幽霊パッション 第三章 水本爽涼
第二十九回
列車が駅構内へ静かに止まると、上山は、「水、清ければ魚、棲(す)まず、か…」と、呟くように吐き捨て、座席を立った。
その日は仕事が手につかない上山だった。幽霊平林とこれから何をすればいいのか…と、このことばかりが頭を離れない。
「課長! どうかされたんですか?」
上山が課長席に座り、ふと我に帰ると、目の前には岬が立っていた。
「んっ! ああ、岬君か。何だね?」
「いや、いつでもよかったんですが…。妻が課長に、よろしくと云っていたもんで、忘れないうちに云っておこうと思いまして…」
「おお、そうか…。元気かい、亜沙美君、いや奥さんは?」
「はい、お蔭様で…。育児が大変ですが、頑張ってるようですよ」
「ほお、それはよかった…」
上山は、幽霊平林とのことなど、すっかり忘れていた。
岬が自席へ戻ったとき、上山は、ふと時計を見た。知らない間に十一時は、もう疾(と)うに過ぎていた。その時、上山の心に、考えるでなく、ある想いが巡った。人はなぜ機械を使うのか…。もちろんそれは、人が快適で便利な暮らしを育(はぐく)むためのものである。だが、今の世界の趨勢(すうせい)からして、果してそれが快適な暮らしを育むことになっているのだろうか…と。怠惰になるだけの、快楽を得るためだけの、自然を破壊するためだけの…道具になり下がっていはいないだろうか…と。だとすれば、人間はそれに気づき、地球上、唯一の考える葦として、全生命を代表する責務を果たさねばならないのではないか。霊界のお偉方が云っていた社会悪を滅するとは、正にそれではないだろうか…と。上山の思考は巡っていった。だから、机上のやっている仕事は形ばかりで、決裁印も無意識で押していた。