広崎は迷信をまったく信じない男である。広崎の考えだと、迷信とは信が迷う・・ということに他ならない。ならば、信が迷わないよう、俺が守ってやろうじゃないかっ! と少し大きく構えて信じないことにしたのである。これは広崎の信念である。こうして生き続け、広崎は今年で40の坂に分け入ろうとしていた。俺もそろそろ、くたびれたな…とは思ったが、いやいや、まだまだ…と叫(さけ)ぶ心のあと押しもあり、挫(くじ)けず今年も広崎は前向きに生きていた。そんな春めいたある日のことである。広崎が暮らすようになった町の歩車(ほぐるま)神社では、恒例の祭礼がしめやかに執(と)り行われていた。祭礼の最後に盟神探湯(くがたち)と呼ばれる神事があり、村人から選ばれた厄男(やくおとこ)の若者が熱湯を浴びることになっていた。例年、火傷(やけど)で医師の手当てを受ける若者が絶えず、広崎はこれこそ信が迷っている・・迷信だ…と思っていた。その火傷を負った若者は、弱り目に祟り目で、悪い霊がついている者として、尻を30ばかり火傷の手当てのあと叩(たた)かれた。広崎が聞いた話では、悪霊を追い出すための迷信から始まったようだった。広崎は密かにその忌(いま)まわしい神事をなんとか出来ないものか…と、考えていた。広崎の考えは、神事そのものを無くそう・・とかの大それた考えではなく、なんとか怪我人を出さずに済むよう改められないか…というものだった。
広崎は、一大計画を立てた。ミッション・インポッシブルである。密かにその年に選ばれた厄男の若者と接触し、火傷(やけど)防止の秘薬を事前に塗っておくよう手渡したのである。若者は最初、断ったが、これ以上、火傷の犠牲者を…と広崎に説得され、引き受けた。そして、広崎はひと芝居(しばい)うつことも若者に頼んだ。そのひと芝居とは、気絶したあとすぐ我に返り、神が乗り移った振りをして『もう、このような馬鹿な神事はやめよ!』と神らしく叫ぶ・・というものだった。若者は広崎の言葉どおりコトを運んだ。村人達は怖れおののき、それ以降、神事は廃止となった。
信が迷わないようにするには、ひと芝居うち、歌舞(かぶ)くことが肝要(かんよう)なようである。
完