♪♪あなた知ってる?~広島~

HP「広島ぶらり散歩」編集&更新の履歴ブログです。
広島市は“平和都市”のほか“水の都ひろしま”も推進しています。

安佐北区:(JR可部駅西口広場)樫の木

2014年09月30日 08時37分06秒 | 雑関連
江戸時代から大正期にかけ広島の名産だった山繭織のことをわたしは知らなかったのです。
2010年になってここ可部の街をぶらりした時に山繭(やままゆ)のことを知り、広島市郷土資料館で山繭織のことを知ったのです。
山繭織は可部町、安佐町を中心とした地域で近世以降、盛んに生産されました。
明治初め評判が高まり、特に可部の街は機械織り工場、問屋、染物屋などで栄えましたが、山繭織は昭和初期には全くその姿を消してしまうという歴史があるのです。
JR可部駅西口広場に葉っぱが山繭の餌つなる樫の木が植えられています。

(可部駅西口広場)樫の木

広島ぶらり散歩「旧(安佐郡)可部町」編

9月30日(安芸区のわが家付近)天候 :くもり


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安佐北区:西村醤油本店

2014年09月29日 07時52分01秒 | 雑関連
安佐北区の可部盆地は温暖な気候と中国山地の豊かな水に恵まれていることにより醸造の町にもなっています。
西村醤油本店は、資料によると『平成2年には創業200年を迎え、アメリカ合衆国へも輸出したといわれる醤油製造業の老舗。』だそうです。

西村醤油本店

広島ぶらり散歩旧(安佐郡)可部町」編

9月29日(安芸区のわが家付近)天候 :はれ



※日本醤油協会は『もともとしょうゆ醸造と関係の深い10月の1日を平成14年から「醤油の日」とすることにした。』そうです。
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安佐北区:(可部の民家)汲み取り便所

2014年09月28日 13時37分36秒 | 建物等
わたしが子どもの頃は汲み取り便所(いわゆるポットン便所)しかない時代だったのですが、今も見かけることもあります。
そしてぶらり散歩した時に使用することもありますが、下水道が整備されていない地域でも浄化槽を設け水洗便所が多くなっているのではないのでしょうか。
ここ安佐北区可部の民家の便所窓をみると面格子のいまどきでは見られない細工に目が行きました。真鍮製?の針金で細工されているように思いましたが。

(可部の民家)汲み取り便所

広島ぶらり散歩「建物など」編

9月28日(安芸区のわが家付近)天候 :はれ

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中区:(被爆した講堂鉄骨で作られた)千田小学校の飼育館

2014年09月27日 08時01分24秒 | 被爆建造物等
千田国民学校講堂は、1929年鉄骨造平屋建で竣工しています。
1945年8月6日米軍投下の原爆で焼け残った講堂鉄骨はそのままの状態で、
1956年6月にその残った鉄骨を再生利用して飼育舎が造られたそうです。

2011年、広島平和記念資料館平成23年度企画展「こどもたちの見た戦争」をみていて展示パネルに
ここで取り上げた千田小学校(被爆当時・千田国民学校)の被爆被災した講堂のパネルがありました。2014年のいまになりましたが、その画像を加え頁を更新しました。

(被爆講堂鉄骨で作られた)千田小・飼育館

広島ぶらり散歩「被爆した建物・構築物」編

9月27日(安芸区のわが家付近)天候 :くもり

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中区:千田国民学校原爆犠牲教師と学童追憶之碑

2014年09月26日 09時53分26秒 | 原爆慰霊碑等
1945年4月集団学童疎開がはじまり、7月2日第2次集団疎開が出発していたものの、
ここ千田国民学校では、
8月6日の原爆投下により教師3名、児童41名が犠牲になったそうです。
2003年頁を編集してから10年ほど過ぎましたので、ことし内容を見直し、画像を増やし頁を再編集しました。

千田国民学校原爆犠牲教師と学童追憶之碑

広島ぶらり散歩「原爆関連慰霊碑等巡り」編

9月26日(安芸区のわが家付近)天候 :はれ

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中区:舟入第二公園

2014年09月25日 07時58分09秒 | 公園・緑地等
中区の舟入第二公園は、舟入小学校の北側に位置しています。
(児童)公園部とグラウンド部があり、公衆トイレも設置され、公園部にはブランコ、滑り台、ジャングルジムなどの遊戯と砂場があります。
公園内にあった水準点標石は、すでに頁を編集していましたが、公園自体の頁を編集していないままでしたので、いまになりましたが、頁を編集しました。

