繰り返すが、日本には力がある。日本人は、訪れる国難のレベルに応じて自らを決せられる力、ポテンシャルを持っている。だが、誰であれ指導者たらんとするならば、その力を活かす外交術を歴史に学ぶ必要がある。大東亜戦争時の指導者に最も欠けていたのがそのセンス、柔軟な感覚だった。たとえば、1941(昭和16)年12月10日、日本海軍航空隊は、イギリスが誇る戦艦プリンス・オブ・ウェールズとレパルスをマレーシア沖で . . . 本文を読む
ここで今日の日本に戻ろう。「国民が幸福なとき、偉大な政治家は要らない」と書いた。逆をいえば、「国民が不幸なときは、偉大な政治家が必要」となる。口を開けば外国との「友好親善」しか説かず、また国連第一主義しか方針がないような、開発援助金の配布先も要請主義を貫き、摩擦回避を専一にするなどのレベルの政治家ばかりだと、民間のパワー(中流の力)が弱まった時点で日本は坂道を転げ落ちてしまうだろう。繰り返すが、「 . . . 本文を読む
日本は明治維新で「四民平等」となった。以後、陸軍士官学校も海軍兵学校もその扉はすべての「国民」に開かれた。海軍兵学校の教師に招かれたイギリス人は、生徒の出身が四民平等になっているのに驚いている。そもそも西欧の軍隊の階級制度は、かつての社会的な身分制度を引きずっている。ヨーロッパの軍隊の士官はほとんどが貴族出身で、彼らと下士官兵とは身分のうえで天と地ほどの差があった。ヨーロッパの軍隊では士官はまさに . . . 本文を読む
今日は日下公人著書「『超先進国』日本が世界を導く」より転載します。歴史的に日本の庶民が指導者というものをどのように考えていたか、また指導者が庶民をどう考えていたかを見てみよう。日本の庶民の水準の高さは以前にも述べたが、たとえば司馬遼太郎の『世に棲(す)む日々』にも、<徳川社会というのは知識人口の厚さという点では同時代のヨーロッパの文明国を抜きんでているが、その特徴のひとつは知識人口が首都である江戸 . . . 本文を読む
(社長が本気でぶつかるとき、創造的アイデアが生まれる)自社の社員が一生懸命に働いている姿を見て、「何とか報(むく)いたい」という気持ちを持つことです。経営者として、そういう気持ちを持っていなければ、大手の有名企業や一流企業などとぶつかったときに、相手の会社の格(かく)などに、どうしても負けてしまいます。向こうは、看板(かんばん)が大きく、エリート社員をたくさん持っていて、偉(えら)そうに見えるので . . . 本文を読む