(「捨てるべきものは捨て、大事なものを選び取る」という潔さ)
物事を複雑に考えて身動きが取れなくなる人には、頭のよい人が多いのだろうと思いますが、「単純に、明るく生きてみよう」「あまり引っ掛かったり、根に持ったり、いろいろな人のことを考えすぎたり、恨(うら)んだり、妬(ねた)んだりせずに、スパッと割り切って考えていこう」というものの見方をするとよいのです。それが「シンプルさ」ということです。
また、そのように物事を割り切って考えられる人は、ある意味で潔(いさぎよ)いのです。「潔さ」には、いろいろな定義があるでしょうが、要するに、潔さのなかには、「本当は、欲しいものがいろいろあるけれども、何かをポンと捨てて、大事なものを取る」という面があります。
執着(しゅうちゃく)はさまざまに生まれるものですが、いろいろなものをつかんでいると、人は身動きが取れなくなります。やはり、「潔く、捨てるべきものは捨てて、選び取るべきものを選び取る」という判断をすることによって、心が軽くなってきます。
そういう意味で、「シンプルで潔い生き方を目指す」ということは、真に智慧のある人間の生き方にもつながっていくのです。
あまり長い間、板挟み状態になって悩むことは、時間の無駄です。
(劣等感に長くとらわれている人はエゴイスト)
それから、同じようなこととして、特に若い人の場合、劣等感(れっとうかん)にとらわれることが多いと思います。劣等感を持っていない人はいないと思いますが、「劣等感をどの年代まで引きずっていくか」ということが問題です。
自分の子供時代の劣等感を、五十代や六十代や七十代までずっと引っ張るようだと、少し長すぎます。どこかで捨てなければいけません。どこかの時点で、それを違うものに変えていく必要があるわけです。
いつまでも子供ではないのですから、どこかで大人にならなければいけません。「人の同情を求めたい」という気持ちがあるうちは子供です。お父さんやお母さんに対して、「どうにかして僕を助けてほしい」という気持ちがあるならば、やはり子供なのです。
本当に大人になったのなら、今度は人を助ける側に回るべきであって、助けられることをいつまでも求めているようであってはいけないのです。
劣等感に悩んでいる人は、ほかの人のことを考えている余裕がないはずです。いつも自分のことばかり考えていて、「どうしたら自分が救われるか」ということを常に考えがちですが、ほどほどにしなければいけません。
劣等感で悩んでいる人は、自分自身では、主観的に、「自分は、非常に純粋で透明な心を持っていて、傷つきやすい心を持っている」と思っているのですが、その思いが何年も何十年も続くようであったら、それは間違っています。
そういう人は姿を変えたエゴイストです。劣等感で悩むことも結構ですが、その期間があまりにも長すぎたら、エゴイズム、自己中心主義になります。それは、「自分のことしか考えていない」ということなので、少しは、自分のことを忘れて、他の人のほうに目を向けてはどうでしょうか。
そういうことを述べておきたいのです。
世の中には、劣等感を持っていない人などいないでしょうが、「いかに劣等感を克服(こくふく)するか。そして、自分の悩みを中心にして物事を考える人間から、ほかの人の悩みを解決するタイプの人間に変わっていくか」ということが大事なのです。そのためには、心のあり方を見つめることが非常に重要です。
---owari---
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