長年の間、村人に馴(な)れ慕われた祠(ほこら)が小じんまりとした森の中にあった。その祠には誰が連れ込んだのか、一匹の山羊(やぎ)が放たれていた。祠へ参る人々は誰彼となくお参り帰りに、その山羊に餌を与えていたから、飢(う)え死ぬということはなかった。参った人が去ろうとすると、妙なことに『うめぇ~な』と語りかける声が後ろから聞こえた。人々はその都度、振り向きはしたが、辺(あた)りに人がいる訳もなく、そのまま訝(いぶか)しげに帰っていった。そんな日が続いたが、山羊は森から消えることはなかった。どういう訳か、村には吉事が続いた。
ある日、祠の前を通る小道が広げられることになり、祠は少しぱかり動かされることになった。少しとはいえ、約1Kmは離れたところだった。
小道の拡幅計画は隣町との連絡道を通すことで行き来しやすくする・・との思惑で決まった。工事が始まると同時に、山羊の姿は忽然(こつぜん)、と消えた。この不可解な出来事に、人々はなにかの祟(たた)りではないかと怖(おそ)れた。幸い、何事もなく工事は無事に終わり、森は消滅した。
移された祠の横には一本の小高い木があった。祠は、その木の下に隠れるように安置された。それまでとは違い、人々が祠の前を通ることは少なくなったが、それでも野良仕事のついでには時折り、お参りする人もいた。
あるとき、野良仕事を終えた村の男が祠へお参りし、山羊がいることに、ふと気づいた。あの森にいた山羊だった。その山羊が祠のすぐ後ろで草を食(は)んでいるではないか。村の男は驚いた。手に持っていた野菜をやると、美味(うま)そうに食べた。男が山羊の頭を撫(な)で、戻(もど)ろうとすると、『うめぇ~な』と後ろで声がした。男は足を止めたが、過去にもそんなことはあったから、男は振り向くことなく、そのまま歩き始めた。
『うめぇ~な …さらばっ!』
「あいよっ!」
男は思わず返し、んっ? と振り向いた。山羊の姿は消えていた。そんな馬鹿な! と男はゾクッ! っと寒けを覚えた。
その後、村では不幸が相次ぐようになった。山羊は森を守る神の使いだったのである。
完