やるのはいいが、集中力を欠けば失敗に結びつく。思いつきではなく、充分に考えてから動く・・という所作も集中力といえる。あ~して、こうして…と複雑ではなく単純に組み立て、動いた瞬間からその組み立てで動けば、大よそのことは上手(うま)くいく。落ちついて物事に処(しょ)す・・あるいは、ゆっくりと書く、キーを叩(たた)く・・などといった所作も、この集中力に属する。手抜かり、書き損じ、入力ミスなどが生じないからだ。
平山は、ある寺で写経をしていた。生れもって粗忽(そこつ)者の平山は、周囲の人々に比べると格段、書き量が少なかった。
「ほう…! 慎重(しんちょう)に書かれて…悟りの境地(きょうち)ですなっ、ほっほっほっほっ…」
この寺の貫主で大僧正の蓮寂が平山の左後方から覗(のぞ)き込んで言った。大僧正だけに蓮寂は達観していて、平山がゆっくり書く所作を[悟り]と観たのである。平山としては間違えないよう必死に筆を運んでいるだけなのだ。悟りも、へったくれも無かった。それでも、そう言われれば嬉(うれ)しいのが人である。
「はあ。まあ…」
平山は、ニタリとして蓮寂を振り返って見上げた。この所作が、いけなかった。振り返った途端、平山が持つ筆の先は紙の上を黒く擦(こす)っていた。集中力を欠いたのである。
「ああっ!」
蓮寂は平山の失態を見て見ぬ振りで歩を進めた。顔はニタリと笑っていた。蓮寂も僧侶としての集中力を欠いていた。
完