幽霊パッション 第三章 水本爽涼
第四十八回
『記憶が残っておれば厄介なことになるのでは…』
『ははは…、そのようなことを心配せずともよいわ。ただちに、とは申さぬが、首が座り、一、二年も歳月を重ねれば、自然と忘れさろうよ』
幽霊平林は厳かな霊界番人の声を、ひれ伏した平伏姿勢のまま聞き入っていた。
『あの…、ひとつだけ、お教え下さい。課長と僕、いえ私は、今の程度のことを目指せばいいのでしょうか?』
『ああ、そうだ。余り深く考えない方がいいであろうよ。などと云ってはいるが、結論をお出しになるのは霊界司様だから、そうだとは断言しかねるがのう。まあ、儂(わし)の勘じゃて、はっはっはっ…』
光輪が霊界番人の笑いとともに、幾らか微動したように幽霊平林には思えた。それは、平伏姿勢のまま上目遣(づか)いにチラッ! と見上げた瞬間だった。
『分かりました。課長と、いろいろ考えて、やってみます』
『ああ、それがよかろう。ではのう…。そうそう、これは儂のみの言葉だが、奮闘を祈っておる。わはははは…、どうも情が移っていかん、いかん』
霊界番人の声は、光輪の眩(まばゆ)さが薄れて上方へ消えていくにつれ、小さくなっていった。
次の朝、幽霊平林は霊界番人の言葉を伝えようと、上山の家へ現れた。まだ早暁で、辺りは未だ薄暗かった。当然、上山はベッドで寝息をたてていた。幽霊平林に刹那(せつな)、思えたのは、無理に起こすほどのことではない、ということである。過去に、こういうことが何度かあったから、要領みたいなものが備わっている。で、幽霊平林は、しばらく辺りを漂うことにした。時が巡れば、上山も目覚める。態々(わざわざ)、起こして疎(うと)まれる心配もなくなるのだ。スゥ~っと壁を透過して家の外庭へ出ると、やがて明けようとする朱と水色を混ぜたような空に、下弦の月が煌々と輝いていた。