舟入第二公園

広島ぶらり散歩「広島の公園」編

9月25日(安芸区のわが家付近)天候 :くもり

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西区:(空港通り)一本松

2014年09月24日 08時32分59秒 | 雑関連
現在は西区空港通りにありますが、
(いまは埋立てられていますが)旧・福島川の左岸に植えられていたのかなと思いましたが、帰宅後地図をみると少しばかり離れているようですので違っていました。
空港通りの街路樹としてはチト違う大きさで目立ちますので取り上げました。

(西区・空港通り)一本松

広島ぶらり散歩「植物」編

9月24日(安芸区のわが家付近)天候 :くもり

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中区:(舟入南の)法輪寺

2014年09月23日 08時44分59秒 | 神社寺院等
中区舟入南の法輪寺は、浄土真宗木辺派のお寺として、ここ舟入南に1949年創建されたお寺だそうです。
山号については、いまのわたしにはわかりません。
広島(安芸国)では、浄土真宗と云えば、本願寺派が大多数を占めています。
大谷派のお寺もそこここに建立されてはいますが、やはり浄土真宗のお寺を訪ねれば本願寺派のお寺かと思うわたしですので、このお寺もそうかなと思っていましたが木辺派のお寺でした。

(舟入南の)法輪寺

広島ぶらり散歩「神社寺院など」編

9月23日(安芸区のわが家付近)天候 :はれ

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中区:(披雲山)唯信寺

2014年09月22日 08時20分42秒 | 神社寺院等
中区舟入南にある浄土真宗本願寺派のお寺、唯信寺です。
資料によると、1929年頃創建されたそうです。
1991年に再建されたというRC造の近代的なお寺だな~と撮影していた時、
お寺の方に声をかけていただき、コンピューターシステムの納骨堂などを案内してしていただきました。

(披雲山)唯信寺

広島ぶらり散歩「神社寺院など」編

9月22日(安芸区のわが家付近)天候 :うすくもり

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天満川:昭和大橋

2014年09月21日 08時33分50秒 | 橋梁
天満川にかかる昭和大橋です。
2005年この昭和大橋の頁を編集する時には天満川最下流に架かる橋としていました。
しかし、ことし3月23日(広島高速3号線)観音大橋が開通しましたので、いまでは最下流の橋ではありません。

(最下流に架かる観音大橋の橋脚工事の時には撮影していましたが、完成してから撮影していませんので、先日撮影に行ったのですがまだ編集はしていません。)
撮影に行く前にこの昭和大橋の頁を再編集していました。

昭和大橋

「広島の橋」編

9月21日(安芸区のわが家付近)天候 :はれ

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中区:(広島電鉄)カープ電車2014年

2014年09月20日 17時46分17秒 | 乗り物関連
フレ~~フレ~~カープ!!
ここにきて、ずるずると負け癖をつけてはダメよ、クライマックスが控えているのだからね。

ことしは年初めから腰痛で、外出は控えていますので、
広島赤十字病院での定期検査でやって来た9月11日、広電電停すぐの交差点で「広島駅行き(広電)カープ電車」をみたので、慌ててデジカメで撮影しました。
いい日になったと思っていたら定期検診が終わってから帰る時にもみて、また撮影することができました。

(広島電鉄)カープ電車2014年

広島ぶらり散歩「広島カープ関連」編
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広島市電気用マンホール蓋

2014年09月20日 07時29分37秒 | マンホール蓋
わたしが見てきた、広島市電気用マンホール蓋としては11種類目のマンホール蓋です。

以前撮影していた画像をぼちぼち整理しているのですが、
このマンホール蓋は、中区吉島の街でみて撮影していたものです。

広島市電気用マンホール蓋

広島ぶらり散歩「マンホール蓋」編

9月20日(安芸区のわが家付近)天候 :くもり

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広島市水道局:仕切弁マンホール蓋

2014年09月19日 09時46分26秒 | マンホール蓋
わたしがみてきた広島市水道局の仕切弁マンホール蓋としては今回紹介したもので3種類目、
広島市水道局のマンホール蓋としては24種類目のマンホール蓋です。

