心園芸
やはり夏の朝は朝顔がつきもの
やっとことしも朝顔栽培の段取りをしようと種を水につけました。
毎年種類が少なくなってきていますが、新しい種は購入せずに、
ことしも時津風、暁の紫、福岡の3種類です。

時津風2004  

暁の紫2004
  
福岡2004

2005年朝顔栽培
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