このゆびと~まれ!

「日々の暮らしの中から感動や発見を伝えたい」

秀吉が利休を切腹させたことを後悔する

2024年05月30日 | 歴史
㉓今回は「作家・津本陽さん」によるシリーズで、豊臣秀吉についてお伝えします。このシリーズは今日で終わりです。――――――――――――――――――――――――秀吉が利休を切腹させたのを、ほどなく後悔したといういい伝えがある。彼が生涯のうちに悔いたおこないが五件あり、そのひとつであるという。秀吉にとって、諸国大名が大坂城へ伺候(しこう:貴人のもとへ参上して御機嫌うかがいをすること)したとき、天下一の茶 . . . 本文を読む
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秀吉は生死の場を通りすぎてきた武将を信頼

2024年05月29日 | 歴史
㉒今回は「作家・津本陽さん」によるシリーズで、豊臣秀吉についてお伝えします。――――――――――――――――――――――――利休は家康と親密であった。三成は家康を嫌っている。浅野、前田は家康に近い。武人同士でたがいの心情を理解しやすいからである。三成は官僚であった。いまは秀吉本陣を出て大谷吉継、長束正家らとともに上州館林城攻略にむかっているが、秀吉は彼の戦闘指揮能力に期待をかけてはいない。秀吉は戦 . . . 本文を読む
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関白太政大臣になった秀吉は臆病になる

2024年05月28日 | 歴史
㉑今回は「作家・津本陽さん」によるシリーズで、豊臣秀吉についてお伝えします。――――――――――――――――――――――――四月十九日、秀吉は八代城(熊本県)に入った。地元の大小の土豪は、大手門のまえに堵列(とれつ)して秀吉を迎えた。彼らは秀吉の輿(こし)が、厳重に護衛されているのにおどろく。屈強な足軽たちが、防弾用の竹杷(さらい:長い柄の先に粗い歯をつけた、熊手のような農具)をつらね、輿を取りか . . . 本文を読む
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秀吉は気さくで一度会った相手を忘れない

2024年05月27日 | 歴史
⑳今回は「作家・津本陽さん」によるシリーズで、豊臣秀吉についてお伝えします。――――――――――――――――――――――――天正十一年(一五八三)正月、秀吉は山崎宝寺城で鶏鳴(けいめい)とともに起きた。彼は四十八歳の春を迎えた。宝寺城の内外は、前年夏の合戦で敵味方の命が多く失われ、付近の山野には行く先をわきまえぬ怨霊(おんりょう)がさまよっているかと思える、荒涼とした気配がただよっていたが、秀吉は . . . 本文を読む
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秀吉は家康を上洛させて政治的に成功

2024年05月26日 | 歴史
⑲今回は「作家・津本陽さん」によるシリーズで、豊臣秀吉についてお伝えします。――――――――――――――――――――――――彼は羽織を脱ぎ、家康に着せたうえで、居流れる(居並ぶ)諸臣に告げた。「いま皆の聞けるがどとく、家康の儂(わし)に鎧(よろい)を着せまじき覚悟のほどを聞きとりしだわ。思うてみれば、まことによき婿を取りしものよ。果報由々しき秀吉にてあらあず」このときの二人の応酬は、羽柴秀長、浅野 . . . 本文を読む
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