以前撮影していた画像をぼちぼち整理しているのですが、
このマンホール蓋は、安佐北区可部の街でみて撮影していたものです。

水道局のマンホール蓋ではありませんが、先日、中区江波に行った時、国土交通省と鋳込まれたマンホール蓋をはじめてみましたみました。

広島市水道局用マンホール蓋

広島ぶらり散歩「マンホール蓋」編

9月19日(安芸区のわが家付近)天候 :くもり

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西区:八幡川放水路竣工記念碑

2014年09月18日 19時11分57秒 | 各種記念碑等
この「八幡川放水路竣工記念碑」の根際に
“(八幡川中小河川改修工事連絡協議会会長)銘記板 ”が設置されています。
『・・・この工事の呑口部が住宅密集地であることと放水路トンネルが住宅団地の直下を通ることから、地元としては、騒音、振動、交通事故、地盤沈下等、一抹の不安をかくせなかったのです。
関係団体の代表者によって工事連絡協議会を結成し、この工事の施行に伴う苦情等の総合調整をはかり、工事の円滑な推進に寄与しました。』と記してありました。

八幡川放水路竣工記念碑

広島ぶらり散歩「水関連」編
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西区:八幡川トンネル放水路(呑口)

2014年09月18日 08時48分52秒 | 雑関連
己斐上付近は住宅地として急激に開発が進み、その結果八幡川・川口部に於いて浸水等の被害が頻発していました。
その浸水等の被害から守るため、
八幡川上流部で流量を制限し、バイパストンネルで太田川放水路へ直接放流することを広島県は決定し、
1977年度から着工、約11年の歳月と67億円余の工事費を投じ1989年に完成したのがこの「八幡川トンネル放水路」でした。

今回の広島土砂災害の検証はこれからでしょうが、被災者の方々に寄り添った施策を望みながらこの頁を編集しました。

八幡川トンネル放水路

広島ぶらり散歩「水関連」編

9月18日(安芸区のわが家付近)天候 :くもり


--2022年5月27日追記--
5月16日に“5年に一度の点検業務段取作業中に作業員2人死亡”の重大事故が起きました。
中國新聞報道で重大事故続報を知りました。
『2022年5月26日午後3時過ぎ、高所作業車・トラックの撤去が行われた。
広島市西区己斐上でクレーン付きトラックが高所作業車を吊り下ろす際に2台とも転落し、作業員2人が死亡した事故で、高所作業車はクレーンが耐えられる重さを超えており、トラックがバランスを崩したとみられることが5月26日、広島県などへの取材で分かった。
広島県警は業者が安全対策を怠った可能性があるとみて、業務上過失致死の疑いで捜査している。
県によると、事故を起こした坂町の業者は「リース会社から借りた高所作業車が想定より重かった」などと説明。
作業員が安全な範囲を超えてクレーンを操作していた可能性もあるという。
県は5月26日、転落した2台の撤去を開始。高所作業車と、切断したトラックの荷台部分を大型クレーンで引き上げた。作業は5月28日に終える予定という。』という報道でした。
-私見-
中國新聞のこの記事には動画がある事を知りみました。
クレーン付きトラックとはユニック車であり、このユニック車に高所作業車を積んできて、備え付けのユニックで約17m下に降ろそうとしたようで、高所作業車は上下式で(より重たい)アームを延ばす事が出来る高所作業車ではなかった(ことが動画でわかりました)。
点検業務を請負った業者は
上下式の小型高所作業車なので、ユニックで降ろせと(費用的にも安く済むので)ユニックで降ろせる重量のチェックもなく簡単に考え、手配したのではないのでしょうか?
ユニックで降ろせる物は軽量な物なので、(軽量と思っても)高所作業車(なのだから)の重量をチェックし、その重量を作業半径内(降ろす場所)に降ろせるクレーン車を別に依頼し、高所作業車を降ろすように手配しなくてはならなかった責任があったのではないのでしょうか。
新聞報道を読むと亡くなった下請け作業員に責任を転嫁するようにも読めましたので、敢えてわたしの見解を上記のように述べました。
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