業務一課長の丹羽取(にわとり)は会社内で他の社員達から変人 扱(あつか)いされていた。というのも、丹羽取には、いつの頃からか見えないあるモノが見えるようになったからである。そのモノとは、さ迷う自縛霊だった。その霊達は、いつも丹羽取に見えた訳ではない。丹羽取をとり囲む周囲の状況が一定の条件になったときのみだった。
「コケさん、どうされました?」
会社で唯一(ゆいいつ)のよき理解者である隣(となり)の業務二課の係長、戸坂(とさか)が浮かない顔をしている丹羽取に近づいて言った。コケさん、とは、戸坂だけが呼ぶ丹羽取の呼称だった。丹羽取→にわとり→コケコッコ~→コケとなった訳だ。
「ああ、戸坂君か。今日もダメだった。完璧(かんぺき)に、しどろもどろさ。どうも上手(うま)く話せなくてね…」
偶然、出会ったトイレの化粧室で、丹羽取は戸坂に、そう返した。この日のプレゼンテーションで重要な取引先の役員の前で説明に立った丹羽取は、多くの人の気配に我を失い、活舌(かつぜつ)が、しどろもどろになってしまったのである。丹羽取をとり囲む周囲の状況の一定の条件とは、5人以上の場所に存在することだった。4人までなら自縛霊は見えず落ちつけたが、5人以上は無理だった。課内は多くの課員がいたから、当然、丹羽取の目に映る課内は自縛霊が飛び交っていた。丹羽取が課員と話すと、『ほら、君の右耳に今、噛(か)みついたよ…』とも言えず、しどろもどろの会話となり、要領を得ず、相手を気まずくさせた。だから、丹羽取にとって人混みのする場所は会社に限らずアウトだったのである。丹羽取は社内の休憩時間を解放された時間のように感じていた。そんな丹羽取を理解してくれたのが、後輩社員の戸坂という訳だ。というより、丹羽取は戸坂が手放せなかった。鶏(ニワトリ)に鶏冠(トサカ)は付きもの・・ということだ。戸坂が現れると、どういう訳かあれだけ飛び交っていた自縛霊が消え去るのである。だが、課が違う戸坂と社内行動を共にすることは出来ない。丹羽取は社長の浮来(ふらい)に異動を頼もうとした。
「なにかね、私に直接の頼みとは?」
社長室へ呼ばれた丹羽取は社長席の前に立っていた。幸い、社長室は2人だ。しどろもどろにだけはならずに話せそうだった。
「突然の話で恐縮なのですが、私と戸坂君を同じ課にしていただけないでしょうか」
「戸坂君と? なぜかね?」
妙なことを言うな…という怪訝(けげん)な顔つきで浮来は丹羽取を見た。丹羽取としては、自縛霊を見えなくするためです…とも言えず、「それは…」と、口 籠(ごも)った。
「そんなことは、社長といえど簡単には出来んよ。人事部を通してもらいたい」
浮来は丹羽取の頼みを一蹴(いっしゅう)した。鶏がフライにされたのだった。丹羽取が課へ戻(もど)ると、飛び交うすべての自縛霊が笑っていた。自縛霊達は突然、飛び交うのをやめると丹羽取に一礼し、忽然(こつぜん)と消え去った。その後、二度と自縛霊が丹羽取の前へ現れることはなかった。丹羽取は社内の変人扱いと、しどろもどろな会話から解放され、美味(おい)しそうに笑った。
完