また暑い夏がやってきた…と、牛窪(うしくぼ)は、テンションを下げていた。朝の10時を過ぎると、もうムッ! とする熱気が覆(おお)い、牛窪を慌(あわ)てさせるのだった。渡り廊下のガラス戸から見上げた空がギラついて青く輝いていた。牛窪の足はその光を感じた途端、冷蔵庫へと動いていた。尋常の暑がりではない牛窪にとって、アイス・ボックスは欠かせない必需品だったのである。肩から下げるのが癖になるほど、いつも夏場は持ち歩いているアイス・ボックスに氷を詰(つ)めねばならないのだ。詰めないで出かければ、それは牛窪にとって死を意味した。牛窪は30分以上、25℃以上の高温下では行動できない体質だった。もし30分以上、動いたとすれば、おそらく熱中症以前に身体が拒否反応を起こし、ショック死することは目に見えていた。一度、学生時代、そういう事態になり、病院へ搬送された牛窪は、奇跡的に一命を取りとめたのだった。それ以降、アイス・ボックスは牛窪の必需品となったのである。
ある日、そんな牛窪が妙な出来事に遭遇(そうぐう)した。
「あれっ? ここに置いたアイス・ボックス知らないか?!」
こんなことは初めてだったからか、牛窪は少し興奮して叫んでいた。
「知らないわよ!」
妻の洋子は慌(あわ)てて台所から玄関へ出てきた。洋子はもちろん、牛窪の異常体質を知っていた。二人は家中を探し回ったが、とうとう昼までにアイス・ボックスを見つけられなかった。外気温はすでに35℃になっていた。アイス・ボックスを探し始めてすぐ、牛窪は予定の先方にキャンセルの電話をかけた。方便を使い、別の日にしてもらったのである。
『ああ、そうなんですか。そういうことならいいですよ、こちらは…。はい! では、そういうことで、三日後に…』
先方は快(こころよ)く応諾(おうだく)してくれた。
消えたアイス・ボックスは、その頃、別の家にあった。その家では、隠居した高齢の男性が熱中症で倒れていた。アイス・ボックスはその男性を冷やすことで救ったのである。では、アイス・ボックスは、どのように移動したのか? それが真夏のミステリーなのである。さらに不思議なことに、男性の容体(ようだい)が小康を得ると、アイス・ボックスはその家から忽然(こつぜん)と消えたのだった。そして、次の日には、ちゃんと牛窪の家へ帰宅していた。アイス・ボックスは人命を助ける正義の医者だった。
完