あんたはすごい! 水本爽涼
第百五十八回
「別に、どうでもよかったんですけどね。いつやら、みかんへ連れてってもらったことがあったでしょ。その時の話を思い出し、課長、いや、部長にお話した方がいいだろう…と思ったんですよ。それも、急にそうせずにはいられない気分になりまして…」
恐らくは、玉が児島君に霊力を送ったに違いない…と、私は思った。
「それで、ここへ話しに来てくれたって訳か…」
「はい。まあ、そうなります」
「いや、態々(わざわざ)、有難う。実はこちらも、いろいろ起きてるんだ、お告げとかね。君が信じるかどうかは分からんが…」
「信じますよ、もちろん…」
児島君は私に合わせたが、部長に昇進した私に媚(こ)びるとい風ではなく、本当にそう思っているようだった。
「君も課長になって忙(いそが)しい時だろうに、すまないな。つまらんことで迷惑をかけたようだ…」
「いいえ~、部長がそう気にされることはないと思います。私だって、これを持ってるんですから…。云わば、仲間のようなもんじゃないですか」
児島君は背広の内ポケットから小玉を取り出してそう云った。その小玉は、二人でみかんへ行った折り、ママが沼澤氏の置いていった小箱から一ヶ、児島君へ渡したものだった。
残月剣 -秘抄- 水本爽涼
《惜別》第三回
「案ずるな、大事ない…。そのような大声を出さず、落ちつけ。少し、疲れただけのことじゃ。それよりもその方(ほう)ここへ参ったからには、剣の工夫が成ったと見えるが…」
「はい! 今日は、先生にひと目、ご覧戴きたく、罷り越した次第でございます」
「そうであったか…。では見てとらす故、障子戸、板戸を開け放ち、庭へ出るがよい」
「はい!」
左馬介は、ふたたび幻妙斎の操り木偶となり、障子戸と板戸を次々に開け放っていった。すると、たちまち、屋外の朝焼けが部屋へと射し込み、辺りは行灯の灯りがいらぬ程の明るさとなった。ひと通り開け放った後、左馬介は庭へと降りた。勿論、草鞋(わらじ)は入口で脱いで上がったのだから、裸足である。足元の冷えは修練で鍛えられてはいるが、やはり冬場故に地面は冷たく、どこか、ぎこちない。それでも、今はそんな悠長なことを云ってはいられない。幻妙斎に見分して貰える唯一の機会だからだ。というのも、この先、果してこうした機会に恵まれる可能性は、僅かに残されているとしか左馬介には思えなかったのである。無論、幻妙斎の年齢や体調を慮(おもんばか)ってのことだ。