水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

スピン・オフ小説 あんたはすごい! (第百六十五回)

2010年12月08日 00時00分02秒 | #小説
  あんたはすごい!    水本爽涼
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                     
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              
    
第百六十五回
「どうしたんだい? こんな早くから…。なにか急な問題でも起こったのかね?」
「いえ、そういうことではないのですが、実は昨夜、国会議員の煮付(につけ)代議士から俄かな電話がありまして…」
「煮付議員って、あの政府要人の煮付さんかね? …ほう、まあ、そちらでゆっくり聞こうじゃないか」
 鍋下(なべした)専務は椅子から立ち上がると、前方にある応接セットを指さしてそう云った。私は云われるまま応接セットへ近づき、腰を下ろした。専務も私の対面へゆったりと座った。
「君は煮付さんをよく知ってると見えるね。向こうから電話をかけてこられるんだから…」
「はい、まあ…。学校の先輩後輩の間柄でして、何かとお世話になった方です」
「先輩か…。それで、内容は?」
「それなんですが、政府主導の農業プロジェクトに我が社も参画願えないか、というものでして、詳細は、これをお読み戴ければ…」
 昨夜、煮付先輩の電話を聞いたあと、眠気(ねむけ)を我慢してPC入力した書類を、私は鍋下専務に手渡した。専務は座席まで一端、老眼鏡を取りに行ったあと、ふたたび戻り、応接セットへ腰を下ろして書類に目を通した。しばらくの時が流れ、黙読を終えた専務は、私の顔を老眼鏡越しに静かに見た。

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残月剣 -秘抄- 《惜別》第十回

2010年12月08日 00時00分00秒 | #小説

        残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《惜別》第十回

天井板の節目に樋口の笑顔がふと浮かび、何とも歯痒い左馬介であった。次に樋口が道場へ寄った折りは、恐らく幻妙斎の言伝を左馬介に伝える為による時だろうから、それでは遅かりし由良介だからな…と、左馬介は思った。何が何でも、それ迄には一度、樋口に会わねば…とも思えた。何故、遅かりし由良介…の一節が左馬介の胸中に浮かんだのかと云えば、それは父の清志郎が大層、歌舞いていたからである。扶持米が年、二十八両相当ばかりの秋月家で、父が僅かずつ蓄えた金で芝居見物に度々、出かけたのだ。その出しものの中の忠臣蔵の一節を、よく口走っていたので、いつの間にか左馬介の心の奥底に染みついていたと、まあそういうことである。それは扠(さて)置き、樋口にこちらから会える何らかのいい手立てはないものだろうか…と、ふたたび左馬介は巡り始めた。葛西代官所の樋口半太夫に頼んだとしても、無理な話に思える。いくら親子だとはいえ、代官職の半太夫が子で影番の静山を呼び戻せるとも思えなかった。 いつの間に眠ってしまったのだろうか…。身体の冷えで目覚めれば、もう既に昼前になっているようだった。左馬介は急激に空腹感に苛(さいな)まれた。昼餉は握り飯なのだが、冬場の今は炭火で焼いて食べるのが、ここ最近の通例となっている。小人数の門弟になったこともあった。


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