通勤帰り、電車を降りると、いつもの無人改札を通り抜けた脇山は、踏切を横切ろうと無意識に駅を出た。カン!カン!カン!…と叩(たた)くような金属音が鳴り、踏切警報機が赤く点滅を繰り返した。今降りた電車が目の前を通り過ぎる間、脇山は虚(うつ)ろに踏切が上がるのを待った。轟音(ごうおん)とともに電車が目の前を通過し、数人の知らない人とともに脇山は踏切を横切った。
しばらく歩いていると、これもいつも通って下さいとばかりに待ちかまえる橋が現れた。かさかけ橋だった。もう、とっぷりと日は暮れ、辺(あた)りは、すっかり暗くなっていた。橋を渡ろうとし、脇山はおやっ? と思った。朝、通った時は見かけなかった一本の傘が、外灯に照らされ橋の渡り口の欄干(らんかん)にかかっていた。脇山は、橋の名の通りだ…と、ふと思った。なぜ、かさかけ橋の名がついたのかという謂(いわ)れを脇山は知らなかった。欄干にかかった傘を見て見ぬ振りをし、脇山は橋を渡り始めた。不思議なことに、そのときザァーっと雨が降り始めた。雨具を持っていない脇山は、立ち止まった。今、見て見ぬ振りをして通り過ぎた渡り口の欄干には、どうぞ! とばかりに傘がかかっているのだ。ずぶ濡れになる訳にもいかず、脇山は傘を借用することにし、Uタ-ンした。雨は激しさを増した。傘をさし、橋を渡り終え、脇山は無事に家へ戻(もど)ることが出来た。誰かがかけた傘なら…という後ろめたい気持が起き、脇山はその傘を手に、家の傘をさして家を出た。掛かっていた欄干へその傘をかけると、脇山は家へ戻(もど)った。その後、やや小降りになったが、夜になっても雨はやむことなく降り続き、朝となった。
脇山はいつものように通勤でかさかけ橋を渡っていた。橋を渡り終えると、昨日(きのう)返した傘が消えていることに脇山は気づいた。脇山は、やはり誰かの傘だったんだ、返してよかった…と素直に思いながら駅へと歩を進めた。そして、その日は何ごともなく家へと戻り一日が終わった。
その次の日の帰り道である。橋を渡ろうとした脇山は、またおやっ? と思った。一昨日(おととい)の傘がかかっているではないか。朝にはかかっていなかったのだ。それでもまあ、そんな偶然もあるさ…と気に留めず、脇山は橋を渡り始めた。不思議なことに、そのときまた、ザァーっと雨が降り始めた。一昨日もこうだったぞ…と脇山はふたたぴの偶然に少し怖(こわ)くなった。繰り返しでまた傘を使うのは憚(はばか)られた。脇山はずぶ濡れになりながら家へと急ぎ、辿(たど)りつくように戻った。そして着替え、その日も終わった。
その翌朝、脇山は橋を渡って駅へ向かっていた。そして、おやっ? とまた思った。昨日の傘は使われなかったのか、そのまま欄干にかかっていた。朝のことだから、そう恐怖心も起こらず、ふ~ん…と脇山は駅へ向かった。
帰り道、傘はまだ橋の渡り口の欄干にかかったままだった。脇山は目を伏せ、傘を見ないようにして橋を渡った。橋の半(なか)ばへ来たときまた、ザァーっと雨が降り始めた。脇山は怖くなり駆け出していた。そのとき、後ろで小さな声がした。
『お待ちくださぁ~~い』
脇山は、ゾォ~っと身の毛がよだったが、駆けながら思わず振り返っていた。かかっていた傘が駆けて橋を渡り、脇山の方へ近づいてくるではないか。脇山はワァ~~っと叫びながら、走っていた。かさかけ橋という名の謂れは、傘が欄干にかけられた橋ではなく、傘が駆けだす橋という意味だった。
完