あんたはすごい! 水本爽涼
第百七十三回
「上手いこと云うなあ、早希ちゃんは」
やんわりと私は返した。
「あまり気にされない方がいいですよ。こんなのは、ほんのプロローグに過ぎないのですから…」
「…と、いいますと?」
「ええ、そのことなんですがね。今後、もっと大きなことが起こるでしょう。このことは以前にも云いましたが、私が予想して云ってる訳じゃなく、玉のお告げなんですよ」
「そんなことを云われれば余計、気になりますよ、沼澤さん」
「おお、これは迂闊(うかつ)でした、私としたことが…。しかし、起こることはほとんどがよい話ですから、ご安心を」
「まあね、そう云って戴けると、私も…」
事実、この時の私は、沼澤氏に慰められ、気にするという心は失せていた。
ママがシェーカーからワイングラスへ注(そそ)ぎ入れたマティ-ニを、沼澤氏は美味そうにひと口やった。私の方も早希ちゃんが作ったダブルの水割りをチビリとひと口、喉に流し入れた。
「なんか、面白くなってきたわ…」
ママがポツリと口を挟んだ。興味本位で云われちゃ困るな…と、私は思った。
「それより、お店の方は変わったこととか、ありませんか?」
沼澤氏が唐突にママへ問いかけた。
残月剣 -秘抄- 水本爽涼
《惜別》第十八回
左馬介は権十の住処(すみか)を知らない。だが、葛西ではその名の知れた権十のことである。地の孰(いず)れかの百姓に訊けば、労せず辿れるだろうと左馬介は踏んでいた。その通り、左馬介が葛西村のとある百姓の家で訊ねると、一も二もなく権十の家は知れた。左馬介は教えられた道順を進んで、漸くその百姓が云った円広寺近くの家屋へ行き着いた。家屋といっても、それは名ばかりで、今にも崩れ落ちそうな茅葺(かやぶ)き屋根の、あばら屋であった。
「頼もう!」
粗末な戸口の前で、ひと言、左馬介は声を張り上げた。
「はい、どちらさまで…」
口調より、武家と分かったのであろう。内から、目上の者に返す声がした。
「堀川の秋月です。少しお話ししたき儀があり、罷り越した次第!」
「へえ、この儂(わし)風情に、何の話でございましょう。よくは分かりませねど、まあ、入って下さいやし。むせえ所で申し訳ありませんがの…」
「さようか。…では、御免!」
左馬介は幾分、話し言葉を整えて対していたが、権十の了解が出たので中へ入ることにした。